県立千葉高校での窃盗動画拡散騒動について。

県立千葉高校で窃盗事件が複数回起きていたことから、生徒が学校に対策を依頼したが、納得のいく対応がとられなかったため自分で教室にカメラを設置し窃盗実行の現場を撮影。学校が対応しなかったとして、インフルエンサーに動画を渡し、拡散してしまっているという。
窃盗の加害生徒は事実であればもちろん何らかの処分を受けるべきだ。しかし、動画拡散は加害生徒がわかる形なのであれば形式的には名誉毀損になる。悪いのは加害生徒や学校というのは間違っている。捜査したり刑罰の量刑を決めるのは警察や司法の仕事。撮影した一私人が事実であったとしても名誉を毀損してはならない。どうしてもということなら動画は警察に持参すべきだ。教員が「警察には言うな」と言ったという話もあるが、教育的指導の範囲内で何とかしたかったのかもしれないが、犯罪を隠蔽するともとられかねない対応には疑問がある。まずは動画拡散はやめるべきということを理由とともに指導すべきだった。そして犯罪事実の証拠があっても警察が動かないということなら、「じゃあどうすれば被害の回復や公正な裁きがあるのか」と世に問うこともできようが、そうでない段階で独りよがりの義憤で加害生徒が公正な裁き以外のリンチを受けるのは間違っている。街中で犯罪事実を目撃したら普通は警察に通報するだろう。目撃者が通報もせずに前もって報復行動として犯人を殴ったり監禁したりはしないだろう。現行犯逮捕や正当防衛以外はそれでよいのだ。警察に提出もしないで拡散させた人間も今回は何らかの責めを追うべきだ。
スシロー騒動でもそうだったが、SNSの利用による思いの外の被害の大きさと、手軽に使えてしまうことのアンバランスが大きな問題なのだ。これまで手に入る武器が包丁だったのが、核ミサイルのボタンを知恵のない人間がもってしまっているようなものである。映像という直接的な証拠はインパクトがあり、悪者という表象を作りやすい。大衆はこいつが悪いと吹き上がるだろう。「適切な使い方を教える」などという曖昧な言い方をせず、勝手に個人の情報を出せば、例え悪いことをしている人間であっても拡散させた方が責任を問われる可能性があるということをはっきり指導すべきだ。義憤にかられるのはわかるが、捜査や刑罰を科すことは警察や裁判所以外がやってはならないということを明確に言うべきだ。独りよがりの正義感やもしくは何も考えずに面白がってるだけの世間が味方してくれるからやってもよいと思っているとしたら、それは正義ではなく横暴な振る舞いだ。学校側が「加害者の人権もある」と言ったことで学校の対応に反発する人も多い。これはエキセントリックな人権派弁護士の筋の通らない主張に使われがちな言葉であるために普段から憤っている人が反発しているのかもしれないが、やはり原則は公正な裁きこそが法の正義の貫徹なのであり、それをないがしろにして独断で他人を害するのは正義でも何でもなく単なる独善や横暴だ。SNS時代に早くこのことが社会通念にならないと、せっかくのSNSの利点が欠点に帳消しにされてしまうだろう。

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