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「運動中に水を飲むな」という昭和の教育は日本軍起源説は本当か?


日本軍由来の慣習?

 先日、Twitterであるツイートが流れてきた。趣旨を要約すると次のとおり。(以後、強調部はすべて筆者によるもの)

  • 昭和の学校体育では運動中に水を飲ませなかった

  • 戦時中に日本軍が行軍中に不衛生な水を飲んで腹を下した

  • その教訓が歪んで伝わったことが由来

 概ねこんな感じ。何年か前から見ますよね、この趣旨のツイート。

 調べてみると、おそらく最初に話題になったのは2016年8月のツイートが発端のようですが、現在はツイート主が削除している。だが、togetterまとめが残っていた。

 togetterまとめでもツイート主が自分のツイートを削除してますが、タイトルがもろツイートまんまだったので内容は分かりますね。当時のツイートの反応については、引用RTの多さで分かります(下記URL)。

https://twitter.com/search?q=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fanojifurumonoya%2Fstatus%2F770633420816777216&src=typed_query&f=top

 当時、自分もこれをRTしたような記憶がありますが、よくよく考えてみると眉唾な話だと思い直した。というのも、私が中学生の頃、昭和に学生だった体育教師が「当時は運動中に水を飲ませなかったので、部活中にあまりに喉が乾いて苦しいから、グラウンドの脇に流れている江戸川の水を隠れて飲んだことがある」と語ってたからだ。喉の乾きの前には禁止も無力。まさに本末転倒。

 ただ、あまり関心もなかったので放っておいたが、前述の通り、今でも類似のツイートを見かけるので、実際のところどうなのか調べてみることにした。

運動中の飲水禁止日本軍起源説の例

 昭和のスポーツにおける「運動中に水を飲むな」が日本軍が不衛生な水を飲んで腹を下したことからの教訓という言説は、ちゃんとした体育学研究者の文章で確認することができた。新体育社の『新体育』1980年7月号に「運動中の水分摂取の是非について」という記事がある。執筆者は順天堂大学の石河利寛教授だ。

 運動中に水分を摂取してはいけないというのは、むかしから言われていることである。何故このようにいわれているかその理由はわからないが、私は自分なりにつぎのように推定している。
 日本は明治時代の日清、日露戦争以来、第二次世界大戦に至るまで事あるごとに中国大陸に出兵していた。中国大陸は日本とちがって天然の水が悪く、飲用に適しない場合が多い。したがって中国滞在中は水をむやみに飲まないようにし、また行軍時にも水筒の水を大切にしてできるだけ水を節約するように留意することは当時の大切な心掛けであったにちがいない。このことがスポーツの場合にも適用されて、スポーツ中に水を飲むなといわれるようになったのではなかろうか。

石河利寛「運動中の水分摂取の是非について」『新体育』1980年7月号, 新体育社

 ほぼTwitterに出回っている言説と同じものだが、著者の石河自身が認めているように、「理由はわからない」「自分なりの推定」であり、かなり根拠が薄いのだ(そもそも根拠となる出典提示もない)。 

 石河は続けて、「水を飲んではいけない理由として、水を飲むと沢山の汗をかき、その結果疲れるためとされている」と、当時出回っていた言説を紹介するが、数々のデータを提示した上で、運動中は水を飲むべきだと結論づけている。また、この記事は1980年頃に運動中の水分補給を巡って是非が分かれていたことが窺える点で興味深い。

 石河によるこの記事は、あくまで運動中に水を飲むべきかの是非に焦点が置かれており、「運動中に水を飲むな」の起源については触りで触れているだけだ。あくまで話の枕の中で推測を披露しただけに過ぎないことに注意を要する。そういった本来の趣旨を離れ、日本軍起源説の大元となった可能性はあるかもしれない。

明治の油抜き水抜き運動法

 さて、ここで結論を先に出してしまおう。我が国における「運動中に水を飲むな」の起源は、現在の運動学では明治時代の武田千代三郎『理論実験競技運動』(明治37年(1904年))にある「水抜き油抜き」トレーニング法に求めるものが主流のようだ。(なお初出は1902年の『教育界』連載での紹介)

武田千代三郎『理論実験競技運動』表紙 国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/859911/ より

 坂本ゆかり「運動時の水分摂取をめぐる史的背景」(1983年)によれば、『体育新書』(明治12年)、『高山氏小学生徒心得』(明治13年)に、運動後の冷水摂取・食事をしてはならないという記述がみられるものの、予防医学的な観点にとどまるもので、一般飲食の原則がそのまま運動に拡張されたものと坂本はみている。

 坂本によれば、トレーニング理論としての「運動中に水を飲むな」の登場は、前述の武田千代三郎『理論実験競技運動』にあるという。東京大学予備門の英語教師ストレンジは、英語教師ながら日本の体育界の育成に努めた人物で、武田はストレンジから欧米のスポーツ理論を学び、その死後に『理論実験競技運動』を著した。その中で重要視したのが、この「水抜き油抜き」であったという。

 「水抜き油抜き」の理論的背景として、武田は次のように述べている。

 水抜きに依りて不用の水分を駆出すると、第一に汗が少なくなる。次には血液が濃厚になりて、多量の酸素を吸収し得る様になり、機械的及び化学的に著しく心臓の労働を減少する。体勢訓練を正式に行ひたる競技者は如何なる劇働中でも比較的心臓の鼓動が静かにして長く其の拍子を乱さないのは全く此の理由に因るのである。

武田千代三郎『理論実験競技運動』

 武田はこのように主張したが、現代の医学的知見からすると、汗で体温調節するため発汗しないのは危険であり、また酸素吸収はヘモグロビンが関連するが血液が濃くなってもその数は変動しないので効果がないと桐蔭横浜大学教授の今泉隆裕は指摘している。(「「水飲むな!」「根性見せろ!」の起源(1)」『Sportsmedicine』2018年 NO.216)

 このような体内の余分な水分・脂肪を排除することを主眼においたトレーニングの具体的な手段として武田が推奨していたのが、厚着や重ね着をした上で数里の道を歩く「重衣歩行」だった。武田は「重衣歩行は水抜き油抜きの功を奏すると同時に両脚筋肉を肥大強靭ならしむるものであるから一切の競技運動の基本運動と言ふべきもの」とまで書いている。

 これを水分摂取を伴わず行うため、当然過酷なトレーニングになる。しかし、武田はそれを認めつつ、次のように書いている。

 此の鍛錬は極度の意力を要するものであって、容易なことでは出来ない。もしよく其の苦に耐へ得たならば即ち其の人は見事己れに克ち得たる人であって、競技場裡己よりも優たるものに出会ふて敗を取るとも毫も憾む所ではない。

武田千代三郎『理論実験競技運動』

精神鍛錬としての水抜き

 つまり、この水抜きトレーニングを耐え抜いた人は己に勝った人であって、例え競技場で自分より強いヤツに負けてもなんら恥じることはない、と武田は言っているのだ。結果よりもトレーニング過程を重視しており、精神鍛錬の色彩を帯びている

 このような武田の主張について坂本は、「トレーニングによって人を身体的にのみでなく精神的にも鍛えようとし、その両者の鍛錬を目的とした飲水制限が行われたのである」とし、それが精神的鍛錬のみが独り歩きする事態はあり得たと述べている。

 今泉によれば、武田が兵庫県書記官時代に御影師範学校で「水抜き油ぬき」を実践したことで広く知られるようになったという。また、武田は内務官僚で、1913年(大正2年)には大日本体育協会副会長に就任し、1917年の京都・東京間リレーを「駅伝競走」と名付けるなど、政治面でも体育教育面でも大きな影響力があったと考えられる。

 この「水抜き油抜き」は、日本で初めて系統的な運動生理学書を著した吉田章信にも受け継がれたと坂本は述べている。「運動中に水を飲むな」は、既に戦前の段階で日本の運動理論に取り入れられていたことになる。

 また、昭和8年から9年に、日本陸軍で歩兵の戦技や体育教官育成を担う陸軍戸山学校で、節水(無水)行軍研究が行われている。この研究で精神的事項が重要視されていることを坂本は指摘し、当時の体育への影響を次のように述べている。

 この節水行軍研究は、戦争という特殊事態がもたらした時代的要請の産物であり、節水をそのまま運動中の飲水制限に結びつけることはできない。しかし、軍隊と密接にかかわって発展してきた過去の体育・スポーツの歴史を振り返るとき、ここで培われた精神は今なおその影響を払拭しきれないでいるといわざるをえない

坂本ゆかり「運動時の水分摂取をめぐる史的背景」
『Japanese journal of sports sciences』1983年6月

 なお、筆者が調べた所、『陸軍戸山学校略史』の中には、既に昭和4年夏に研究演習として、茨城県鹿嶋町から大洗付近(現代の道路でだが、Google Mapで計測すると約40kmである)まで完全武装で水を飲まずに節水行軍したことが回想として記載されている。もっと長期間、広範に行われた研究である可能性があるだろう。

戦後のはなし

 ここまでは戦前の運動中の取水制限について取り上げた。では戦後はどうだったのだろうか。それについて述べた論文等を見つけられなかったので、自分なりに調べたことを記したい。

 日本体育大学教授の宮島俊名『体育医学・運動医学』不昧堂書店(1960年)中にある「運動中の飲水」に次のような記述があった。

 ……しかしこのような発汗の激しい時期に水を摂取すれば、血液の水分を増加して血液浸透圧を低下させるので、血中水分は組織に移行し、それらは汗となって失われるので、更に発汗が増加する結果となり、それにともなって血中の食塩も汗とともに失われる。したがって、運動中の水分補給はあまり意味がなく、かえって疲労が速く出現したり、持久力がなくなったりする原因ともなる。
 そこで血液浸透圧を保つために、食塩と十分に摂取(1日20~25g)しておくと、飲水しても発汗しにくい。また食塩水や砂糖水を摂取しても発汗しにくくなる効果がある。したがって運動中の水分の補給は少量ずつ行ない、失った水の3分の2以上の補給を行なわずに、運動終了後の十分の補給を行う方がよい。
 また練習時に水分の補給を少なくして鍛錬していくと、次第に運動中の水分代謝が発汗量が調整され、疲労しにくく、持久性がでてくるようになる。

宮島俊名『体育医学・運動医学』不昧堂書店(1960年)

 運動中の水分補給にあまり意味はないが、食塩を十分に摂取しておけば、飲水しても発汗しにくく効果がある、という趣旨だ。また、完全な禁止ではないが、節水鍛錬によって持久性が出ると肯定的に捉えている。ある程度戦前の影響が窺える。

 ここで、今現在は運動中の飲水についてはどう指導されているのか。日本スポーツ協会『スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブック』(2019年)によれば、体重減少を2%以下におさえる事が水分補給の目安であり、具体的な方法論として『「のどの渇き」に応じた自由な飲水』を推奨している。

 戦前から現在に至るまで、飲み過ぎによる害は指摘されてきた。みんな大好き『K2』の262話にも、水の飲み過ぎで水中毒(低ナトリウム血症)を起こす陸上部員が登場する。それで「自由な飲水」って大丈夫なのかと思うが、渇きに応じた自由飲水でちょうど適量の水分補給が行われることが多くの研究で示されているそうな。よほどのイレギュラーでない限り、飲み過ぎは心配しなくていいようだ。

 もっとも、これはトレーニング理論ではなく、あくまで熱中症予防の方法であることは注意が必要かもしれない。しかし、現在の甲子園でも球児は自由に飲水ができる環境が整えられており、特に夏季の水分補給無しの運動はありえないだろう。筆者が確認した近年のスポーツ誌でも、運動中の水分摂取禁止は迷信とされている。

 日本初のスポーツ飲料であるポカリスエットが登場するのが1980年。調べている中で、ちょうどこの頃が「運動中に水を飲むな」の転換期だったように感じられた。例えば、前述した石河の1980年の論文は、運動中に水を飲むなという言説に対する反論であった。また、坂本の論文も1983年の発表で、その冒頭は「近年、スポーツ飲料がとりざたされるようになり、運動時の水分摂取が問題となっている」から始まっている。ポカリスエット登場と同時期に運動中の水分摂取が議論になり、水分摂取が容認されるようになったのかもしれない。そういえば、冒頭に書いた中学の体育教師が中高生だったのも80年代だ。

日本特有の現象か?

 さて、この運動中の水分摂取制限は日本特有の現象なのだろうか。明治に外国人に師事した武田が発端なら、外国起源ということになる。

 武田の「水抜き油抜き」の元ネタは1813年にイギリスで出版された指導書だと国際日本文化研究センターの牛村圭教授が明らかにしている。しかし、武田の紹介した方法は原著通りでなく、原著で3〜4週間で週1回行う頻度だった訓練を、1週間毎日連続に改変されているという。([木曜セミナー・リポート]第273回木曜セミナー「比較文学で明治期陸上競技を読みなおす」(2022年11月24日)

 武田がかなり改変したとなると、日本特有のものなのか。日本特有論をとる研究者として、筑波大学体育系教授の真田久がいる。『スポーツゴジラ』2013年23号の「日本人と水分摂取」の中で、「日本特有の考え方だったと思います」と述べている。

 だが、宮川達・麻見直美「運動時の水分補給に関する変遷ならびに日本における運動習慣のある若年成人の現状と課題」(2011年)によれば、かつては海外でも次のような精神論がまかり通っていたという。

1960年頃は、スポーツ科学がまだ発達しておらず、アメリカをはじめとする多くの国では、 スポーツコーチの間で、厳しい訓練を乗り越えることで強くなると信じられていた。防具を着用するアメリカンフットボールの選手では熱中症による死亡者が10年間で50名近くいたと言われている。また、マラソンはポピュラーな競技ではなく、その競技人口は少なかった。水分補給の重要性については広くは認識されておらず、ルールによって開始10kmまでは水分補給が禁止されていた。1988年のマサチューセッツ警察訓練校においては、士官候補生50人に対して、「トレーニング初日」、「暑熱下」、「水分制限」という環境で複数の体操とランニングドリルが行われた結果、一人が熱射病で倒れ、横紋筋融解症による腎不全のため透析を受けることとなり、さらに肝不全も併発し死亡した。その他の14人も横紋筋融解症により入院し、うち 6人が急性腎不全のため血液透析を受けた。

宮川達・麻見直美「運動時の水分補給に関する変遷ならびに日本における運動習慣のある若年成人の現状と課題」『筑波大学体育科学系紀要』2011年3月

 宮川・麻見によれば、こうした風潮も1965年に登場した世界初のスポーツ飲料ゲータレードを、フロリダ大学のアメフトチームが公式に使い始めた1967年の大会で優勝したことで、スポーツドリンクの効果が知られるようになり、水分に対する関心が高まっていったという。

 (公開後、2/10 12:45追記)また、坂本も1940年代に水分摂取の有効性に関する初期の研究を行ったJonsonの研究を提示し、その中でJonsonは「水分摂取は有害であるという憶測に基づいて作業中に水分摂取を制限する習慣が古くから確立されているが、これは鍛錬や精神力を養うという理由では正当化されるかもしれないけれども、生理学的な立場からいえば全くの誤りである」と述べているという。つまり、欧米にも古くから精神鍛錬的な意味での水分摂取制限が存在していたことになる。

 恐らくは、日本のみならず、かつては海外に運動における根性論は幅広くあったと思われる。しかし、飲水制限に関しては、スポーツ飲料の登場で水分摂取についての議論が喚起され、次第に運動中の飲水が認められるようになったようだ。

結論

 これまでの結論をまとめよう。

  • Twitterで拡散されていた「運動中に水を飲むな」日本軍の腹下し反省起源説は怪しい。しかし、Twitterオリジナル言説ではなく、昔の研究者も述べていたもの。

  • 日本陸軍の節水行軍研究の影響はあった可能性がある。

  • 学術的には武田千代三郎「水抜き油抜き」起源説が有力。

  • 昭和日本特有ではなく、かつては世界中にあった。

 以上になる。

 最後になるが、筆者は運動生理学についてなんの知見もないトーシローであり、妥当と思われる論文資料からこれを書いたので、とんでもない落とし穴が待ち受けている可能性は否定できない。詳しい方おられましたら、ツッコミ頂けると幸いです……。

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参考文献・サイト等

石河利寛「運動中の水分摂取の是非について」『新体育』1980年7月号, 新体育社

坂本ゆかり「運動時の水分摂取をめぐる史的背景」『Japanese journal of sports sciences』1983年6月, 日本バイオメカニクス学会

今泉隆裕「水飲むな!」「根性見せろ!」の起源(1)『Sportsmedicine』2018年 NO.216, ブックハウス・エイチディ

鵜沢尚信『陸軍戸山学校略史』1969年

宮島俊名『体育医学・運動医学』(1960年),不昧堂書店

日本スポーツ協会『スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブック』(2019年)https://www.japan-sports.or.jp/medicine/heatstroke/tabid523.html

[木曜セミナー・リポート]第273回木曜セミナー「比較文学で明治期陸上競技を読みなおす」(2022年11月24日), 国際日本文化研究センター, https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/mokusemi/2022/11/24/

真田久, 長田渚左「日本人と水分摂取」『スポーツゴジラ』2013年23号, NPO法人スポーツネットワークジャパン

宮川達・麻見直美「運動時の水分補給に関する変遷ならびに日本における運動習慣のある若年成人の現状と課題」『筑波大学体育科学系紀要』2011年3月

星秋夫, 今泉隆裕, 廣瀬立朗, 樫村修生「運動時の水分補給に関する歴史学的考察」『日本スポーツ健康科学誌』2019年10月, 日本スポーツ健康科学学会


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