『存在と時間』を読む Part.67

  第66節 現存在の時間性と、その時間性から生まれた実存論的な分析の根源的な反復という課題

 気遣いの時間性について、将来、既往、現在化の3つの時間的な契機に関連した動的な時熟の構造が解明されました。ただしこの構造が解明されただけでは、分析は進みません。存在論的な分析をさらに進めるためには、現存在の意味は時間性であるというテーゼを、現存在という存在者についてこれまでに確認されてきた根本機構の具体的な内容に基づいて、検証する必要があるのです。現存在の存在機構が、時間性に基づくことで可能となることを証明する作業は、「時間的な解釈」と呼ばれることになります。

 時間的な解釈は将来、既往、現在の3つの観点から展開されます。第1の観点では、現存在が日常性のうちで頽落して生きているか、それとも自分の死へと先駆し、その「将来」の時間から現存在が自分に固有の存在可能に直面して生きているかどうかが問題とされます。そのためには、現存在は自分の死という将来の時点に先駆して、この時点から今へと立ち戻って、「先駆的な決意性」のもとで、自分の生き方を再検討することが求められます。この観点からは、日常性における現存在の平均的で無差別なありかた(>Indifferenz<)を分析することが必要となるでしょう(この「差異のなさ」についてはPart.8参照)。この観点からの分析が展開されるのが、第4章「時間性と日常性」です。
 第2の観点は、現存在が生きている時間軸に沿って「既往」へとさかのぼり、誕生と死のあいだにある現存在の広がりについて、「歴史性」という観点から考察するものです。この歴史性という観点から時間を考察することで、時間性の時熟の構造についても、根源的に考察する視点が手に入ることになるでしょう。これは同時に、現存在の生きる時間を人類の歴史という枠組みにおいて考察しようとするものでもあります。この観点から考察するのが、第5章「時間性と歴史性」です。
 第3の観点は、現存在は日常的に生きるうちでも、さらに歴史的な意味で生きるうちでも、「現在」という時間のうちで生きていることに注目するものです。現存在は日常性において時間を計測し、時間をやりくりし、時間を操作して生きています。このようなありかたは、現存在の「時間内部的な」生き方と呼ばれます。この観点は、世界内部的な存在者の時間規定に注目しながら、現在における時間の使われ方を考察するのであり、こうした時間内部的な時間の使い方についても、現存在の実存論的かつ時間的な分析を反復する必要があるのです。この観点から分析するのが、第6章「時間性、ならびに通俗的な時間概念の根源としての時間内部性」です。

Die Ausarbeitung der Zeitlichkeit des Daseins als Alltäglichkeit, Geschichtlichkeit und Innerzeitigkeit gibt erst den rücksichtslosen Einblick in die Verwicklungen einer ursprünglichen Ontologie des Daseins. (p.333)
現存在の時間性を日常性、歴史性、時間内部性として詳細に考察することにより、”錯綜した状態”にある現存在の根源的な存在論への鋭い洞察がえられるのである。


 第4章 時間性と日常性

  第67節 現存在の実存論的な機構の根本状況と、この機構の時間的な解釈の素描

 第1の将来からの観点は、自分の死の瞬間という将来の時点に先駆することで生まれるものであり、この先駆的な決意性に基づいて、現存在の日常的なありかたを分析するものでした。すでに第9節において、現存在の日常的なありかたは、他者との違いをもたずに、日常の生活のうちに埋没して生きるものであることが指摘されていました。「私たちはこうした現存在の日常的な差異のなさを、"平均的なありかた"と呼ぶ」のでした。
 存在論の分析が展開されるうちで、このような現存在のありかたが”頽落”と呼ばれ、現存在は自己として実存するのではなく、世人自己として頽落して存在していることが明確にされました。そして先駆的な決意性の分析によって、現存在は日常において頽落している非本来的なありかたから、自分に固有な存在可能に投企する本来的なありかたへと、みずからの存在様式を変革することが可能であることが示されたのでした。
 現存在分析が時間性という概念にたどりついた今、これまでの分析は時間的な解釈として再検討される必要があります。第1篇の予備的な分析によって獲得された気遣いという概念は、〈そこに現に〉の存在を構成する開示性を分析することで確定されましたが、この現象を解明することは、現存在の世界内存在を予備的に解釈するということです。これまでの分析は、世界内存在の特徴を明らかにするところから始まったのであり、それは現存在の「"平均的なありかた"」において考察されてきたのでした。ですから、気遣いの意味が時間性であると主張するなら、頽落している日常的な現存在を時間的に解釈する作業を遂行する必要があるのであり、それによって世界内存在の時間性を規定するための基礎の獲得を目指すべきでしょう。

Die zeitliche Interpretation des alltäglichen Daseins soll bei den Strukturen ansetzen, in denen sich die Erschlossenheit konstituiert. Das sind: Verstehen, Befindlichkeit, Verfallen und Rede. Die im Hinblick auf diese Phänomene freizulegenden Modi der Zeitigung der Zeitlichkeit geben den Boden, um die Zeitlichkeit des In-der-Welt-seins zu bestimmen. (p.334)
日常的な現存在の時間的な解釈では、開示性がそこで構成されるさまざまな構造を解釈の端緒とすべきである。すなわち、理解、情態性、頽落、語りである。わたしたちはこれらの現象について、時間性の時熟のさまざまな様態を明らかにするつもりである。これらの様態は、世界内存在の時間性を規定するための土台を与えてくれるものなのである。

 このようにして第4章の構成は次のようになります。まず第68節「開示性一般の時間性」では、理解の時間性について(a)項、情態性の時間性について(b)項、頽落の時間性について(c)項、語りの時間性について(d)項という4つの構造契機について、順に考察されることになります。
 次に第69節「世界内存在の時間性と世界の超越の問題」では、気遣いの時間的な意味について掘り下げて考察しながら、気遣いにおいて示される世界の脱自的な地平について検討されます。また第70節「現存在にふさわしい空間性の時間性」では、世界における現存在の時間と空間の関係が考察され、最後に第71節において「現存在の日常性の時間的な意味」を考察して、これらの考察が総括されることになります。


 次回から、本格的に第4章の分析が始まります。第68節は4つの項にわかれており、分量も比較的多めですので、複数のパートに区切って投稿する予定です。またよろしくお願いします。

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