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峠の茶屋 @11

三太郎トンネルがまだできる以前の明治時代から大正時代にかけて、「三太郎峠」は住用と古仁屋をつなぐ重要な峠の道だった。その峠の頂上に、かつて三太郎茶屋があった。

畠中三太郎

畠中三太郎は農業指導員として鹿児島の川辺から奄美にやってきた。住用の自然に魅せられ、この地を開拓し農園をつくり、そして三太郎は夫婦でここに茶屋を営んだ。高低差がきつく、8kmにもおよぶ三太郎峠。峠越えをする人々や旅人は、この茶屋で畠中夫婦に手厚くもてなされて鋭気を養っていた。

しかし時は流れ、別ルートで自動車の通れる県道ができると、少し離れたこの茶屋にはすっかり人が来なくなってしまった。そして茶屋はとうとう店じまいすることになる。それでも峠を愛している三太郎夫婦はこの地に留まりつづけた。

昭和7年、三太郎が病に倒れると、妻のシゲもまるで後をおうように亡くなった。今は石碑だけが静かに峠を見守っている。

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