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ケンムンを探す旅 2 @30 2017.10.27 ~ 10.30


カケロマ日記 ⑨
3日目 10:00 嘉入

台風は昨日がピークだったようだ。雨も風も今日はそんなでもない。そして、ついに嘉入に到着。この地こそヤマケンがノウアガリして、そしてケンムンたちとゆらった場所だ。今日帰る予定だった船が台風の影響で欠航したため、ケンムン様に導かれるようにここまでやって来た。ゲストハウス「カムディ」に行くと、昨日の台風で水道が壊れたそうで、ちょうどそれを修理しているところだった。水が出ないことには泊まれない。

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ここまで色んな集落をまわってきたが、この嘉入が一番わんにしっくりくるかも。このさびれ具合いがちょうどいい。とりあえず夕方また来よう。(カムディで窪島とぅじゅとぅのこと話したら喜んでましたよ 笑)


カケロマ日記 ⑩
3日目 12:00 瀬武

稲留のおばあちゃんに「バンレイシ」の実を頂いた。釈迦の頭に似ているので別名「シャカト」と言うらしい。

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カケロマ日記 ⑪
3日目 14:00 実久

加計呂麻島の最西端にある実久。

ここに見事な珊瑚石垣があった。琉球石垣の整然と積まれた「亀甲みだれ積み」に対して、この「野積み」は乱雑だけど趣き深いものがある。

秋名や伊子茂の琉球石垣は集落のやや奥方にあり、富豪者あるいは権力者がそれを誇示するために造った(あくまでも想像です)ものだとしたら、この実久の石垣は完全に集落と一体化している。村人たちがせっせと長い時間を掛けながら、時にテゲテゲ休憩し酒を飲みながら、少しずつ少しずつ積み上げていったのだろう。

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巨大ながじゅまるの樹さえもが、この珊瑚石垣と同化している。そして昔懐かしい五右衛門風呂がその脇にあった。


カケロマ日記 ⑫
3日目 15:30 知之浦の途中

カムディに戻るにはまだ早いので脇道に入って知之浦に向かった。その途中、昨日の台 風でガジュマルが海の方に倒れていた。

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そして、後ろの山側を振り向くと・・とうとう見つけた戦跡の弾薬庫。しかし弾薬庫にしては小さくないか? それに海に近すぎる。でも戦跡には違いない。

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この場所を教えるために、ケンムンが目印としてこのガジュマルの樹を倒してくれたのだろう。ありがとうケンムン君。

少し先に慰霊碑があった。
加計呂麻島にはこんな慰霊碑がいたる所にある。戦争の爪痕が色濃くのこっている島だ。


カケロマ日記 ⑬
3日目 17:00 嘉入「カムディ」

カムディのオーナー李さんと、幸・和美・ヤマケンの話をネタにビールで軽く盛りあがる。

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今、あらためて見てみると二人ともケンムンに憑かれた顔をしてる 笑


カケロマ日記 ⑭
3日目 20:00 カムディにて

船は全て欠航になっているが海上タクシーは運行しているようだ。静岡から来た美女ふたり(名前わすれた)と、李さん・すみちゃんとゆらいかた。ケンムン君に会う前に1本目の焼酎「うかれケンムン」を開封してしまった。

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浜におりると、綺麗に割れた半月が雲のすき間から出たり隠れたり。星はそんなに見えないね。もうひとつの焼酎「龍宮」を開封。波の音しか聞こえない

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あと風の音。

ケンムンたちが来るにはまだ早いかな。ひとりで2本目の焼酎「龍宮」を飲み始める。

そういえばケンムンのために持ってきたゴサがいつの間にか車の中から無くなっていた。たぶん最初から積み忘れたんだろう。

少し寒くなってきたね。

ジャンバーでも羽織ろうか。

雲がだんだん少なくなり星がみえてきた。

李さんとメシはむかし一緒にしごとをしていたそうだ、メシ!さっきあっただまでんらしてたまげただろ!


いつの間にか眠っていたんだろう。 半月が目の前に安羅る。ヤマケンにメールしてションペンして、その後自分のいた場所がわからなくて李さんに連れていってもらって、龍子ちゃんに電話して、そこまでは覚えている。そうだ、母ちゃんにも電話しないと

ケンムンは まだこない。


スマホを充電してきた 笑 うとうとしていたがまだ意識ははっきりしている(つもり)。雲はすっかり無くなり星がたくさん見える。わんが大好きなあの星、四角形の中に星が三個並んでいるやつ、なんて言うんだっけ。あの星がいくら探しても見つからない。季節が違うのかい。ネパールのナムチェバザールで見た星空は手が届くようだったけど、ここの星はあれよりもちょっと遠い気がする。なんで故郷の星がネパールの星より遠いんだろう。わんの故郷は奄美じゃなくてネパールか? 星をこんなに眺めるのはほんとに久しぶりだ。ヤマケンから返ってきたメールをまた読みかえす。ヤマケンはとにかくケンムンに話しかけ、唄い踊りつづけ、そしたらケンムンがやってきたそうだ。わんも唄おうか、叫ぼうか、いや、もうじゅうぶん叫んだけど。充電から戻ってきたらタバコが無くなってるがね、はげ~っ、ケンムン、早く来いっちば!


カケロマ日記 ⑮
滞在4日目 11:00 須子茂

廃校になった須子茂小学校。入り口にでっかい見事なディゴの木が。

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カケロマ日記 ⑯
4日目 13:00 スリ浜

稲さんに会いたかったが不在。海はきれい。

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カケロマ日記 ⑰
4日目 13:30 スリ浜の先

スリ浜を少し行ったところに「ランチ営業中」の看板を発見。入ってみたら・・これがすごかった。細部にまでこだわったご主人のオール手作り。

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さて、この旅もそろそろ終わりだ。港へ向かおう。


カケロマ日記 ⑱
夕刻 生間の港にて

昨夜の嘉入での浜のことを回想してみる。

20時ごろから飲み始めたのだろうか。まだ早いとは思ったけどね。半月が輝いていた。最初のうちは雲が多くて星は見えなかったが、程よく酔っぱらった頃にふと空を見上げると沢山の星が出ていた。
 
だんだん寒くなってきてジャンバーを取りに宿に帰った。それを着て浜に戻ってまた焼酎を飲みウトウトしていたら、李さんが心配して毛布を持ってきてくれた。とにかく寒かった。
 
なんでケンムンは来ないんだ。こんなに祈っているのに、こんなに叫んでいるのに、こんなに恋い焦がれているのに。わんはケンムンを恨んだ。加計呂麻を恨んだ。奄美を恨んだ。ヤマケンを恨み、李さんさえも恨んだ。
 
まだ夜が明ける前ごろだったろうか、あまりの寒さに宿に帰った。
 
10時ごろ目覚めると、浜に置きっぱなしにしていた靴とメガネとスマホがベッド脇に置かれていた。飲みかけの焼酎やらゴミも全て李さんが片付けてくれたんだろう。ありがとう李さん。誰かがコメントしていたが、李さんこそケンムンだったのかも 笑
 
奄美の神も加計呂麻の神も、幽霊もケンムンも、いや、この大自然も風も波も、宇宙も、すべては自分の中にあるんだろうね。
 
ケンムン君はわんのすぐ側にいたのかも知れない。いや、加計呂麻島に上陸した瞬間にわんの中に憑いてたのかも知れない。その存在に自分自身が気付かなかっただけで、それに気が付いたヤマケンの前には、具象としてしっかりとケンムン君は現れたのだ。全ては自分自身の問題なのかも。やっぱり恨みますヤマケンさん 笑
 
もっと成長せんといかんね。その時はきっとケンムン君を掴まえてみせます。


20:00 龍郷にて

家に帰るとオモテの柱にバッタがとまっていた。たぶん台風の影響でどっからか家の中にもぐり込んできたのだろう。静かに外へ放した。

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加計呂麻島で出逢ったすべての人々とケンムンたちへ、ありがたさまりょうた。また行きゅんかな待っちゅてぃくりしょりよ。とうとぅがなし。

完。



しかし、
旅はまだ終わっていなかった。
3ヶ月後・・

2018.02.03
ケンムンの祟り

去年10月30日。加計呂麻島からの帰りに住用局の前を通ると、ちょうど仕事を終えた浩久が出てきたので捕獲した。そして缶コーヒーを飲みながら、たった今終えたばかりの加計呂麻ケンムン紀行の話を彼に披露した。

話を終えて、ふたりはそれぞれの車に乗り帰ることにした。住用から佐大熊まで帰る浩久は、運転しながら妙に体がダルくなってきたらしい。次の日 病院で診てもらったら軽い脳梗塞だと診断され即入院。10日間も入院してたそうだ。

今日久しぶりに乗ってきた浩久からそのことを初めて聞かされた。どうやら彼は、加計呂麻島からわんに憑いてきたケンムンが自分に乗り移ったんだと、わんのせいにしたいらしいのだ。いや、ケンムンは確かにいたずらっ子だけど、さすがに脳梗塞まではやりすぎだろう。同じ時期に正喜も体調不良で入院したそうだ。

わんが連れてきた加計呂麻のケンムンたちが、奄美のあちこちに散らばっていたずらを始めている。でもケンムン君は決して悪い子ではありません。加計呂麻のケンムンは奄美の人たちが大好きで、ちょっとだけいたずらの度が過ぎたんだろう。

ケンムン君はいい子なので嫌いにならないで下さいね。


ということで本当の完。
2021.01.25


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