埼玉大学入試、2年前と全く同じ自由英作文問題を出題した意図

2024年埼玉大学の入試で、2年前と全く同じ自由英作文の問題が出題されたことが話題になっている。

問題文も英語で、宇宙開発に国家は投資すべきか、それとも地球上の問題に集中すべきか120~150語の英語で理由とともに答えよ。
というものだ。

私は最初これを出題ミスなのかと思ったし、今もその可能性はあると思っている。
作題者は過去の問題を参考に作題するだろう。自分が考えた問題と過去問とをノートか何かに整理している最中に混ざってしまい、自作の問題として、英語全体の試験を統括する人に提出し、数人のチェックもすり抜けて出題されてしまった。

こんな可能性も考えてはいるが、埼玉大学は過去問を利用する宣言をしているらしく、意図的なものということで今回は話を進めていきたい。

かなり昔東大の日本史でも同じ問題を出題したことがあったらしい。
そのときは、「こんな解答した人が多かったけど、これは低評価です。その理由を考えつつ改めてこれとは違う解答をしてください」
という内容だったようだ。

東大日本史は資料などを与えて、歴史の因果関係や背景を考えさせる問題で、知識はそこまで必要ないとされる。
他の教科も東大は記述論述が多く、自己採点はなかなか難しく、得点開示ではいい方にも悪い方にも驚く人は多い。
予備校の解答解説を見たうえで自己採点しても実際の採点との乖離が大きいことを考えると、大学が求める答え、どのような考え方を答案に示せば高得点なのかが理解されているとは言い難いのだろう。

過去問を解いていても、明確な採点基準はなかなかわからないため何となく「解き流す」ような勉強になってしまうのかもしれない。ありがちなのは、解いて採点して合格最低点との距離を見て一喜一憂するというようなことだろう。
だがこれでは対策をしているとは言えない。
得点を上げるための勉強をしていなくてはならないから得点を「確認」しているだけの解きっぱなしはダメなのだ。

ではどうするかと言えば、最も有効なのは質の高い添削指導を受けることだろう。出題の狙いなどを理解していて、各々の答案に対してもそれがどの程度得点できているのかを正しく評価し、それを踏まえて得点力をどのように上げられるのかを指導できる人に添削してもらうのがよい。

東大日本史の問題では、ありがちな間違いがかなりの数の答案に見られたことに加えて、試験後に公開された予備校の解答なども同じような間違いが散見され、その問題に対する出題の狙いだけでなく、資料を読み解いたり、歴史の流れを考えるとはどういうことなのかについての「教育的指導」の意図もあったのだろう。解答を公開しないために、何年たっても正しく教科の本質が学ばれることなく毎年同じような間違いが試験で繰り返されるのでは教育として意味がない。
入試の出題には、合格者の選抜という機能だけでなく、「このように勉強してほしい」というメッセージもこめられているのだ。

国公立の二次試験のような記述論述が多い出題では「ぼんやりと解き流す」「本番得点予想」という勉強で過去問が消費されがちだから今回のように全く同じ問題を出すことで「もっと暗記するほどきちんと一問一問本気で取り組んでほしい」という意図があったのではないだろうか。
英作文であれば、どのような論理構成が英語のエッセイとしてふさわしいのかなども含めて一つの完全な答案を作成するということを丁寧にやってほしい、そんな思いがあったのかもしれない。
同じ問題が出るとわかっていれば、当然完璧な答案を作って完璧に暗記して試験に臨むだろう。

本番で既知の問題が出題されるのは、過去問と同じ問題が出るということ以外には、いわゆる的中問題というのがある。
おそらく最もよく的中が出るのは古文漢文だろう。「新しく書かれる」古文というのはないから的中が出やすいという道理だ。
的中というのは普通はその大学の個別の対策をしていて本番でそれと同じものが出題されるということだ。例えば東大模試やその過去問を集めた問題集と同じ文章が東大本番で出題されるケースだ。
これはラッキーなはずなのだが、いざ的中問題を目にすると「この文章読んだことあるぞ」となりながらも変な感覚に襲われて、キョドるだけで案外スラスラ読み解けるわけではないようだ。現代文の的中で騒がれたことも過去にはあったが、「やってたおかげでバッチリできました」という声はそんなに多くない。同じ課題文であれば、出題ポイントも似通っていたはずなのだが。
予備校の講師の質の高い授業でも「隠れた名著」でもよいが、その科目、分野の本質を汲み尽くしたうえで暗記するほど緻密な中身の濃い勉強を過去問を通してやってほしいというのが今回の出題意図だと思う。
出た問題の暗記自体には大した意味はないのだが、学習姿勢に渇を入れたかった、そんな狙いだと思う。
実は私も個別指導で横国文系や聖マリなどの複数の私立医学部の数学を的中させている。狙いが見えやすかったので数年の流れを見て当てることができたのだ。こちらは一人で興奮して「当たったじゃん。うまく行ったろ?」と聞くのだが、うまく立ち回れなかったような微妙な表情をされたこともある。
「おれの話、適当に聞き流してやがったのか…」
まあ、教育なんてこんなものだろう…

過去問10年分を一問一問突き詰めて学習するのは思っているより骨が折れる。
埼玉大学受験生だと共通テスト後に2年前の問題を解いた人も多いだろう。数週間前に見たはずの問題もなかなか完璧には書けなかったことと思う。
今後も同じことが起こるかはわからないが、また出るかもしれないという緊張感をもって過去問という大学からのメッセージに向き合っていくといいだろう。


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