出来上がりつつある著名人謝罪テンプレート

2023年末の松本人志さん性加害報道につづきHIKAKINさんの二股交際疑惑、慶応大特任教授の若新さんの15年前の未成年との交際報道と、著名人のプライベートが立て続けに報道された。

HIKAKINさんはとにかく謝り、相手に非はない、傷つけてしまった自分が悪い、告発した女性や週刊誌記者らへの誹謗中傷はやめてほしいというように全面的に事実を認めて各方面に配慮したうえで謝罪している。
若新さんもこれに続いて同様の形で謝罪している。
自分が悪いと認めていることをはっきりさせたうえで、一部事実と異なる点についてだけ控えめに説明するにとどめている。

HIKAKINさんは今回の謝罪でむしろ株を上げたとも言われているし、若新さんもテレビ出演は今後も可能だとテレビ局のトップも明言している。

個人的な人間関係のトラブルは多くの人が経験があるだろう。どちらが悪いのかなんて判然としないし、そもそもどちらも悪くないのかもしれない。
2人の謝罪の一番のキモは、「相手が傷ついたと言っているので、いろんな経緯はあったけど、配慮が足りなかった自分が傷つけてしまったということなのだと思います。自分が未熟でした」という言い方に終始していることだろう。
事実や証拠をうんぬんせず、傷ついた人にとにかく寄り添う、相手が自分のせいで傷ついたと言っているなら自分の人間性が低かったせいなのだと思うという態度を示しているのだ。

今後いくらでもこの手の痴話喧嘩レベルの暴露があるだろうが、そういう時の著名人の対応のフォーマットや謝罪のテンプレートが固まってきたように思う。

著名人にとって事実がどうなのかなんてことよりも自分のイメージが大切だろうから争っても意味がないということなのだろう。
そしてそのような対応が「賢明」ということになった背景は、横暴そうに見えるものはとにかく潰さなければ気が済まないという大衆のマインドだ。
いじめでもパワハラでも、まず被害を受けたと声をあげる人がいた場合、それに対して「いや、そんな事実はない」と説明してもなぜか世論は「正直に認めろ」というようにさも事実関係を知っているかのように流れていく。
そこで客観的な事実はさておき「傷ついたと主張する人がいるならば、『結果的に』傷つけてしまってごめんなさい」というしか鎮火の方法はなくなっているのだ。
「もう解決済みの件だ」「こちらは悪くない」「証拠はあるのか」このようなことを言っても炎上するばかり。事実関係を調べるというアプローチもなく、悪そうなやつを叩くのが正義のような風潮となっている。
言い訳に見えるものがあればとにかく叩かれ続けるので、つけいる部分を塞ぐべく、まず全面的に非を認め、各方面に配慮する姿勢を見せる。

これからは著名人と暴露系一般人との小競り合いはこのような対応で決着していくことが多くなっていくことだろう。

逆に松本さんは個人的な遊び方うんぬんに謝罪は必要ない、法的な瑕疵はないという態度を「ピュア」に貫いてしまったと言えそうだ。
Xでのつぶやきなどでの対応のまずさも指摘されているが、それも「事実関係も法的問題も関係ない」という現代の大衆の性質を考慮にいれずに純粋に思ったままを発信してしまったのだろう。

お三方の内心や事実関係、それぞれの振る舞いの良し悪しなどは知らないが、これからどんどん寒々しい世の中になっていくのだろう。
スキがない人間がうまくやって心密かにほくそえんでいることや、ちぐはぐなことをしてる準備の足りない人間の方こそ純粋だったりする。そんな知恵さえも忘却し、放棄した世の中だ。

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