見出し画像

オーケストラは音楽の一つの完成形

クラシックと聞いてどんな曲を思い浮かべるだろうか。ここでは主にオーケストラ音楽の事を指す。
ベートーヴェン、バッハ、ショパン、モーツァルト...名前をあげるとキリがない。しかし今回話したいのはそこではない。

オーケストラ音楽は、人が求める音楽像の1つの答えだと思う。

100年以上も前の楽曲が今でも愛されているし、現代でも壮大なシーンや映画、アニメの音楽にも活用されている。
それ程までに愛されるオーケストラと呼ばれる形式を不思議に思ったことはないだろうか。

ここからは独学での仮説になるが、オーケストラが愛される理由の1つに「倍音成分」が大きな影響を与えていると考えている。

オーケストラで使用されている楽器、西洋楽器には特徴があり、なるべく非整数時倍音を含まないように作られている。難しい言葉なので簡単に言うと、例えばフルートと尺八を聴き比べて欲しい。フルートは澄んだ音がして尺八は掠れた音がする。この「掠れた音」に聞こえる部分が非整数時倍音(ノイズ)だ。

なので西洋楽器は澄んだ音に美学を見出し、これらのノイズ要因を取り払う事で純粋な響きを奏でる手段を得た。その組み合わせで生まれるハーモニーの集合体こそがオーケストラと言える。

こうした調整された倍音の響きは「神々しさ」「綺麗、美しい」「幻想的」といった印象をもたらす。これは楽曲だけに留まらず、演劇や舞台といった世界観を伝えるシーンでも大きな影響を与える。先に「壮大なシーンや映画、アニメ音楽にも活用」と書いたのも納得できてくる。

ここまで来て「じゃあ和楽器とかは綺麗な音じゃないのか」というと、和楽器は和楽器の美しさがある。日本の美学で言えば「儚さ」に想いを馳せるケースが多い。
そして和楽器は「掠れた音を意図的にコントロールする」「余韻が短い」といった特徴がある。掠れた音を聴くと、不思議と「意味」を見出そうとする。その音色が何かしら意味を含んでる、そう強く感じさせる。それらは感情に訴えかけてくる。

音楽が感情に訴えかけてくるのは両者とも同じだが、その手法やニュアンスは大きく異なる。

音楽は「何を美しいとするか」の美学に基づいている。その美学、考え方が異なるのであれば当然音楽の在り方も変わってくる。では現代ではどんな音に美を見出すのか。それとも、そこまで聴く事自体が美ではないのか。少し意識してみると、自分にとっての美しい音は、案外意外なところから聞こえてきているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?