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咀嚼する

2018.09.29

Mの奥さんのお母さんが僕の勤務するタクシー会社の常連さんで、その日も無線を受けてお母さんの家へ向かった。お母さんはそわそわした様子で車に乗り込むと、「あぁ、どうしよう、どうしよう」と落ちつかない。娘さん(Mの奥さん)が突然倒れて県病院に搬送されたそうだ。「あぁ、夢であってほしい、あぁ神さま、あの子を助けてやって下さい」お母さんは泣き出してしまった。僕は掛ける言葉がみつからない。

似た光景を思い出していた。
 
7年前の3月11日、ぼくは品川を走っていた。ご乗車してきた女性はすぐに電話をかけはじめた。「しっかりして、ひろしちゃん、大丈夫だから、しっかりするのよ、泣かないでひろしちゃん、あなたがしっかりしないとダメよ」どうやら離れて暮らしている被災地の我が子を励ましているようだ。電話を終えた女性。フーッとため息をついて、そして、ワーっと今度は自分が泣きだした。ぼくは掛ける言葉が見つからず、ただ「大丈夫ですよ、大丈夫ですよお母さん」としか言えなかった。 

半世紀以上も生きてきて、こういう時にどう対応すべきかさえもわからない。

今日のお通夜はたくさんの人で溢れていた。僕は仕事中だったので線香だけあげてすぐに帰ることにした。参列者に挨拶をしているMに声を掛けると、Mは「あ、じゅんぎ、お義母さん送ってくれてありがとね」と気丈に笑ってくれた。化粧を施された奥さんの顔はしずかに眠っているようだった。


2019.08.27

永田墓地に向かうと、大きなガジュマルの木陰でMのお義母さんさんが待っていた。「墓参りですか?」「今日は娘の月命日なのよ、もう1年になるけどまだ胸の奥が苦しいの。どうしたもんかねぇ」と笑いながら話すお母さん。そうか、あれからもう1年経つんだ。

「最近、お義母さんよく乗るみたいじゃや」
と、2日後にMが笑いながら乗ってきた。たまにMは乗るのだが、1年前に亡くなった奥さんの話は決してしない。しかし、今日はあの日の様子を切々と語りだしてきた。「悲しみがいつまでたっても消えんちば」と言うM。

この10月でUちゃんのお父さんが亡くなって2年になる。お盆で帰省していたUちゃんが乗ってきた。「お母さんは元気かい?」
「うん、母ちゃんはすごく幸せに過ごしているよ」。娘ふたりはもう家にはおらず、旦那さんを亡くしてひとりになったUちゃんの母親は今、施設で暮らしている。認知症を患っている母親は、最愛の旦那様が亡くなったことすら理解していないらしい。「でもね、父ちゃんが亡くなったのを知らないまま余生を送った方が、母ちゃんにとっては一番の幸せよ」と、Uちゃん。なるほど、確かにその方が幸せなのかも。


それぞれの悲しみがあり、それぞれの幸せがあり、そしてそれぞれの人生がある。

人間なんてほんとうにもろくて弱いものだ。同時に人間ほど強いものはないと思う。

悲しみや心の傷を癒すということは、決してそれらを忘れ去ることではないと思う。忘却からは何も生まれない。悲しみも傷も、それらの総てを事実として認め噛みしめ咀嚼し、全部呑み込まなければならない。そしてそれが消化できたとき、それらは言葉になり文章になり行動になり、初めて傷は消えてゆくのだと思う。いや、言葉にし文章にし行動することによって、事実がうまく咀嚼でき、呑み込むことができるのかも知れない。立ち直るのは自分自身の力なのだ。

人間はそれができる生き物だから強いのだ。言葉にできたMは、もう既に立ち直ってるのだろう。そしてさらに強く優しくなっていくんだと思う。


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