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平瀬マンカイ @9

小学生のときに「マンカイ」というアダ名の1個上の恐い上級生がいた。恐いというのは暴力的な恐さではなく、いつも恐い顔をしているのだ・・マンカイ先輩の笑った顔を見た記憶がない。

そんな恐い顔のマンカイ先輩だが、同級生たちはいわゆるからかうつもりで「マンカイ」と呼んでいたのだと思う。でも当の本人は「マンカイ」と言われても決して怒ることはなく(顔は怒っているんだけど)、いつも平然と堂々としていてひるむことはなかった。そして下級生の僕たちともあの恐い顔のままよく遊んでいた(あんな顔なので遊んでても楽しいんだか楽しくないんだかよくわからなかったが)

ある日のこと、僕は油断してマンカイ先輩のことを口がすべって「マンカイ!」と、思いっきり呼び捨てにしてしまった。アッと思ったが遅かった。瞬時にケツに蹴りを入れられてしまったのだ。

あの頃、平瀬マンカイという祈りの儀式は、僕たち小学生にとっては忌み不気味なものだった。日の出とともに(ほんとは夕方なのだが)白い着物を着た女の人が波に打たれながらお祈りをする。想像しただけで身震いもんだった。もちろん実際に見たことなどなく噂話として聞いていただけで、ほんとにそんなものが存在するなんて思ってもいなかった。

当時の小学生の認識なんてその程度のものなのだ。いや、島っちゅのほとんどは伝統行事やその歴史的背景なんてほとんど興味がなかったんだと思う。たぶん、マンカイ先輩の母親もしくはご先祖は「平瀬マンカイ」に深く関わっていたのだろう(今、思うと)


ショチョガマを揺らしたその日の夕刻、僕は初めて「平瀬マンカイ」 を見に行った。

平瀬マンカイ

潮の満ちた海の中に2つの岩があった。神平瀬には女性のノロ神様5人が立ち、女童平瀬:めらべひらせには男女の神様7人が立っている。

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「神平瀬」の上の5人の神が手拍子で神唄を歌う。それに合わせて「女童平瀬」ではめらべがチヂンを叩き、男が手招きで一緒に神唄を歌う。その女童平瀬でめらべと男たちが輪になり八月踊りが始まると、神平瀬ではノロ神様が海の彼方のネリヤカナヤに頭を垂れる。

ネリヤカナヤから稲魂がおりた。

12人の神はそれぞれの平瀬から降りて、砂浜で「八月踊り」をいつまでも踊るつづける。


平瀬マンカイを見ながらマンカイ先輩の事を思い出していた。あのとき蹴られたケツの痛みを思い出していた。

かつてこの島は生と死が同居していた。いや、いまでも同居しているのかも知れない。死はいつもそこにあり痛みはたえずつきまとっている。

この「平瀬マンカイ」と「ショチョガマ」が400年途絶えることがなかったように(戦時中は一時途絶えたらしいが)、この島の痛みが突然止むことはないだろう。我々島っちゅはこの儀式を見ることで本当の島の痛みと歴史を知らなければならない。儀式を儀式として見るだけでは自分自身の痛みさえ見失ってしまうから。


対のバランス

日の出と共に山で始まるショチョガマは太陽のように力強い男の祭りだった。そして夕刻の満潮時に海で祈る平瀬マンカイは月のように厳かな女性の儀式だ。それは「男は力で家庭を守りシマを守り、女性は祈りで男を守り島を守る」というウナリ神信仰そのものなのだと思う。男がいて女がいてショチョガマがあり平瀬マンカイがある。

山があり海があり、ティダ(太陽)がありティキ(月)があり、潮が満ちて潮が引く。男がいて女がいて、アマミコがいてシニレクがいて、ショチョガマがあり平瀬マンカイがある。この島は全てのものが対(つい)になって存在しているんだと思う。そのひとつでも欠けるとこの島の存在理由は失くなってしまう。

この島は500年にも及ぶ他者からの侵略の歴史がある。琉球王国の支配下だった那覇世(なはんゆ)の時代、薩摩藩による圧政の大和世(やまとゆ)の時代、そしてアメリカ軍政下のアメリカ世の時代。

500年の間、その都度島っちゅたちは戦い続けてきた。それは力による戦いではなく祈り対のバランスによる戦いだった。山に祈り海に祈りティダに祈りティキに祈り、その全ての神に祈り大自然に祈った。男は女を守り女は男を守り神は島を守り島は神を守り神は大自然を守り大自然は神を守ってきた。祈りで島っちゅは外敵と戦い、対のバランスがこの島を外敵から守ってきたのだ。

何が欠けてもこの島は存在しない。一対になっているショチョガマと平瀬マンカイは奄美大島そのものなのだと思う。

2020年、平瀬マンカイは観客なしで関係者のみという形でかろうじて行われたが、ショチョガマは残念ながら中止になった。対のバランスは崩れようとしているのだろうか。この疫病は我々に何を訴えようとしているんだろうか。はたしてこの疫病は外敵なのだろうか。そして、世界自然遺産の登録もこの対のバランスを壊しはしないだろうか。ほんとに世界自然遺産は必要なんだろうか。それは外敵ではないのだろうか。誰でもない、島っちゅ自身が考えなければならない。

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