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すべての生は祝福される—田代一倫の写真

 2021年3月5日金曜日、目黒のコミュニケーションギャラリーふげん社で開催されている田代一倫の写真展「2011-2020 三陸、福島/東京」を見に行く。田代の展示を見るのは久しぶりだったが、自分の書架には田代の写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011~2013年』(里山社)と『ウルルンド』(KULA)の二冊があり、折に触れて手に取っている。とくに去年、心が弱って精神的にまいっていた時期に、この二冊には「救われた」のだった。そのことについて書いてみたい。

写真による「祝福」

 一都三県に出されていた二度目の緊急事態宣言は自分が展示を見に出かけたちょうどその日に再延長が決定されたが、昨年自分が一番精神的に落ち込んでいたのは一度目の緊急事態宣言が解除された頃だった。コロナ禍とはまったく関係のない自身の無計画さで人生が行き詰ってしまい、先の見通しの立たぬまま途方に暮れていた。パンデミックによって人生を狂わされてしまった世の多くの人たちに対して、自分の場合はすべて自身の先見性の無さ/人付き合いの悪さ/社会への不適合性/作家としての才能の欠如/とにかく全てにおける「無能さ」こそが原因なのだと、自分で自分を責め続けた。自分がこれまでしてきたこと全てを否定されたように感じ、作品も作れなくなってしまい、なにを手掛かりにして先に進めばいいかわからなくなっていた。

 ニュースやSNSで訃報を目にして死んでいった人を「人生から離脱できた人」として羨むようになっていることに気付いたとき、さすがにこれはヤバいと思い始めた。なんとかして生きるための気力を取り戻さないと、このままでは本当に取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。そこで少しでも自分がやってきたことを認めて自尊心を取り戻そうと書架を漁って過去に読んだ本を読み返してみる。しかし自己卑下のスパイラルに入っているときは何を見ても何を読んでも自分の現在の境遇と比べてしまい、ますます気持ちが落ち込んでいくだけなのだ。たとえば小説の登場人物がなにかの仕事をしているとすれば、それだけで「職の無い自分」と比較してしまい自責のスパイラルに立ち戻ってしまう。しかしそのとき手に取った本のなかで唯一他者との比較の脅威から自分を解放し、生きるための気力を取り戻すきっかけを与えてくれたのが、先に挙げた田代による二冊の写真集だったのである。

 『はまゆりの頃に』と『ウルルンド』は対照的な体裁の写真集だ。分厚いハードカバーの前者に対し、雑誌やチラシなどに使われる微塗工紙で作られた後者は薄く柔らかい。しかし二冊における田代の写真家としての姿勢は一貫している。東日本大震災発生の直後から二年間にわたって東北の被災地で撮影された『はまゆりの頃に』も、2017年に韓国の離島ウルルンド(鬱陵島)で撮影された『ウルルンド』も、どちらも写真家がその地で「出会った人々」のポートレート集であり、対象の全身を収めた写真の構図も同じである。そしてなによりも被写体に接する田代の態度が揺るぎなく共通しているのだ。

 それは被写体が「誰」であるかではなく、そこで出会った人々のその存在、その生、その出会いそのものこそを祝福し、記録しようという姿勢である。たとえば『はまゆりの頃に』は震災直後の被災地で撮影された写真だが「被災者」を写した写真ではない。『ウルルンド』は日韓関係が険悪な時期に竹島/独島にもほど近い韓国領の島で撮影された写真だが「韓国人」を写した写真ではない。どちらも田代が「そこで出会った人」を写した写真であり、被写体に対する写真家の態度には驚くほど差がない。そしてどちらからも撮影者のその出会いへの喜びと祝福を強く感じる。たとえてみればそれは深山に分け入って人知れず咲く山桜に思いがけず出会ったときの喜びのような、そんな心からの「祝福」なのである。

 まるで見知らぬ他人がただそこに生きていてくれるだけで「ありがたい」という感慨を普段の生活のなかで抱くことは稀である。しかしたとえば先の東日本大震災の直後のような極限状態のなかで、我々はそれを経験しなかっただろうか。未曽有の大災害と多くの死のなかで、それを生き延びた人の「生」を、たとえそれが誰であろうと、慈しみありがたく思うあの感覚。しかしそれは長続きしない。なぜなら人は祝福されるべきひとつの「生」である以前に、この社会で生きていくためにはまずは「誰か」や「何か」にならざるをえないからだ。そして「誰か」や「何か」に充分に成り切れないと、その役割を充分果たしていないと他人や自分から責められることになる。ときには「誰か」や「何か」であることが他の誰かの権利を侵害していると糾弾の的となることもある。つまりこの社会において「誰か」や「何か」である/ないことは、それ自体が「罪」でもあるのだ。そしてその罪の重さに耐えきれなくなったとき、人は心を病んでしまう。

 しかし田代の写真ではその罪が完全に放免される。そこでは「誰か」や「何か」であることを問われることはない。そのことに対する価値判断は完全に放棄されているのだ。被写体はそれが誰であろうと人知れぬ奥地で出会った一輪の花のように、ただそこに生きる一つの「生」として祝福される。もしかしたら彼/彼女はDVやハラスメントを繰り返す劣悪な人間かもしれないし、極端な主調で社会を混乱させるインフルエンサーかもしれない。多くの人の不幸の上に利潤を得ている守銭奴かもしれないし、ひょっとすると逃亡中の凶悪犯だったりするかもしれない。しかし田代の写真のなかではどんなに罪深い人間であっても、その現世的な罪を放免され、同じひとつの「生」としてその出会いを祝福される。そのくらい田代の「無選別」の態度はかたくなに一貫している。

 そしてそのことは自己卑下のスパイラルに陥っていた自分にとって救いのように感じられたのだ。この先自分の人生がどんなに転落していっても、自分が思ったような生き方ができなくてなっても、人生において結局なにも成し遂げることができなかったとしても、それでも「生」はそれ自体に意味があり価値があるのだと、自分のような無能な人間でも生きていればそれだけで祝福される存在になれるのだと、いや「生きている」というその事実のトンデモなさの前では「有能/無能」などという価値基準はものの数にも入らないのだと、そう感じられた。そしてそれを励みに自分は再び生きるための気力を少しづつ回復させていったのである。

祝福を可能にするもの—贖罪者としての「作者」

 しかし、なぜ田代の写真ではその「無条件の生の祝福」が可能なのだろうか? 実はここには一人だけその祝福の輪から外れている者がいる。それは他でもない撮影者である田代自身である。

 田代の写真のなかでは被写体が「誰か」や「何か」である/ないことの責任から完全に自由であるのと対照的に、撮影者である田代自身は常に自身の行為の意味やその正当性について思い悩んでいる。『はまゆりの頃に』には田代自身による撮影時の覚書きが写真と共に掲載されているのだが、それは被災地で「部外者」として撮影を続けることへの迷いと葛藤の軌跡でもある。当然そこには「被災地で撮影をする」という写真家の倫理的な問題が関係するのだろうが、田代の写真の場合さらにそれ以上の問題をも抱えているように思われる。

 というのも被写体が「何者」かを問わずにその人を無条件で祝福するということは、つまりはその人物が「誰か」や「何か」であることの罪を、彼/彼女を被写体として自身の作品とする作者としての田代自身が引き受けなければならないことを意味するからだ。そのトレードオフなしには「祝福」は成り立たないのである。つまり撮影者としての倫理性の悩みやアイデンティティの葛藤は、被写体の「罪」を免罪することの対価として田代が支払わなければならない不可避の責務なのである。いわばそれは贖罪なのだ。撮影者一人が祝福の輪から外れることで、初めて被写体となる人々の罪は放免され、一つの「生」として祝福可能になるのである。

 そこには写真を撮る/撮られるという撮影者/被写体との力関係とも関係するだろう。とくに田代の作品のように道で出会った見知らぬ人に声掛けして被写体になってもらうという関係性においては、ときに他者の存在の「収奪」や「搾取」へと繋がりかねない。被写体のほうから撮影を望んだり、撮影に見合う対価が支払われるならば、その関係はギブアンドテイクの双方向的なベクトルとなる。しかし田代の撮影ではそれは起こらない。田代の写真において被写体との関係は常に一方向のベクトルのみ、つまり撮影者が被写体から一方的に「得る(テイク)」ことで成り立っているのである。その非対称的関係の暴力性が撮影者である田代の主たる葛藤の要因となっていることは想像できる。

 しかし田代はその一方向的な被写体との関係を対価を「与える(ギブ)」ことによる双方向化ではなく、「得る(テイク)」ことの意味合い自体を変化させることで軽減させようと努めているように思われる。つまり「得る(テイク)」を「奪う」ではなく「引き受ける」へと。だからこそ田代は被写体が「誰か」や「何か」であることへの価値判断をいっさい放棄するのだ。被写体の現世的な罪の責任は撮影者である田代がすべて引き受け、彼の写真のなかではただその「生」だけが祝福される。もちろんそのことによって撮影者が被写体に対して優越的な立場に立つわけではない。撮影者の優越的な立場が自明なものになった瞬間、被写体への「祝福」は無効化されるからだ。「祝福」は無償の行為として行われなければならない。被写体は撮影者に対してなんの借りも作らず、その責任のすべては作者としての田代自身が引き受ける。そのようにしてはじめて被写体の「誰か」や「何か」である/ないことの罪の放免=一つの「生」としての無条件の祝福は可能になるのだ。

祝福の困難—「東京」、そしてパンデミック

 今回の個展では震災発生から十年の節目となる『はまゆりの頃に』のほかに、2014年から昨年2020年まで続けられた「東京」シリーズの写真が展示されている。東京を撮影地にして制作されたこの作品は『はまゆりの頃に』や『ウルルンド』とはまた違った側面を持つように思われる。というのも東北の被災地に東京から赴いた写真家として撮影された『はまゆりの頃に』や、韓国領の島で日本人の写真家として撮影された『ウルルンド』では、田代はその土地やそこで出会った人々に対して明確な「よそ者」であり「異物」でありえた。しかし東京ではその境界が曖昧になるのだ。九州から上京した田代にとって東京は異邦の地であるとも言えるが、それは被写体となるべき多くの東京人にとっても同じことなのである。実際、撮影の許可を得ようとしたとき地方から上京して東京にルーツがないことを理由に断られることも多かったという。つまり東京という街は「よそ者」や「異物」の立場に立つことが難しい場所なのである。故に田代の他のシリーズに比べ、いきおい被写体と撮影者の立場は曖昧にならざるを得ない。そのことは撮影を通して田代に自身の行為の意味や「お前はいったい誰なのか?」というアイデンティティへの問いをよりいっそう強く迫ることになるだろう。

 たしかに「東京」シリーズの写真では、東北やウルルンドで撮影された写真に比べ、被写体からその属性=「誰か」や「何か」であることを引き離すことに作者は手こずっているようにも見える。そこには東京=都会の性質も関係するだろう。田代は東京での撮影では一番多そうな職種、タイプである「普通の人」の撮影の許可を得ることが難しかったと語る。一瞬でも「何か」であることを止めることができない場所、「何か」でなくなった瞬間に居場所がなくなってしまう街。東京=都会とはそのような場所なのかもしれない。

 しかしそれと同時に、東京の地をつぶさに観察し撮影していくなかで田代は東京という街がそうした都会のなかでの「役割」からはみ出す「普通でない人々」の存在も許容する包容力を備えていることに気付き始める。そして困難のなかでも他の地での撮影と同じように、可能な限り「誰か」や「何か」ではなく、そこにある一つの「生」の姿を捉え、祝福しようとしている。「東京」シリーズは2020年の東京オリンピック開催の日までの撮影を目標に続けられるのだが、田代自身は開催に反対だというオリンピックが撮影期間の目安として掲げられたのは、おそらく当初は「オリンピック」という大きな物語に邁進していく街のなかで、そこからこぼれ落ちてしまうものこそを記録しようという意図が籠められていたのだろう。しかしその目論見は別の大きな物語の出現によって狂わされてしまう。言うまでも新型コロナウイルス感染症によるパンデミックである。

 パンデミックは田代の写真の持つ意味も一変させてしまう。パンデミック下ではそこにその人がいることは幸いどころか、災厄の源にもなりうるからである。人は「誰か」や「何か」である前に、あるいはひとつの「生」である以前に、「感染症を伝播させる潜在的なキャリア」へと暴力的に変貌させられてしまうのだ。しかしその困難の中でも、田代はウイルスの流行以前から変わらないものに注意を向け、「誰か」や「何か」ではなく、「ウイルスの潜在的なキャリア」ではもちろんなく、ただひたすらそこにあるひとつの「生」の姿のみを捕え、祝福しようと努める。

 田代の撮影による「祝福」の行為が、田代自身にかける負荷の大きさは想像に余りある。そのことと関係するのかどうかはわからないが、「東京」シリーズの撮影中に田代はかねてから患っていた躁うつ病の病で入院もしたという。うつの症状は撮影方法の変化も促した。人に声をかけられない時期の撮影はノーファインダーで人知れず行われた。声掛けして対面した人を撮影する他の写真と異なり、こちらを見つめ返す人のいないノーファインダーの写真では、田代が「祝福」を拒絶された街を彷徨いながらそこに生きる「生」たちを陰からこっそりと祝福しているかのようにも感じられる。人のいない街の佇まいだけが写された写真では、行き場所のない撮影者の祝福が宙に彷徨っているかのようにも見える。祝福の困難さは結果的に田代の写真における撮影者=作者の存在をよりクローズアップしたようだ。そしてその密やかな「たたかい」の様子に、静かな感動を覚える。

 「生」はそれ自体が奇跡で、無条件に素晴らしいものである。たしかにそれは真実である。しかしそれを担保しているものは何なのだろうか? もしかしたら世界の片隅でひっそりと行われている無償の行為としての「祝福」こそが、その価値を保証しているのかもしれない。田代の写真を見ているとそんなことを考えさせられる。そしてその無条件の「生」の祝福こそが、芸術の持つ本来の力であり、役割なのだろう。


*展示情報
田代一倫写真展「2011-2020 三陸、福島/東京」
会期:2021年3月4日–28日
会場:コミュニケーションギャラリーふげん社
住所:東京都目黒区下目黒5-3-12
URL:https://fugensha.jp/events/210304tashiro/

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