Muddy Waters – Electric Mud (1968)
〈自分に合ったものを履くのさ。おれに合う靴はブルースだけだ〉
Muddy Watersは音楽をしばしば靴に例えている。その理屈で言えばアルバム『Electric Mud』は、サイズの合わないぶかぶかのブーツのようなものである。それもとびきり重い厚底だ。
サイケデリック・ブームに迎合した作品を発表しようと息巻いていたプロデューサーのMarshall Chessだが、彼の最初の仕事は乗り気でないWatersを何度も説得することであった。この時期のWatersはまさに内憂外患といった有様で、長年の深酒によって体はボロボロなうえ、そして息子とも言うべき存在だったLittle Walterの死が何よりも堪えていた。根負けした彼はしぶしぶChessの要求を呑んだのである。
問題作と言われているが、発売当時の本作のセールスが意外にも好調だったことはあまり知られていない。とはいえ、親の仇とばかりにエフェクトを効かせたギター、奇妙なオーバーダブ、ひたすらに重たいドラムのビートは、当時のブルース・ファンの轟々たる非難を浴びた。『Electric Mud』で流れている風変わりなサウンドは、ブルースともロックとも形容しがたいもので、時代の波にうまく乗った作品とは決して言えない。
後にMiles Davisの片腕となるPete Coseyをはじめ、Phil UpchurchやRoland Faulknerなど、いずれもジャズ畑で花開くギタリストが参加している。彼らが「She's All Right」でアシッド・ファンクのようなギターを奏でれば、それに負けじとドラマーのMorris Jenningsが、全く新しい方法で解釈された「Hoochie Coochie Man」のリズムを力強く刻んでいく。ブルースという文脈さえ意識しなければ、本作の圧倒的にドロついたグルーヴの連続に心酔することだろう。
数々の定番曲を完全に生まれ変わらせたのは、後にEarth, Wind & FireのプロデューサーになるCharles Stepneyだ。最もリスナーの度肝を抜いたのはThe Rooling Stonesに捧げられた「Let's Spend The Night Together」で、ロックの骨法を破壊したようなサウンドに、Watersのボーカルも心なしか興奮しているように思える。
〈あのセッションは実験だった〉と言い放ったChessの思惑は、こうした若手ミュージシャンの大胆な起用にも表れている。Watersは内ジャケットで抱えたギターを弾いてすらいないが、濁流のようなサイケの渦中にあっても彼の存在感はビクともしないうえに、あらゆる場面でセッションに活さえ入れてみせる。手懐けがたいブーツを履いたWatersは、曲がりくねったグルーヴの大路を見事に闊歩している。
発表から半世紀を経た現在ならば、このアルバムはある種冷静に聴くことができるはずだ。だが、『Electric Mud』に対する評価が誰しも一致することはないだろうし、この先何十年にもわたって問題作であり続けるだろう。