夢日記@2022/7/26

気が付くと、大学の大教室で、その教室の、黒板の前のあたりに来ていた。板書が残ってるし、配布物も色々置いてある。どうやら、講義が終わった直後の場面らしい。民法の初回の講義かな。自分は講義は受けてなくて、この最後の場面にだけ登場したらしい。次の講義を受けるために早めに来たというわけでもない。この講義を受けるべきなのに、来るのが遅かった、ということである。何か他の用事でもしていたのか、サボっていたのか、どちらかであろう。

あまりよろしくない状況のようだが、その日、講義がどこまで進んだのか、だけでも、記録しておくのは、前向きな作業である。それすらしてなくて、完全に置いて行かれて詰んでしまう、ということがありえる。それに比べたらマシなのである。あれ?おれ、この人生、何周目だっけ?

もちろん、出欠が確認される可能性もあるから、毎回来たほうがいいのは言うまでもない。。とは言え、来るのが面倒である。自分は、3年生になってから引っ越して、それで、家ん中がごちゃごちゃしていて、未だに荷ほどきも終わってなくて、それで、講義にも来なくちゃならないし、大学も近くない。むしろ、大学は一気に遠くなった。。どこぞの国立大の徒歩1分の大学付属の寮に住んでる友達が羨ましい。あれだったら、おれも学業に専念できたよなぁ。。

キャンパスが変わって遠くなるからという理由で近くに引っ越したのかと思いきや、全然近くないのである。近くないのに、なぜ引っ越したのか?そりゃ、これから思い通りの人生にならなくて、カッコ悪い所を同級生に見られそうな予感がうっすらしてたから、あらかじめ、みんなから離れたかったのである。

いやいや建前は違うだろう。なぜ、おれはそんな結末を知っているのか。元々はそうじゃなくて、不勉強な同級生が多数たむろしている下宿から離れて、資格試験か何かに集中したかったからである。しかし、そちらの予備校の講義にも行ってない。行ったら、高校時代の同級生が居て、こっちを指さして友達と笑ってた。たぶん、ろくなことを言ってないのだろう。おおイヤだ。人生をリセットして、けがれ無き人生をやり直したい。その時はそう思ったが、そうはいかないのが人生である。

最近、始めたバイト先には、同じ大学の、学年が1つ上の女性が居て(学年は上だが年は同じ、おれが1年留年してるせい)、その人はブリジストンに内定出たって言ってた。でも、文学部出てブリジストンって、全然文学的じゃないよなぁ。。これが現実なのか。。タイヤが踏みつける文学書というイメージ。。現実というのは厳しい。。その人には、そうは言わなかったけど、その代わりに「タイヤって無くなったりしないんですかね?ほら、SFとかだと、タイヤ無くても浮いてる車とかあるじゃないですか。」などと言ってしまった。別にその人のことが嫌いだったわけでも全然ないのに。。余計なことを言ってしまった。タイヤが無くなるなんて、だいぶ杞憂だが、何かしらのネガティブな感情の表出ということである。あの時は本当に余計なこと言ったよなぁ、もう20年前の話だけど、余計だったって時々思い出してはずっと思ってる。。

あぁ、そうだ、おれは20年後の未来から来たんだったって、思い出したら朝でした。おはようございます。

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