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心臓外科から統合医療の世界へ

心臓外科医としてスタートしましたが、まず専門医を取るために、一般外科の専門医も取らないといけないというシステムだったので、大学は1か月ぐらいの研修で、その後2年間は他の病院に派遣されることになっていました。

当時、同期で心臓外科に入ったのは私を含め12人いました。全国でもこれほどの人数が入る医局はなかったほどでした(普通は1、2人ぐらい)。

私は幸いにも電車で通える洛和会音羽病院という研修システムが昔からしっかりしている病院に行くことになりました。

そこでは、心臓外科医の仕事をしながら、外科、循環器内科、呼吸器科などをローテーションし、救急は24時間受け入れており、ハードな環境でした。

しかし、ここでの経験が今に生きてます。いろんな科を経験したことで、いろんな角度から考える癖がつきました。外科医としてもいろんな手術を経験させてもらい論文の書き方など、多彩な仕事を学ばせてもらい、研修医の中では早い段階で手術をさせてもらっていました。

2年経過して次に京都大学に戻るのですが、まさに大学病院でした。

一般病院とは違い、システムが古すぎて教授をトップとする日本社会の縦社会の縮図がありました。

仕事は押し付けられる、基本的に帰れない、手術以外の雑務が多すぎる。黒を白と言わないといけない、などなど。まさに闇をみます。

そして、トップが人事権を持っているというまさに独裁政権のようです。なので中堅どころは皆教授にいい顔をするために、手のひらを返すようなことを平気でしてました。

一年足らずで、奈良の近大病院に移動することになりますが、ここには二度と戻ってこないと誓いました。

近大奈良病院では、症例数が桁違いで多く、毎日2から3件のオペがあり、当直も週2、3でほぼ家に帰れません。

技術は学ぶことはできましたが、ハードさに身も心もすさんでいきました。
ここも考え方が古く、スタッフの仕事の負担を考えられることはなく、精神論に頑張ればできる的な感じで、無茶苦茶な勤務体制でした。

ただ、それもあって手術ばかりしてたので、あることに気付きます。
同じ病気で同じ手術をしても、上手く行く人と、上手く行かない人、再発する人などがいるなと。

これは、治療というよりは修理工のような感じで、その人全体を治していることにならないのではないか?

そこを診ないと、本当に治しているということにならないのでは?と思い始めます。

そこで、はっと学生時代を思い出します。

まさに、統合医療が必要だと。

例えば、血管が詰まって手術した人に対して、生活スタイルを聞いたりするなど根本的な原因を見つけておらず、そこのアプローチがなかったのです。

今であれば、こういう油がいいとか、ビタミンCやEをいくら取ればいいとか、運動の内容とか具体的にアドバイスできますが、当時はできてなかったです。そもそもそういう知識がなかったのです。

そうなってくると、手術をやることへの興味は薄れ、自分は統合医療をやりたかったという思いを思い出して、2011年病院を辞めました。

そしてご縁のあった大阪のあるクリニックで院長をしながら、統合医療を自分から学びながら患者さんに実践していくことになります。

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