政治家の評価のあり方とは。小池都知事の学歴詐称疑惑を考える。

2024年の七夕に東京都知事選が行われる。現職の小池都知事も出馬を表明し、カイロ大学卒業の経歴は虚偽なのではないかということで、元側近が刑事告訴する事態にまで至っている。

もう一人の都知事選の有力候補である蓮舫候補も二重国籍を問題視され、過去のインタビュー記事では自身のアイデンティティーを中国人だと話している。

これらの問題をそれぞれの候補に反対する側が取り上げて大きく問題視しているというのが現状だ。

たしかに嘘はいけないのだが、今から話す内容は「形式的には」嘘を軽視するものとなっており、どうしても政治家に清廉潔白を求めるという人には不愉快な内容となることをおことわりしておく。

私自身は東京都民だが、今回の都知事選で積極的に投票したいと思う人はいない。
ただ選挙がネガティブキャンペーンの場に成り下がるのはどうなのかという点で、民主主義のレベルが
少しでも良いものとなればと思い、自分の考えを書いてみることにした。


小池都知事がカイロ大学を出たかどうかなんて正直私はあまり気にならない。
小池都知事はまがりなりにも疑惑に回答している。これ以上どうこういうなら卒業証明書発行主体に問い合わせるべきだ。偽造だというならそれを証明すればよく、発行が確かにされたものならそれを発行した主体に聞くしかないだろう。
50年前に海外の大学を卒業したかどうかなんて正直どうでもよい。もちろん公職選挙法に違反することは問題だから法的問題はそれはそれでやればよい。
ただそもそもその嘘が問題なのは当選を有利にするからだが、そもそも論として我々が投票先を決めるときに政治家としてこれまでやってきたこと、今やっていること、これからの公約とその実現可能性と、昔の海外大学卒業の経歴のどちらを重視するのかということだ。


今回のようなネガティブな話には

「だから何なの?」

と問うてみるのがいいように思う。別に開き直ったり居直ったりしろということではない。
嘘だとすれば人としての信頼性などは確かに下がるだろう。しかし今取り組んでいることや公益に直接反するかどうかとはあまり関係ないだろう。そこをどの程度の重要性で評価するかだ。
私が一つ懸念するのはもし嘘だとしてカイロ大学やエジプトがそれに協力しているのだとすれば、政治的に海外に「借り」を作ってしまっていることだろう。それは問題だと思う。例えば不適切な方法で都の金がエジプトに流れることなどだ。これは人としての信頼性ではなく、具体的に公益に反している。

蓮舫候補の二重国籍ももしそうだとしたら何が問題なのかを考えるといいだろう。しかるべきタイミングでの国籍選択をただ忘れていただけなのか、外国のスパイなのか。前者であれば大した問題ではない。


官僚であれば、正確な事務処理能力や無矛盾性、法との整合性などが重視されるべきだろう。
医師や弁護士などの士業も専門知識についての知識を有するかの試験をパスして権限行使の正当性を得て業務を行っている。免許が偽物なら大問題だ。

しかし政治家は大まかな方向性を示し、それを口で言うだけではなく、実現できること、実行していけることが重要なのではないだろうか。
正しいことの論破ごっこをすることなどではなく、個々の利己的なプレイヤーをいかに動かすのか、省益を考える官僚に積極的に協力させて公益を実現させるにはどうすればいいのか。そのためにあらゆる手を尽くすことが必要だ。政治家は結果責任だとよく言われる。


今は昔よりも無菌社会で嘘にもシビアだと言えそうだ。
小池都知事も数十年前、有名になるためにノリで「カイロ大学首席」なんて言ってしまったのかもしれない。
蓮舫候補も同様に「なんとなく国際人っぽいアピール」が当時ウケたためインタビューで「中国人が自身のアイデンティティー」なんて軽く言ったのかもしれない。
そんなのが昔は割りといろいろなところで許されていた。いや許されていたかはわからない。当時から苦々しく見ていた人はもちろんいたのだが、比較的当たり前に行われていて、軽口を叩けるぐらいの人間が出世していたのだと思う。

私の父親は高校さえ行ってないはずだが、職を探すときは「中央大学法学部中退」を最終学歴にしていたという。「中退だと卒業証明書を求められないからな」とヘラヘラ笑って家族に話していた。
アホだ、情けなさすぎる…。
noteを読んでいるようなみなさんは賢いからわからないかもしれないが、昔のガラの悪い会社の社員やパチンコ屋、競馬場でたむろってる人たちの中で少し賢そうな人は、ハッタリか本当かよくわからないがMARCH級の大学を出ていると言ってることが多かった。早慶だと一気に嘘くさくなるということか。
ただしその人がその集団の中である程度一目置かれている必要はあった。そうでなければただのバカ、ほら吹きと言われる。それは清廉潔白でないから軽蔑されるのではなく、バカだからつまり中身が伴っていないからバカにされるという話だ。そこが今と昔の違いのように感じる。

こんな話をしたのは、それぞれのフィールドに特有の見栄の張り方みたいなものがあるということを描きたかったからだ。

政治家というのが個々の利己的プレイヤーをまとめたりするにあたって、いいかどうかはさておきお行儀のいい方法以外が求められることもある。
対内的にもそうだし、海外にも目を向ければ、プーチンや習近平、金正恩、トランプなどと渡り合わなければならない。
これはあくまで私の感覚だが、日本屈指の名門高校から東大に3回も落ち、次のランクの大学に行ってるなんていう方が申し訳ないがなんだか頼りなく感じる。映画や文学にのめり込んでたとか浪人しても遊んでばっかりでFランでしたという方がまだ面白い。
早稲田法学部進学が人生の中の挫折だなんて国民に向けて発信してるのもなんだかスベっている。
それよりはハッタリで海外大学卒業と言い切って都知事にまで登り詰めた人の方が政治家向きに感じてしまう。あくまで単なる私の感覚だが。

学歴が気になるならそれに見合った知見があるかどうかの方がよほど重要だと思う。
昔ショーンKさんというコメンテーターがいて、ハーバードとソルボンヌを出ているという触れ込みだったが、私はどうせ嘘だろうと最初から思っていた。でも他のコメンテーターの毒にも薬にもならないようなコメントよりもショーンさんの方が面白いとも思っていた。
ちなみになぜ嘘だと思っていたかというと、日本では学部関係なく東大京大などの大学名でなんとなく評価されることが多いが、海外だと学部ごとに「この学問だとこの大学が有力」といったようになっていることが多い。
たぶん日本のノリでとりあえず誰でも知っているハーバードとソルボンヌを並べただけなのだろうと思ったのだ。

学歴詐称に拘る人たちはカイロ大学卒にどのような知見を求めているのだろう。中東情勢を読み解ける力だろうか。それとも中東の有力者とのコネクションだろうか。

小池都知事は確かによく嘘をついていると思う。そもそも8年前は「一期しかやらない」と言っていた記憶があるし、「都議会を解散します」とキリっと言っていたのを聞いて腰を抜かした。「地方の首長って議会の解散権なんてあるの?」自分の中学の公民の知識が間違っているのかと疑ってしまった。TVでも「そんな権限ない」とコメントされていた。
だが政治家の発言を後追いしたり、内容を確かめる人以外はすぐに忘れるとでも思っているのだろう。多くの人が忘れるということは民主的決定に影響しないということであり、そんなことよりも「古くさい自民党都議会をぶち壊す」というメッセージにインパクトがあり当選した。そこはやはり発信がうまいとも言える。いいか悪いかはさておき。

小池都知事が該当するかは微妙だが、よく嘘をつく人、特に学歴や家柄をごまかしたりロンダリングしたがる人のパーソナリティー面の特徴としては、「最初から優位な立ち位置からでないと人と対峙できない、力を発揮できない」ということだと思う。下から泥臭く努力して這い上がるというのが苦手で、最初から称賛されるような立場でないと人と関われないのかもしれない。対等だったり下からだと卑屈になってしまうのだろうか。学歴や家柄は人生において「最初」を成している。

小池都知事が政治家としてやってきたことの評価についてはここでは一切していない。
ただ細かい政策の中身まではわからなくとも、大まかな方向性やどのような党派と組んでやっているのかなどの中身をざっくりとでも見据えて投票先を決めていくべきだろうと思う。

無名な人間がのしあがったり、実際政治家となって有象無象の人間たちと組んだり、対峙するにあたっては正論や一貫性を保つのは難しい。政治家の矛盾をあげつらったり、論破するなんて実は簡単だ。
正論や一貫性と反するネガティブな情報が出てきたとき、「だとしたら一体何がどれだけ問題なのか」「他の実務、実績よりも優先されるべきなのか」を考える態度が民主的意志決定を一段階引き上げてくれるように思う。

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