「書く」を仕事にする
ある日、思いがけぬ処に水が湧いた。水はすぐに小さな流れになり川になり僕を導いた。
59歳である。来年還暦を迎えるのである。こんな未熟者が果たして還暦など迎えていいのだろうかとつくづく思っている。40で惑わず50で天命を知るどころか、60を間近にして天命すら見つからず惑いっぱなしで恥だらけの人生だ。でも「未熟」ということはまだ伸びしろがあるのだと、都合の良いように勝手に自己解釈するのである。そして、未熟者である故にいくつになっても挑戦者でありたいと思っている。
13年間のタクシー乗務生活に今月でピリオドを打つことにした。9月からは地元(奄美大島)の新聞社で記者をすることになった。ようやく「書く」ことが仕事に繋がりそうな、そんな流れが出来てきた。新たな挑戦である。
「新聞記者」は私情を挟まず事実を事実としてありのままの情報を発信しなければならない。そして決してそこに誤りは許されない。自分の書きたい物と記者として書かなければならない物。それは相反する物になるのかもしれない。でも万人に向けての「書く」を生業にする以上、それは避けられないことなのだろう。相反する物。奄美大島の「世界自然遺産」に対しても、いまだに違和感しか抱いていない。果たして島っちゅ自身(自分も含めて)が「世界自然遺産」としてのこの島を、どれほど理解しているのか甚だ疑問なのだ。この島の大自然と歴史と文化をどれほど認識しているか。「奄美大島」は紛れもなく「世界自然遺産」に相応しい島だ。しかしながら、そこに暮らす島っちゅの意識がそれに追っ付くかどうか(もちろん自分自身も含めてだ)。まぁしかし、川はもう流れ出したのだ。水の流れを止めることは出来ない。私情など投げ捨てようと思う。自らのペンで奄美大島を発信する立場になったのだから。
人にも川がある。その川には分岐点が必ず訪れる。川の水は絶えることなく流れている。しかし、流れは突然思わぬ方向に分岐する。あの日突然湧いた水に、その流れに、僕は身を投じた。暫くはこの「流れ」に身を委ねてみようと思っている。本流から外れて思いもよらぬ支流に巻き込まれるかもしれない。あるいは台風に遇い本流ごと決壊するかもしれない。でも壊れた川はより強固な流れとなって必ず再生することを僕は知っている。そして、流れ着く先はひとつしかない。奄美大島のあの大海だ。目指すべき場所はひとつしかない。大海に向かって静かに流れていくだけだ。気負わずてげてげに。てげてげな挑戦は果てなく続くのだ。
と、この流れを作ってくれた友に感謝しつつ決意表明をする59の夏である。ひどい締めだ。
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