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自己紹介《前編》


みなさま、おはようございます。


愛の華を咲かせ続けているKaoriです🌸


新七夕物語が始まり、イマイチ何か?よくわからない方も多い中、
読んでくださり、ありがとうございます。


15年間、天にみんなの夢を届けているので“夢姫''とか、"香姫"と呼ばれるようにもなりました。


これは、"私の物語"をただただ書き留めた自分の記録です。

私が私を生き切る事で
私が私の命輝かす事で
あなたの人生にもその光を届けられたら
そしてあなたの光と響き合えたら嬉しく思います。




全ての命が輝きますように…✨✨✨
といつもいつも願っています。
あなたの夢のお手伝いができたら嬉しく思います。


改めまして、私の自己紹介をさせて頂きます。


私は昭和40年(1965年)、北海道旭川市にて生まれました。

旭川のシンボル旭橋




2年後に弟が生まれ、家族4人で暮らしておりました。

父は子煩悩で動物好き。
私が物心ついた時にはいつも犬がいました。釣りが好きで山菜採りが好きでプロレスが好きでお笑いが好きで植物を育てるのも好きで、お酒が好きで…
(こうやって記すと好きなモノ沢山あったんだな笑)
本当は牧場をやるのが夢だったようですが、実際は建具屋の職人でした。

母は、昭和初期の人なので普通に洋裁や和裁を習い、お見合いで結婚し、ワンマンな父との生活で苦労続きで好きな事もせずひたすら私達子供の為に生き、贅沢もせず、我慢に我慢を重ね生きてきた辛抱強い母です。

弟とは、小さい頃よく遊びました。
家の中でも外でも。
弟も動物好きだったのかな?うさぎもらってきたり、ハムスターもらってきたり
いつもうちには動物がいました。
プラモデル作りが好きでいつもお小遣いで買ってきては、黙々と作ってました。
勉強もよくできて、あんまり勉強してる様子は見ないのにいつも高成績で私より頭はよく、市内でも割といい高校、教育大と進み、技術家庭科の教師になりました。


6歳頃の私と弟



私の家庭は貧しく、争いの絶えない家でした。夫婦喧嘩は勿論、親戚の財産争いは常々で、父はいつも機嫌が悪くお酒を飲み暴言を吐くので、みんなからの嫌われ者でした。
普通なら嫌いになるのかもしれないけど、私は父が大好きでした。

家族で笑った事ってあるのかな?って位いつも私はメソメソ泣いていた記憶しかなく、劣悪な家庭環境でした。
幼い時は父にかわいがってもらったものの、思春期になると父ともよく喧嘩が絶えず、寝ずに説教される事もしばしば…
まぁ、何となく力ずくで抑えられる感じでした。(昭和あるある?!)



でも、だからこそいつも私は夢を描いていたんだと思います。
子供の頃から夢見る夢子でやりたい事、欲しいものが沢山ありました。


高校を卒業し、OLになり、自分の欲しいモノは買えたりしましたが、やはり厳しい父の目が光ってて笑 やりたい事はなかなかできない環境でした。

それでも小さなやりたいを重ねていました。


OL8年目の時に会社の上司の熱いラブコール。その息子さんとお見合いをし、結婚しました。
やっと父の元を離れ自由になったと思ったらその一年後にあっという間に父は亡くなってしまいました。
平成5年(1993年)私が28歳の時です。


私は、大好きだった父とただ、ただ、普通に話がしたかった。
時折り優しく話す父の話が好きだった。
あーでもない、こーでもない普通の日常会話を楽しみたかった。
そんな夢は叶わず……


サクッと自己紹介するつもりが、
なんだか、自分の振り返りの時間にもなってしまいました笑笑


長くなったので、続きはまた…


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