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年のはじめは何度でも...

多くの人は、新年までに...という理由で、年末を忙しく過ごす。
新しいカレンダーが始まる1月1日はピッカピカの新年で、日の出は特別パワフルに感じるし、今年の抱負も目を覚ますめでたさだ。前日までのネガティブなことも、去年のこととして片付けてしまえるこの節目は、生きていくうえでなんと有用な社会的工夫だろう。

ところが、心機一転を願う気持ちとは裏腹に、大掃除などは完璧とは言い難く、特に自分自身のための些細なことは新年までに間に合わないことも多々ある。知らん顔しているけれど、これって結構ストレス。

大人になってからは、お歳暮のごあいさつ、クリスマスのサンタ代行、おせちの用意、大祓、年越しそば等々をなんとかそれなりにこなし、紅白歌合戦で家族でしばし団らんを楽しむも、やれ初詣だ、お屠蘇だ、お年玉だ、お年賀だ...と、結構忙しくバタバタと過ごすのが常で、その後は休んでいたい。つまり仕事始めの頃はまだエンジンがかからない...どうする?

数年前から、カレンダーの1月1日以降に数回の『年始』を採用している。
これが精神衛生上なかなか良い。

私たちが日常的に使っているカレンダーは、新暦グレゴリオ暦というもので、明治5年12月2日の翌日に導入され、その日が明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)として、1年の最初の日になったものだ。
それまでは天体の動きを基準にした太陰太陽暦を採用していて、今も旧暦として、二十四節気や雑節はカレンダーに記載されている。
12月がほぼごっそりなくなった時、どんな大変なことが起きたのか、想像してみると面白い。落語にあるような年末の借金清算などはどうなったのかしら...(笑)

そもそも暦は1年周期で繰り返す気候を農作業の目安にするために、1年を分割して、名前を付けたのが始まり。まあ年間作業予定表みたいなものだから、最初は、王様が今日からスタート!と決めた日が、その暦の最初の日1月1日。時代を経て、天体観測をしながら暦と気候のずれが調整されるようになり、より精度が高い暦へと改良されてきた。
今私たちがカレンダーで使っているのは、1582年ローマ教皇グレゴリオ13世が発布したグレゴリオ暦。冬至明け最初の新月の日を1月1日としたユリウス暦(紀元前45年発布)では春分点がずれてしまい、復活祭の司祭を執り行うのに支障をきたすため、春分点基準3月21日に改暦したものだ。春分点を基準に1月1日が決まっている。

1582年と言えば本能寺の変と同じ年で、こんな頃にこんなに長く使える暦が作られていたのも驚きだ!
余談だけれど、改暦の重要性に触れるなら、江戸時代の天文歴学者 渋川晴海(安井算哲)の生涯を描いた「天地明察」(冲方丁著)を読むのもお勧めだ。コミック、映画もある。

1年の気候のサイクルは天体の位置関係からできているわけだけれど、文化や社会的有効性によって、地球上のこの世界における1年のスタート地点が選ばれているにすぎない。今の世の中で、まったく違う時間の刻み方をしている暦をバラバラに使っては不便だけれど、かといって、大事な人生を数字が並ぶ暦に追われて過ごすのもなんだかもったいないように思う。
同じ暦を大きな流れは天体の動きでチェックしながら、実際の生活に使うカレンダーは自分に都合のいいものを採用してもいいんじゃないかなと思っていて、旧暦と言われる二十四節気や月齢、地球暦を愛用している。
地球暦は1年のサイクルを俯瞰できるから、旧暦も感覚的にわかりやすくておすすめだ!


さて本題に戻ろう。
カレンダーの1月1日以降に数回の『年始』を採用しよう!という話。

まずは旧暦の1月1日である旧正月。これは、雨水(2月19日頃)直前の朔日(新月の日)にあたる。中国・香港・台湾・韓国・ベトナム・モンゴルなど、グレゴリオ暦(新暦)の新年よりも盛大に祝う国も多い。
同じアジアのあちこちで、1年の始まりが祝われ、たくさんの抱負があふれると思えば、元氣も倍増するというものではないかな?
この旧正月は、月と地球の関係で1年を刻む旧暦カレンダーの新年最初の日というわけだ。王道っぽいでしょ!?

旧暦は実際の気候とマッチしないと言われることもあるけれど、カタチの変化が見える月は、日々の流れがわかりやすくて、生活の伴走者にぴったり。何もない新月から半月後の満月に向けて月が満ちていくように、行動を重ねて、そして振り返る。半月くらいなら、意図も忘れず保ちやすくてちょうどいい。旧正月に限ったことではないけれど、新月はじめ、満月はじめもここ数年のお気に入りだ。


そして立春! 春の気配が立つ日ということだけれども、2月4日頃で、寒さの真っ最中だから、「暦の上では春ですが...」と言うのも決まり文句になっている。前日の節分には、鬼たる災厄を豆を打って祓い清めて、新しい季節を迎えるという流れだ。

立春の”立つ””という字は、未来に向けて意志をもって起こすこと。寒さの中で、春に向かおうとすることではないかと思う。
実際にはまだ寒い時期だからこそ、種が発芽の準備を始めるように、自分自身の中で新年をスタートするのに最適な時期だなと感じている。
もう一つ大事にしたいのは、次の季節への移行期、準備期間となる約18日間の”土用”の存在。最近は夏の土用の丑の日ばかりが知られているけれど、旧暦では春、土用、夏、土用、秋、土用、冬、土用と、四季の移行期として各々土用が置かれている。この間は、土の神様担当の期間だから、土を動かす作業は基本的に控えることになっていた。ストレスの多い現代ではなおさらのこと、このような活動を抑えて重点的に心身をケアする時期があると、無理や焦りが抑えられる。季節が変われば、着るものや食べものも変わるから、生活リズムや環境、食事、体調などを見直す時期として活用している。
四季の節目に”立”という字が付いているのも、季節の変わり目に”土用”の期間が置かれているのも、志を立て、慣れ慣らしていく文化ならではの智慧と感心する。この知恵を生かして、立春前日までの土用の期間に、丁寧に心身をケアして調え、本来の自分を取り戻し、希望を探り、志に磨いていく。立春に志を立て、調べたり、年間計画をつくったり、本氣を深めていくのを春のエネルギーが後押ししてくれる。

この立春も前述の雨水も、二十四気の一つだ。
二十四節気(にじゅうしせっき)とは、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもので、つまり太陽と地球の関係で1年を刻む暦。

二十四節気の中でおなじみなのは、祝日にもなっている春分と秋分。
真東から日が昇り、真西に沈む日でもある。
北半球では、昼と夜の長さがほぼ等しくなる春分から日が伸び、昼が最も長くなる夏至を経て、日が短くなり、秋分でまた昼と夜の長さがほぼ等しくなり、昼が最も短くなる冬至を経て、再び春分へと向かっていくサイクルが1年だ。
夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を合わせて二至二分(にしにぶん)、季節の節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を合わせて八節(はっせつ)という。
春分と秋分は、ご先祖をお迎えするお彼岸だし、夏至や冬至にも、世界各地で様々なお祭りがおこなわれてきた。身近にもいろいろあるはず。

数字が並ぶカレンダーではわかりにくいけれど、二十四節気は太陽と地球の位置関係から捉えるとわかりやすい。
地球から見た空を一つの球体(天球)だとすると、太陽は12個の星座(黄道十二星座)がちりばめられた天球を一年かけて一周するようにみえる。この移動する道を黄道という。
地球の赤道面を天球へ延長し、天球上にできる大円(天の赤道)に対して、黄道が南から北へと交わる点が春分点。黄道にそって春分点からはかった角度が黄経で、春分は0度、夏至は90度、秋分は180度、冬至は270度となる。


春分は、太陽の周りを地球が360度巡る1年のスタート地点。
もちろん『年始』に行動を始めるには最適だろう。厳しい寒さが緩んで、若芽が伸び、冬眠していた虫や動物も目を覚まし、花が咲き、生命力がみなぎっていくのを感じる。春の日差しは、すべての命を優しく祝福しているようで、人間もウキウキと行動的になれる。年度替わりで環境的な変化も多いし、髪形やメイクを変えてみたり、新しい自分で歩み始めるのも、新しいチャレンジを始めるにも、軽やかに取り組みやすいだろう。

凝縮していたエネルギーを広げ、発展に向けてゆるぎないベースを作る春。
華やかで浮かれているようにも見せながら、花が咲くのも、動物たちが恋をするのも、子孫を残すという大仕事のための大事である。
立春の”立つ””という字は、未来に向けて意志をもって起こすこと。
寒さの中で、春に向かおうとすることではないかと思う。
立春に志を立て準備を始め、春分に行動開始してご縁をつなぐ。

カレンダーの1月1日以外にも、『年始』はある。
全てを一度に終わらせてから一度に始める必要はないし、段階ごとに新年を始めるのも無理しないコツ!だろう。 一緒に季節を感じる仲間が増えたら嬉しいな。


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