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【インタビュー】歩き、繋がり、舞う〜表現者「O B A」が追い求めるダンスの正体

ダンスを表現と捉える。

本来そうであるべきなのだが、ことストリートダンスはスタイルが確立されているジャンルだけに、そう意識しているダンサーは多いとは言えない。

コンテストで勝ち上がるためにはもちろん、ダンスをより広く一般に届けるために、ダンスを追求していくために、何よりダンサー自身が意欲的に踊り続けるために、「表現としてのダンス」ということを今一度考えていきたい。

アメリカまで追ったストリートダンスの答え

(c)Issey Miyake . Session One

一人の表現者がいる。

ダンサーO B A。

ストリートダンス出身で、ジャンルはPOP。
数々のバトルやコンテストで名を上げ、やがて自らのダンスを「表現」に向かわせるキャリアを重ねてきた。

POPからダンスを始めて、今ではだいぶ違うスタイルになっていますが、POPは「道」に近い部分があるかもしれません。空手とか剣道とかにある「道」です。
究極的に自己と向き合う身体感覚があるというか、例えばヒットの練習をしていく過程では、自分の負荷を自分でかけていくんですね。そういう向き合い方は他のジャンルにはないのかなと思います。

確かにPOPは、HIPHOPやLOCKほどの取り組みやすさがあるわけではなく、JAZZやBREAKINのような派手さがあるわけではない。どちらかと言うと、マニアックで職人気質。
そこを極めるダンサーには、O B A氏のような求道者のイメージが似合う。

僕はダンスの師匠がアメリカ人で、必然的にアメリカのカルチャーを意識しながらダンスを覚え、現地でバトルなんかに出ると日本人であることのアイデンティティも強烈に意識せざるを得なかった。
帰国してからも、コンテストやバトルに繰り返し出ていましたが、徐々にストリートダンスでアメリカのカルチャーを追っていくことへの疑問を感じ始めたんです。

そして、O B A氏が苦悩の末に行き着いた答えは——
「ストリートダンスの本質はファッションである」
ということだった。

ストリートダンスは“Just for Fun”“Just for Play”、あくまで“楽しむ”ためにある。そこが他のダンスジャンル、コンテやバレエや伝統芸能とはちょっと違うと思います。そういう意味での「ファッション」です。
でもそれはとても良いことで、だからこそ今ここまでストリートダンスが広がったわけなんですけど、自分的にはだんだんそこに限界を感じるようになって、その向こう側にある世界を求めていったんです。

767kmで得た答え「歩くことが踊り」


そしてO B A氏は、暗黒舞踏やコンテンポラリーなどの前衛芸術の歴史を研鑽しながら、ダンスのルーツや意味を深く考え始める。

そもそも、ダンスを踊るって相当にポジティブな行為で、人間の日常としてはかなり極まった行為ですよね(笑)。正直、生きるには無用なものだけど、最も初源的な芸術行為だと思います。
踊るって言うのは、人間的には無条件な衝動のはずなんです。岡本太郎さんが言う「芸術とは無条件の衝動」ですよね。

それにつれて、踊りのインスピレーション源も徐々に変化していったという。それはスタイルでも、他人のダンスでもなく、もっともっと巨大なものに——。

いろいろ模索していって、最終的には、葉っぱが落ちる動きとか、波打ち際の流動性とか、万物の流れが自分にもあることに気づいたんです。
それまで人間対人間でダンスを学んでいたことが、「自然対自分」という交信になり始めました。そこからの学びは膨大すぎるけど、すごく面白みを感じているんです。
そして、そんなことを考えながら歩いていると、その「歩く」という行為に全部の身体表現の収斂が学べるということにも気づいてきました。

「歩く」——
O B A氏は2017年、住居のある鎌倉から島根県の出雲まで「歩く」旅に出る。一本歯と地下足袋で、767kmを28日間。最終的には出雲での短編映画の撮影が目的だったが、「歩く」という原始的な行為が彼にさまざまな気づきを与えてくれたという。

「日本うるるん一本歯」 767km完歩到着時の写真。共に歩んだのはダンサー 大宮大奨氏だ。 Photo by Yoshihiro Saeki

1日30キロ近くも歩くことは確かに苦しかったですけど、先人の身体感覚や禊(みそぎ)も感じることができたし、最終的には「歩くことこそが踊り」なんだと気づきました。
人間にとって歩くことは生きること、歩みにはリズムがあって、生きるリズムとは歩くこと。だから「歩くことこそが踊り」なんですね。

翌2018年、鎌倉から滋賀県まで一本歯と地下足袋で歩み舞う企画 「歩んで舞る」を、(株)大人 代表の五十嵐慎一郎氏と共に企画・出演。滋賀県は東近江市「野々宮神社」での奉納舞台が最終地点だ。
当時、報道された新聞記事。


「媒体者」として皆のために舞う


その歩く旅は、その後に鎌倉〜滋賀県の道程に移り、やがて寺社仏閣での「奉納演舞」につながっていく。

OBA奉納舞 三部作
「2018年4月28日 黄昏れ時。歩みをとおし、先人の身体感覚を学び、道中の森羅万象により着想を得た演舞」だ。

ストリートダンスを出発点とした求道者が、自らの表現と身体感覚を追い求め、不思議な縁から実現に至ったという「奉納演舞」。本来ならば、神事としてのみ使われる神楽殿でストリートダンサーが踊る、というのは異例の出来事である。

巫女舞などの儀式としての踊り、神事としての踊り、盆踊りも含めてが、やっぱり日本の踊りのルーツなんですね。そうなると踊り手っていうのは、大いなる力をつなぐ「媒体者」とか「受け皿」であり、その人の個性とかエゴっていうのは必要ないわけです。 現代のダンサーはそことは真逆ですけど、それこそが本来のダンサーとしての役目だと思います。 僕が興味あるのは、その人の個性を超えた、いち媒体者・受け皿・代弁者として、見ている人の代わりに舞うことなんです。

スタイルからの脱却、向き合うべき対象の変化、踊りのルーツの探究。
そして自らの身体感覚をもってして得た「学び」と「気づき」。

やっぱり、世のため人のためになるのが、本来あるべき踊りの姿ですよね。
昔の人は「ハレとケ」と言って、1年1度のお祭りのために日々がんばってきた。お祭りはまさしくフェスで、皆が踊りまくる大衆文化だった。

僕がダンスに向き合ってきた人間として、これから先どんな段階に向かっていけるのか?
ダンスを通じて、これからどんな出会いやご縁がいただけるのか?

月並みですが、ダンスはやはりコミュニケーションです。

今の高校生や若い人たちの感性は、素直で純粋で反応がいいです。そういった世代の人たちと踊りを通じて関わっていけたらなと思います。

インタビュー:石原ヒサヨシ

O B A-プロフィール-
神奈川県鎌倉市腰越出身。本名:小畑大輔。ニューヨークBroadway Dance Centerに留学し、ポップダンスの創始者であるELECTRIC BOOGALOOSのJazzy Jに師事。各国のダンスバトルやコンテストで優勝し、長身とルックスを活かしたモデル業やMV出演、映画出演も多数。日本人独自の身体性を深く学び、寺社仏閣で奉納演舞を行なう。また、暗黒舞踏とPOPの共通点を見出し、新たなダンスフィールド「暗黒POP」を展開中だ。
■オフィシャルHP:http://obadance.com

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