見出し画像

いちヒカセンから見たFinal Fantasy XVI (FF16) 感想

Final Fantasy XVIをクリアしました

何週間も前になりますが、FF16をクリアしました。

FF16のスタッフは新生FF14を支えたメンバー達が中心になっており、私もFF14ファンのヒカセン(=光の戦士)ですのでFF16への期待値はかなり高かったですが、ハードルを上回る面白さでした

発売から毎日6時間ずつくらいやって70時間ほどでエンディングを迎えましたが、その間他のゲームを全くやらないほどでした。

発売日にプレイし始めてクリアまでだいたい10日ほどでした。

このゲームは吉田直樹プロデューサー(以下「吉P」)が「どんなプレイスタイルの人でも楽しめる」と謳うように非常に様々な要素があり、感想や受け止め方も人によってかなり変わってきます。
今回はその中でも私の印象に残った部分についてフォーカスして感想を書きたいと思います。
ご自身がプレイした時の印象と照らし合わせつつ、「ここは自分もそう思った」とか「こういう風に感じた人もいるのね」などと感じて頂ければ幸いです。

なお、FF16の内容に関するネタバレを多数含みますので、ぜひクリア後にお読み下さい。


結局「XVI」はどんなゲームだったのか

FF16は一言で言うと、「クライヴの物語をあらゆる技術や創意工夫を駆使して表現した作品」ということになるでしょう。

ストーリーは勿論ですが、徹底して作られた世界観や魅力的なキャラクター、表情や声の演技、グラフィックのクオリティ、BGMやサウンド、ロードのないシームレスなシステム、映画を見るかのようなカットシーンの演出など、どれか一つが欠けても私の遊んだ「FF16」は実現できなかったでしょう。
言い換えれば、ゲームの特性を最大限生かして映画以上の没入感をもたらしてくれたということです。


「映画を遊ぶようなゲーム」を目指したFF16。
私は映画好きなこともあり、スタッフのこだわりを感じつつ楽しむことができました。
引用元:https://news.denfaminicogamer.jp/interview/230228w

この手の「映画のようなゲーム」において、ゲームとしての面白さと物語への没入感をいかにして維持するか、つまりゲーム性と演出をいかにして融合するかという所が一つ重要なポイントになると思います。
そうでなければゲームである利点がないですし、大規模な開発費をかけた意味もなくなってしまいます。
たとえばカットシーンは素晴らしくても、それだけでは継ぎ接ぎの映画もどきになってしまいます。

例えばこの会話シーンでジョシュアは気弱な印象に見えますが、襲撃に際してはプレイヤーが操作して戦うことで芯には次期当主としての強さがあることがハッキリとわかりますね。

この点については、FFシリーズのシステムが随所に散りばめられてシリーズ特有のテイストを感じつつゲームの幅が広がっているのが良かったです。
この辺りは「FF14」でも見られる真面目さというか、プレイヤー視点に立ってゲームを作り込むという姿勢が表れている部分かなと思います。

私が特に気に入っているのは、クライヴが「リミットブレイク」を習得するシーンですね。
ストーリーの演出とBGM、そしてFFシリーズのシステムが融合した表現になっており、ここで一気にFF16の世界にハマりました。
ゲームならではのカッコよさが詰まっていて、理屈を抜きにして夢中にさせてくれる迫力がFF16の最大の魅力に感じました。

リミットブレイクについては事前情報では一切知らなかったので、物凄くテンションが上がりました。

召喚獣バトルについて

多数の要素の中でも特に良かった点を挙げるなら、やはり召喚獣バトルでしょう。
物語のキーになる部分で出てきますし、それ単体で見ても面白い。
ここだけでゲーム1本分以上の満足度がありました。

召喚獣バトルはRPGの枠に収まらずにロボットアニメや特撮などの異分野の表現とも融合して革新的な体験になっていたと思います。
吉田Pを筆頭にスタッフには「ガンダム」や「仮面ライダー」などの作品をオタクのルーツに持っている方も多いようですので、そうした分野の知識とFF歴代の召喚獣が組み合わさることで魅力的なバトル体験になっています。
クライヴはまるで変身ヒーローのようですが、そういう異なる界隈で確立された様式美や映像表現が王道ファンタジーの世界観に翻訳されるとこうなるのか、と驚かされました。

アルテマ戦の最後に変身が解けて人の姿での攻撃で決着するところは「グレンラガン」を思い出しました。こういう演出もまた王道。

先ほど例を挙げたリミットブレイクのシーンも、その後でさらにイフリートになって戦って、最後はまた人の姿に戻って決着するところなどは王道な展開ですが、それだけにプレイしていて熱くなれるシーンです。
リミットブレイクでも既に盛り上がっているのに、そこからさらにもう一段階テンションを上げていくあたりは流石の演出でしたね。

有無を言わせぬカッコよさ。

それ以外の召喚獣バトルで印象に残っているのはタイタン戦、バハムート戦ですね。

タイタン戦は前哨戦のフーゴ戦で「大地の重み」「ランドストライド」「激震」など見覚えのある技を多数見て「おいおいここはエオルゼアか?」と思いましたが、ヒカセン向けのファンサービスと思うとニヤリとできる部分ですね。

召喚獣バトルで1フェーズ目が終わり、デビルタイタン化した時に「過重圧殺」(※)のようなBGMが流れてきて「祖堅、流石にやったな?」と思いつつもタイタンとロックサウンドの相性が最高なことは新生エオルゼアで証明済み。
息をするのも忘れるほど夢中でバトルを進めることができました。
自分より圧倒的に巨大な敵を倒すという絵面も刺激的で、FF14の極タイタン戦の迫力をそのままスケールアップしたようなバトルで最高の一言です。
※FF14のタイタン戦の後半で流れるBGM

この無茶苦茶なスケール感がたまりません。このバトルを味わうだけでもFF16をやって良かった。

バハムート戦はそれに輪をかけてとんでもないスケールでしたね。
まずクライヴのイフリートとジョシュアのフェニックスが共闘し、さらにプレイヤーも交互に操作するというこの上なくアツい展開。
そこからイフリートとフェニックスが合体。
合体……?

イフリートがフェニックスと合体。流石に予想外でした。

FFシリーズの中でも召喚獣が合体したシーンはこれが初めてかもしれません。
私は共闘の時点ですでに最高に盛り上がっていたのですが、この時点で盛り上がり過ぎておかしなテンションになっていました。

合体はこことアルテマ戦だけでしたが、何なら仮面ライダーWみたいに合体する召喚獣同士の属性を変えて色んな召喚獣になって欲しかったなぁ……と思ったりもします。
作る方からしたら厳しいと思いますが……
でも、イフリートとシヴァでメドローアみたいな技とか撃って欲しくないですか?(FFではないけど)

そして戦場が地上を離れて宇宙域へ。
FFシリーズは往々にして宇宙に行きがちですし、7のバハムート零式は宇宙から攻撃していましたが、「さすがにこの絵面はガンダム過ぎるだろ!」とか、なんで宇宙まで移動して戦いだしたのかとか考え始めたらキリはないですが……
とにかく格好いいので良し!

画面が完全にロボットアニメ。

タイタン、バハムート戦が良すぎただけに……

タイタン戦とバハムート戦で私のテンションは最高潮に達しましたが、それ以降のオーディン戦やアルテマ戦はそれに比べてやや物足りない感じもありました。

オーディンはもっと馬に乗って戦ってほしかったですし、アルテマとのラストバトルもバハムート戦を超える熱さを感じることはできませんでした。
正直、予算や工数の都合で途中から規模を縮小したのではないかという気持ちになりました。そういうところも特撮っぽい……かもしれませんが、そこは真似しないで……

バハムート戦の方が“本当の生”を感じられた気が……

タイタン戦~バハムート戦の連続した凄まじい熱量のバトルを経て私の期待値が上がり過ぎたという面もあると思います。
制作陣の想定以上に面白くなってしまったというか。
オーディン戦、アルテマ戦も悪くはなかっただろうと思うのですが、一度ハードルが上がってしまった後では物足りなく感じたということです。

そうなると、ゲーム終盤はドラマやキャラクターの内面といった方向に自然と集中することになりました

キャラクターの魅力(主にジル)

どのキャラクターも魅力的でしたが、個人的には特にジルが好感の持てるキャラクターでした。

お出かけイベントではパンを大量に買い込む一面も。実は隠れ食いしん坊?

ジルが鉄王国での戦いの前に「あなたの隣に立って生きていたい」と思いを吐露し、その後に鉄王国で司祭を殺害する場面は、”クライヴの隣で生きること”の答えが”自分も大罪人として生きていく”ってことなのかと痺れましたね。
作中を通してクライヴ達は正義を口にすることはなく(「許されることではない」といったセリフはありますが)、世界を救うのも悪を裁くのも正義ではなくエゴのために行うといった姿勢はとても現代的ですね。

鉄王国では間違いなくジルが主人公でした。ここで内面の葛藤や覚悟が見え、グッとキャラクターの魅力が引き立ったと思います。

最近の人気作品におけるヒロインの傾向として、「主人公の隣に立つ」というのが流行になっていると感じますが(あくまで主観です)、時流も押さえている点でも多くのプレイヤーに共感されるキャラクターだったのではないかと思います。

最終決戦前のこのイベントで多くのプレイヤーが胸を打たれたと思いますが、それもずっと一緒に苦難に立ち向かってきたからこそですね。

ジル以外のキャラクター、クライヴやジョシュア、ガヴ、オットー、カローン、バイロンなどみな魅力的で楽しくゲームをプレイできました。

もちろん、トルガルも癒しに戦力にと大いに旅を盛り上げてくれました。

エンディングをどう捉えようか悩む

ここが一番どう書けばよいか悩ましい部分です。

個人的には今回のエンディングに至った背景は理解できるものの、あまり好みのエンディングではありませんでした。
FF16では多くを語らず解釈をプレイヤー側に委ねるタイプのエンディング表現でした

エンディングの表現から無難に読み取ると以下のような解釈になるかと思います。
・クライヴはあの後無事に生還したが、ドミナントや魔法の能力を失った
・ジョシュアは生きているかもしれないし、亡くなったかもしれない
・ジョシュアが死んでいた場合、『ファイナルファンタジー』はクライヴが自分の経験を記した本をジョシュアの名義で執筆したものと推察される
・クライヴの時代よりずっと後(少なくとも3世代以上)、魔法がなくとも人々はヴァリスゼアで暮らしている
・緑が豊かであったことから、黒の一帯の浸食も終わり、自然は回復している=クライヴ達は世界を守った

もしジョシュアが亡くなっていたとしたら、クライヴはシドの名を継いだ時のように、ジョシュアの名を後世に残したかったのでしょうか

もちろんこれ以上にもっと飛躍したことを想像することもできます。
個人的にはクライヴもジョシュアも生きていて欲しいですし、決戦前に話したようにクライヴとジルがヴァリスゼアの外を旅していてほしいと思います。
そうした様子は描かれなかったわけですが、プレイしていた時の私の期待としては、ジルとクライヴが幸せに過ごしているその後の様子を明確に出してくれた方が嬉しかったです。
長時間プレイしてジルやクライヴを好きになったからこそ、2人が再会して外大陸を旅している様子を止め絵1枚でもいいので見てみたかったですね。

このシーンとかFF8のリノアとスコールを思い出す部分もあって好きです。FF8も最後はスコールとリノアが笑っているシーンが見られましたが……(一方で難解な要素も多数含まれており、考察が捗る作品でもありました)

なんでそうしてくれなかったのかについては想像するしかありません。
もしかしたら、明示的なハッピーエンドを出すことに対して「作り手がそこまで言っちゃうのは野暮じゃないか」という感覚もあるかもしれません。
特に、吉Pはエヴァ新劇の考察・解説を社内イベントで実施するような人なので、「せっかくプレイしてくれた人から想像の余地を奪ってしまうかも」というような考えがあったのではないかと推察します。
具体的な根拠はなく、自分なりに吉Pを追ってきた上での妄想ですが……
少なくとも、善意というかプレイヤーのために敢えてあのようにしたのであって欲しいと思います。

一方で、現代は1人1人が考察をするような時代ではないとも言えます。
SNSを通じて情報が幾らでも手に入るインターネットの時代では、多くの人々が自身で解釈を深めるよりも、手っ取り早く情報を得ることを優先する傾向があります。
解釈自体も検索すれば自分1人で考えるよりも”正しそうな解釈”が集合知として得られるからです。
であれば、クライヴとジルのその後は明示的に示しつつ、一方で解釈・考察の余地のある部分も残す……といった方法の方が良かったようにも思います。

この辺りはもはや美学とか価値観レベルの話になって来るのでどちらが正解とは言えませんが、とにかく事実としては私の期待と実際のエンディングはかなりギャップがありました。
数十分スタッフロール見た後だったので、「え、こんだけ?」という気持ちの方が先に出ました。

エンディングを物足りないと思った背景

エンディングがうまく自分にハマらなかった理由は幾つかあります。

一番大きいのは、ラストシーンで唐突に終わったように感じ、それまでとは演出や情報量のバランスが大きくズレている点です。
最初にも書きましたが、FF16は圧倒的な情報量と表現力でクライヴ達の物語に没入できるのがウリの作品です(少なくとも私にとっては)。
メインストーリーで説明のない部分は多数のサブクエストやハルポクラテスの備忘録などのシステムで情報を補完されていましたし、どちらかと言えば「大量の情報を浴びるのを楽しむ」という種類の体験でした。

ところが、戦いの後の結末に関しては情報が極端に少ないため、最後だけ急に梯子を外されたような感覚になったということですね。
最初からアレコレ考察させるような作りの作品ならばあのエンディングでも納得感があるのですが、この作品の途中までの流れはそういった雰囲気ではなかったように思います。

メティアって結局なんだったのだろう……?常に月の左下にあるのは天体の運動として不自然なので人工物ではないかと思いますが、想像の域を出ません。

他には長時間の体験に見合うかどうかで、FF16をクリアするには長時間(私の場合70時間)のプレイが必要だということです。
私自身、11日かけてクリアしましたが、1日平均6時間以上プレイしているわけで、その間は他の趣味を諦めていました。ネタバレ回避のためにSNSも制限していました。
要するにFF16をプレイするために色々犠牲にしているわけです。
その分に見合う満足を得たいという心理状態であれば、わかりやすいハッピーエンドを望む気持ちもどうしても強くなりますね。

最後に。これはエンディングだけの問題ではないですが、私のように終盤のオーディン戦~アルテマ戦で「バハムート戦ほどは満足できなかったな」と思ったプレイヤーにとっては、単純にそうした不満がエンディングにぶつけられる可能性があります。
サブクエも終盤で大量発生したりもするので、かなり長い時間「ちょっと物足りないな~」という感覚があり、それをどこかで解消しなければいけないわけです。
しかし、それが叶えられないままエンディングを迎えると……「えっ、これで終わり?」と感じやすくなりますね。

不満点もあるが、面白かったのは事実

長々と書きましたが、私の感想は以下の3点に集約されます。

・物語にものすごく没入できたしキャラクターも好きになれた
・とにかく召喚獣バトルがアツい。特にタイタンとバハムートは最高
・オーディン戦~エンディングはやや消化不良だった

良いところは凄く良かったし、それだけに残念な部分もあります。

人の印象は「ピークエンドの法則」に支配されると言われています。
つまり、一番面白かったところ(ピーク)と最後の瞬間(エンド)の平均値が全体の面白さの主観を表すということです。
私は終盤で消化不良感があったのでその分マイナス点が多くあるように感じましたが、それでもバハムート戦まではPS5史上最高のゲームくらいの気持ちで遊べたこともまた事実です。
だからこそものすごく惜しい体験でしたが、そもそも制作側が私のように「迫力とテンションが最大のウリ」と思っていたかはわからないので、単純に私と制作側の考えの相違なだけかもしれません。

特に、エンディングに関しては価値観の相違だと思えば仕方ないかもしれません。
でも、せめて、クライヴとジルの「その後」を見せて欲しい……!!
想像するのも良いですが、やはり公式が見せてほしい気持ちが強いです。
せっかくのリッチな映像体験なんだから、ユーザーの脳でそれに代わるものを生み出せというのは正直厳しいものがあると感じました。

見られると思ったのに……

……ということで、この辺りで終わりにしたいと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

もちろん人によってどの要素に何を感じるかはかなり個人差があるので、私の感想に納得する部分もあればそうでない部分もあるかと思います。
今回は私の率直な感想を書かせて頂きましたが、もし気に入って頂けたらスキやフォローをお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?