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282DAY -2023奥多摩見聞録 其の11-
合宿も終盤にさしかかり、参加者にもどことなく疲れが見え始めている。
やるべきことは分かっていても、体がそれを拒否してきている。体が別の誘惑に誘導し、本来の目的を逸らしてくる。だが、これは人間の生理的現象であり、当然生まれうる心理である。
例えそれが奥多摩であろうとも、古民家であろうとも、元来有するこの心理を誤魔化し切ることは出来ないだろう。どんな人間でもどこかで集中の結び目が解け、綻びる。そのために川遊びや間食の用意があるのだが、合宿最終日直前ともなると、それらでも効力を発揮しなくなる。これは自分が何回も合宿に行ってみて分かることだ。
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だからこそ、この期間を乗り越えることが合宿における一つのキーポイントとなる。その方法とは、自分自身で耐えて乗り切るか、先生に指導されて乗り切るかのどちらかだ。ここで確定しておきたいのが、自分で乗り越えられずに誘惑に負けることは、決して悪いことではないと言うことだ。
勉強に身が入らず、ぼーっとしてするべき作業を為さない。合宿とは、極論するならば勉強をするためにある。その根本的な任務を為さないこと。それは合宿に参加した意味を無くすことに他ならない。
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だが、そこを乗り越えさせるために先生というものは存在する。人は自分自身で乗り越えるだけではない。他人を見て、他人によって乗り越えることもあるのだから。「自分は他者にある」。みうらじゅんの言葉だ。
自分も合宿に参加し始めたての頃は、漫画に気を取られ、先生に叱られたものであった。
ここぞという山場を乗り切る。過程がどうであれ、求めているのはその結果なのだ。その結果にたどり着いた時、彼らは何物にも得難い経験を得るだろう。
時は過ぎる。「もう半分である」と私がブログを書いて、すでに最終日目前まで来てしまった。
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