見出し画像

自分に負荷をかけることの大切さ

創れる人になりたい

今年の6月で40歳を迎えます。

それなりにおっさんになってきましたし、大学院で研究者生活も行ったことがあるせいか、世の中をやや冷ややかな目で(=いい意味で批判的)見れるようにもなってきました。

そして最近感じたこと。それは、

『世の中には、あるものを批判や評論する人やそれを横流しにする人(=転売屋)は多いけど、実際何かを作り出している人(=真のクリエイター)は少ない。』

そして、

『そんな転売屋がもてはやされすぎている』

ということでした。

キャズム理論で話をすると、

本来はキャズムの前にいるイノベーターやアーリーアダプターが称賛されるべきなのに、キャズム後のアーリーマジョリティーの初期の人で、さもキャズム前の人間っぽく未来感を醸し出すように振舞う人(=キャズム後芸人)が称賛される世の中になってきている、ことに疑問を感じています。

(ちなみに、上記の考えも最近とある友人と話す中で、僕の中でモヤモヤしていた部分が最近やっと言語化できました。)

そのようなキャズム後芸人も、本当はキャズム前の人に憧れているのではないかと感じました。でも、真にキャズム前に行くための努力を払うより、情弱者相手にキャズム前の人間であるふりをしていた方がコスパがいいので、結局キャズム後芸人になってしまうのかなと思いました。

これは、『本当のサーファー』と『丘サーファー』にも当てはまる構造だと思います。

つまり、僕がキャズム後芸人に感じる嫌悪感は、サーフィンを真剣に取り組んでいる僕が丘サーファーに感じる嫌悪感と構造的に一緒です。

僕はサーフィンに対しては真剣に取り組んでいますが、プログラミングを含めたテクノロジーに関しては、これまで真剣に取り組んでいませんでした。

しかし、なぜか2021年度のデジタルヘルス学会学術大会の大会長を拝命することになってしまいました。

このままでは僕もキャズム後芸人と同じになってしまいます。40歳になるまでの半年間が最後のチャンスと考え、キャズムの谷を超えるべく、創れる人になるべく、protooutstudioの門を叩きました。

久しぶりの貫徹

常々、『時間がないは言い訳でしかない』と考えています。

時間がなくでできないなら、初めからやらなければいいのです。

始めたからには、たとえ満足な完成度ではなくてもとりあえずの形にすることが大切と考えています。

とは言ったものの、一応、病院とクリニックを持つ医療法人の理事長なもので、平日は朝8時から夜の20時までは、医療法人経営(これが本業)のために時間を割かなくてはいけません。また、妻と小さな子供2人という家庭も大切にしなければなりません。

残された時間は自ずと夜になります。

課題提出のために、11月の半ばからの約1ヶ月半は、毎週1回は貫徹するような生活でした。

しかし、最近このように自分に負荷をかけることがなかったので、正直、この環境を楽しんでいました(マゾなのかな?)。

『達成感』と『じゃない感』の間にある沼

この負荷を乗り越えることや、自分のプロダクトを発信し続けることである種の『達成感』を得ることができました。

周囲の方からも、いわゆる『キャズムの前の人』みないにみられることも増えてきました。しかし、実際にはそう『じゃない感』が自分の中では増えていきました。僕は、あるものとあるものを繋いだだけの『コピペ人間』でしかありません。

この『達成感』と『じゃない感』の間には深い沼があります。

そしてまさに今、この沼にはまり始めています。

現状は、この『達成感』と『じゃない感』の間の沼でもがいている毎日です。

しかし、この沼でもがき続けることが、自分のなりたい創り手になれる方法だと、確信に近い感覚を持てるようにもなりました。

ですので、今はこのもがいている状態を楽しんでいます(やっぱりマゾなのかな??)

Sharpen the Saw (刃を研ぐ)

僕の大好きな本で『7つの習慣』という本があります。有名なのでご存じな方も多いと思います。

非常に長く、難解な本で、読みづらいのですが、この本を読んで僕が学んだことは『自分の人生なんだから、恥じや後悔がないように、主体的に人生を選択して生きろよ』(簡単にしすぎ)ということです。

その中で、恥や後悔がないように自分を常に磨いていく必要があります。

それが『Sharpen the Saw (=刃を研ぐ)』です。

常に切れ味が鋭くいられるように、これからも沼の中でもがきながら自己研鑽を積んでいこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?