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勤務医として生き、感じてきたことを振り返る -研修医から不動産まで-

自分が医師として働いてきた中で、経済的自由を達成した上で仕事をしたいと思うようになった経過が書いてあります。



1. 初期研修医時代(前半):成長と恐怖

医師として働き始めた時、私は初期研修医として都内の中規模急性期病院で勤務を始めた。ハードに働きながら臨床能力を磨くため、そして医師として成長し、少しでも優秀なレジデントになりたかった。

初期研修医時代は本当に未熟で、医師ならば誰しもが通る道である。嫌になるほど、自分の無力さを痛感させられる日々だった。処方できるのはせいぜい湿布や痛み止め程度で、降圧剤を処方することすら怖かった。カルテを書くことくらいしかできなかったが、それすらも難しかった。

今振り返ると、最初は全てが恐ろしかった。病棟での患者さんや急変、看護師さん(特に師長クラス)、上級医など、どれもが恐怖の対象であった。

特に救急科のカンファレンスは非常に怖く、教育という名目で、前日の夜に入院した患者さんの情報を全例しっかり把握し、プレゼンテーションをしなければならなかった。ペットボトルが投げつけられることもあった。そういうことも、ギリギリ許された時代だったと思う。

それでも日々試行錯誤しながら、同期と共に成長していった。不思議なことに、輸液や抗生剤の知識、そして多少の心エコーができると尊敬される研修医時代であった。今振り返ると、臨床的にはそれなりに充実していたかもしれないが、もう一度戻りたいとは思えない。

2. 初期研修医時代(後半):ストレスと散財

また、この頃からお金についても考え始めた。当時の収入は額面で25万円程度、手取りで20万円程度。一般の社会で比べると恵まれているように思われるかもしれない。しかし後述するが、医師ではその金額では足りないことが多いのだ。

カンファレンスでは「給料が出ているだけありがたいと思え」「給料もらってるんだから医師としてちゃんと働け!」といった暴言を投げかけられることもあった。医師としてハードに働くと、ストレスの度合いは普通の仕事とは比べ物にならないほど高いのだ。

昇給もなく、どんなに患者を診ても給料は増えない。外勤やバイトも許されないため、その強いストレスに反動するように、飲み会などの付き合いが増えた。皆が酒やタバコに溺れるわけではないものの、飲み会の数は研修医時代が最も多かったように思う。「仕事はバリバリこなして、夜はガッツリ飲んで次の日も頑張る!」という、昭和的な風潮が残っていた。

私もそうした風潮に「完全には」同意できなかった。私はのんびりマイペースに、興味があることに取り組みたいタイプであった。それでもそこそこ気の合う友人ができたので、誘われれば飲み会にも顔を出した。強烈な体育会系のノリは「好きでもないが嫌いでもない」程度の感覚だった。

誤解してほしくないのだが、私はそういう価値観を嫌っているわけではなく、むしろそういう環境で輝いている人たちは尊敬している。実際、私もそういった先輩方に憧れて専門科を選んでおり、自分自身そうした働き方も不可能ではないと思っている(多分)。

ただ、こういった環境にいると、仕事のストレスの反動で散財しやすくなる。普段の仕事の反動で高い服や高級な食事を欲しがり、ジムに通う必要性も感じ、参考書(とても高価です)やネット講義も受けたいという気持ちになる。初期研修医の多くは25〜27歳前後なので、結婚ラッシュも重なり、月に5〜10万円程度が祝儀として消えていくことも少なくなかった。

つまり、貯金は全くできなかった、ということだ。当時付き合っていた彼女は年下の医学生で、できるだけ私が支払おうとしていたが、時には彼女に助けてもらうこともあった気もする。

3. 後期研修医時代:自由と投資

実際に副収入を得るシステムを考え始めたのは2017年頃であった。実際に行動に移すきっかけとなったのは2021年。この時期、夏休みを敢えて完全な休息の期間にした。思い切ってiPhoneやパソコンなどネット環境をシャットダウンし、軽井沢に出かけ、のんびりした時間を過ごした。

普段の医療現場は多忙で、仕事以外のことを考える余裕がない。そうした理由から、敢えて暇な時間を作ってみたかった。その暇な時間にくだらない本も読んだが、最終的な結論として「経済的自由に達するには、不動産投資をするしかない!」であった。

医師としてサイドビジネスを展開するなら、最も時間がかからないものは不動産ではないかと思う。「そんなのは、Xやnoteに溢れてる情報じゃないか!」と思われるかもしれない。もちろん私も初期研修医時代から知識としては持っていた。

ただ、当時は実行に移すことができなかった。そんなことを考えても実行に移す気力も体力もない。そのため、ようやくこのタイミングで「自分の目標を達成するためには、今から不動産について勉強を始めるしかない」と決意が出来た。

最初は不動産関連の本を数冊読むことから始めたが、不動産において本の知識だけでは足りないと感じた。思い切って大家さんの勉強会やリフォーム会に参加することを決意し、そして医師として貴重な休暇を1日費やしてリフォーム会に参加したりもした。

当時、素人である私に関わってくれた大家さん達にはとても感謝している。リフォームを手伝っただけだが、当時の私にとっては新鮮で、思った以上に親しくなれた。不動産に対する抵抗感がなくなり、自分でも物件を所有したいという思いが生まれた。

並行して自分で物件検索や内見を続けていた。師の助言をもとに物件探しを始めたが、当然すぐには見つからない。何度も内見を繰り返した。そして、ついに一軒目として妥当な物件を見つけた。最初に購入したのはオーナーチェンジの地方の小ぶりな物件で、以下のようなスペック。

  • 売り出し価格:450万円

  • 家賃:5.2万円

  • 表面利回り:13.9%

天才的な投資家に比べれば、大したことのない物件かもしれない。ただ、私には十分だった。この物件は現在も安定しており、良い物件だったのは間違いない。しかしオーナーチェンジの物件だったため、自分自身の大家としての経験を積むには不十分であった。そこで、次は本来の目的である戸建て物件を探すことにした。

ネットでの情報によるとボロ戸建ては簡単に見つかるように思えるが、実際にはそう上手くいかない。それでも諦めずに内見を重ね、最終的には利回り20%超えの築古物件を購入するに至った。

この物件は、できる限り自分でDIYをして修繕した。まずは単価を知ることが大切だと思ったからだ。

業者に依頼することもできたが、どれくらいのコストと労力がかかるのかを見積もる力が必要だと考えた。

この時期の私はフルタイム臨床医だったので最も忙しく、無茶をしていた時期である。仕事から帰って夜11時から深夜1時ごろまでDIYに打ち込む生活を続け、壁紙の貼り方からペンキの塗り方まで、さまざまな技術を身につけた。この時に小さな発信もしており、その発信を通じてメンターのような仲間と出会うことができた。

彼らには今でも感謝しており、多くの情報を教えていただいた。行動と発信の力はとても大きいと感じた。

そうして購入した物件は、ある程度の修繕が終わり、7月には入居者が決まった。もちろん安い家賃で、すぐに利益が出るものではないが、この経験が自分の自信に繋がり、新しいつながりを生むきっかけになった。

その後も物件を増やし、生活の足しになる程度の家賃収入を得られるようになった。一応、今後も少しは物件を検討中で、さらなる収入が見込まれる予定である。

4. 勤務医時代〜:仕事と人生のバランス

金銭的に余裕ができると、自分が苦手とする仕事を避けたい気持ちが強くなっていった。臨床医としての仕事は好きだったが、年月が経つにつれ、患者さんの幸福よりも不幸な結果が印象に残ることが増えた。多くの人を救えたとしても、一人のミゼラブルな結果が心に残る。クレーマー気質の患者さんに出会うと、さらに負担は増す。

臨床医としての経験は自分にとって成長の糧になったが、ふと「自分でなくてもいいのではないか?」と思うようになり、その思いが強まっていった。そこで、なるべく高単価の医師の仕事をしつつ、余暇の時間を作り、自分のやりたいことに打ち込むライフスタイルを目指すようになった。

現在、私はかなり自分のやりたい仕事ができるレベルに近づいてきている。医師として10数年目にしてこの次元に到達できたことには大変感謝している。もちろん、これからも浮き沈みがあるかもしれませんが、少なくとも現時点では満足している。

5. おわりに

家庭も持ち、仕事の内容も少しずつ変わってきている。もっともっと人生を満喫していきたいと思っている。この文章は、自分自身の振り返りであると同時に、医師として働き始めてからの皆さんの人生を振り返るきっかけになればと思い、書いてみた。

皆さんの「仕事人」としての人生についても、ぜひ感想や振り返りを聞かせていただければ嬉しいです。


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