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和光園の火葬場跡と旧納骨堂 @27

日本国内にハンセン病の療養所が13ヶ所ある。その中のひとつが奄美大島の和光園だ。

山の裾野にある園内は緑ゆたかな場所だ。診療棟の脇から奥に進んでいくと、家屋や集会所やカトリックの教会まである。広い敷地内の池には色とりどりの錦鯉が泳ぎ、池の横には大きなディゴとガジュマルが悠然と聳えている。その敷地を更に奥に進み山に入っていくと、そこはとたんに草木に覆われた深い森になる。

火葬場跡はすぐにわかった。朽ちた小屋は背後から木が覆い壁にまで草が生えている。割れたガラス窓から中を覗いてみると、レンガ造りの焼き場があった。その焼き場から煙突がまっすぐに伸びている。

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さらに奥に進むと旧納骨堂があった。この納骨堂はつい最近改修されたばかりで真っ白に塗られたペンキが逆に生々しく感じる。まわりは綺麗に整地されている。

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以下、新聞よりコピー

2019年2月14日
 
▽ 旧納骨堂の補修完了 奄美和光園 歴史的建造物保存へ ▽
 
 奄美市名瀬の国立療養所奄美和光園(加納達雄園長、入所者24人)はこのほど、旧納骨堂の補修工事を終えた。厚生労働省が進める歴史的建造物保存事業で、同園では初めて。並行して既存施設を改修した歴史資料館の整備も計画しており、一連の施設をハンセン病隔離政策の歴史継承や問題啓発活動に活用していきたいとしている。
 
 保存事業は全国13国立療養所の施設が対象。選定に際しては▽隔離政策の歴史を象徴▽建築史的価値―が考慮された。和光園では入所者へのヒアリングを基に保育所跡や旧火葬場などをリストアップし、特に痛みの激しい旧納骨堂の改修を優先した。
 
 旧納骨堂は鉄筋コンクリート造平屋建て。1963年8月、園敷地最奥の小川近くの丘に建設され、85年まで使用されていた。
 
 設計は同市名瀬出身の彫刻家、故・基俊太郎が手掛けた。和光園の土地の一部が元々、基名義だったことも縁の一つと考えられる。
 
 2・8メートル四方のキュービック形で丸みを帯びた外観。建物全体を中央下のはりで支えるキャンティーバレー構造を採用し、浮いたように見える。厚労省の歴史的建造物保存等検討会の調査では「小規模ながら荘厳な雰囲気。療養所全体を見渡して最もデザインレベルが高い」と評価された。
 
 補修工事は2018年6月に着工し、9月下旬完了。壁面を白色に塗り、扉を修復した。周辺の草木は伐採して舗装し、旧納骨堂までの道路を整備した。総事業費は約2千万円。
 
 基の妻俊子さん(74)=東京在住=が3日、約9年ぶりに現地を訪れた。俊子さんは「屋根のドーム状のトップライト(天窓)は、扉を開けると室内へ光が差し込むように見える設計と聞いている。亡くなられた方が生涯を通じて味わった苦しみに対する主人のいたわりの気持ちではないか」と思いを寄せ、「改めて感激した。本当に素晴らしい」と感謝していた。
 
 同園は旧納骨堂の保存活用に向け、国有財産化の手続きを進めている。加納園長は「補修はできるだけ原形に近い形に戻そうと努力した。多くの人に見てもらうため安全面も考慮した。歴史資料館は19年度にも完成させたい」と話した。


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