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オードリー・タンから「デジタルとAIの未来」を学ぶ

公益のために尽くす,公益のためにデジタル技術を駆使する,自分に何ができるかを考えて行動する,というオードリー・タン氏の姿勢がよく伝わってきた.読むと台湾が羨ましくなる本だ.

オードリー・タン氏が繰り返し強調しているのは,「デジタル技術は社会の方向性を変えるものでは決してない」ということだ.目指すべき社会を実現するために,人間が人工知能やデジタル技術を活用するのであって,人工知能やデジタル技術によって目指す方向性を変えるわけではなく,ましてや人工知能が人間に社会の方向性を指し示すわけでもない.このため,「人間がAIに使われるという心配は杞憂に過ぎない」,「AIはあくまでも人間を補助するツールである」と述べられている.

AIは「Artificial Intelligence」の略で「人工知能」と呼ばれますが,私はむしろ「Assistive Intelligence」つまり「補助的知能」と捉えたほうがいいいのではないかと考えています.

もうひとつ,本書に再三登場するのが,「インクルージョン」や「インクルーシブ」という言葉だ.この言葉によって,オードリー・タン氏は目指すべき社会を示している.それは,一部の人のために誰かを切り捨てる社会ではなく,誰も取り残さない社会である.

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る
オードリー・タン,プレジデント社,2020

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策の成功で注目された台湾.そのデジタル担当政務委員(閣僚)として中心的役割を果たしたオードリー・タン氏が,コロナ対策のみならず,教育,民主主義,社会改革などについて,自分の思考や行動を語った内容をまとめたのが本書「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」だ.

台湾のCOVID-19対策は「3つのF」で表される.Fast(素早く),Fair(公平に),Fun(楽しく),という3つのキーワードがそれだ.オードリー・タン氏がこの「3つのF」を思い付いたときのエピソードが興味深い.氏は睡眠学習を活用していて,寝る前に情報をインプットしまくって何も判断せずに寝る(考えていたら寝られないから)そうだ.ただし寝る前に「明日起きたらこの問題の回答を得なければならない」と思って就寝する.すると起きたときに回答が出来上がっているらしい.「3つのF」もそうして生まれたと書かれていた.この方法は私も採用したい.

本書を読むと,台湾と日本の違い,台湾とその他の地域の違いに気付く.例えば高速通信.日本でも5Gへの投資が進められているが,台湾では僻地から5G設備投資を進めている.それは,オンライン教育を含めて,台湾全体でのカバー率を上げるためだ.4Gが整備されている都市部は後回しでいい.この例にもインクルージョンの精神がよく現れている.

さらに,「(起業等で)たとえ失敗したとしても,少なくとも自分の健康や子供の教育が犠牲になることは絶対にないというのが,現在の台湾社会です.」と述べられている.実態はわからないが,貧困化が進み,失敗していなくても衣食住や教育に事欠く人が増えている日本とは随分と異なるように感じる.これもインクルージョンの問題だ.

自分の精神が健全で安定していれば、自然とスマートで礼儀正しい人間になれる。そういう余裕のある社会を台湾は目指しています。そのためにデジタルを積極的に有効活用していこうとしているのです。

これからの世界を切り開いていくために,社会改革を実現していくために,「持続可能な発展」「イノベーション」「インクルージョン」の3つがキーワードになると,オードリー・タン氏は述べている.インクルージョンはイノベーションの基礎であり,イノベーションが「持続可能な発展」を実現するための社会改革を生み出す.

ここでも,インクルージョンを重視する氏の立場が表明されている.

わずかな部分あるいは少人数のためのイノベーションによって,弱者を犠牲にしてはならない

イノベーションとは,より弱い存在の人たちに優先して提供されるべき

日本でも流行しているデジタル・トランスフォーメーション(DX)においても同様に,「持続可能な発展」「イノベーション」「インクルージョン」が重要だと指摘されている.日本ではイノベーションの観点,あるいは技術的な事柄ばかりが取り上げられているように感じるが,それでは道を誤ると指摘されている.

デジタル化とデジタル・イノベーションは,この社会にすでに存在している処理の方式や組織の価値観を増加させたり強めたりするものです.だからこそ,先ほどから言っている「持続可能な発展」「イノベーション」「インクルージョン」といった価値観を先に植えつけることが大切なのです.なぜなら,これらの価値観が不安定であれば,デジタル・イノベーションがおかしな方向へ進んでしまうことになりかねないからです.

公文書や統計や検査結果を改竄して平気な組織がデジタル・イノベーションを起こしてもろくな組織にはならないだろう.

なお,台湾の中小企業においてDXは猛烈に進んでいるようだ.

さて,この価値観を植え付けるためにも重要なのが教育である.持続可能な発展を実現するために,台湾の教育の基礎となっているのが「自発性」「相互理解」「共好(共同作業)」だという.特にデジタル教育については,日本でもプログラミングの授業が始まるなどの動きがあるが,氏はスキルよりも素養(平素の学習で身につけた教養や技術)が大事だと指摘している.それは,スキルではなく素養こそが,子どもたちがイノベーションを起こしていくために必要だからだ.

日本では,大学で市販の装置やソフトの使い方を教えるべきという意見もあるが...

プログラミング教育について,オードリー・タン氏は,プログラミング言語ではなく,プログラミング思考を学ぶべきだとしている.

私が重視しているプログラミング思考とは,純粋なプログラムを書くための能力や思考ではありません.これは「デザイン思考」や「アート思考」と言い換えることができます.

プログラミング思考とは,解決すべき具体的な問題があるときに,まず問題を小さなステップに分解し,それぞれを既存のプログラムや機器を用いて解決できるようにするものです.これは問題の中にある共通部分を見つけ出す方法でもあるので,ある場所で問題を解決できた場合,別の場所でも応用ができます.

「問題の中にある共通部分を見つけ出す」というのは,まさにサイバネティクスであり,システム科学的アプローチそのものである.

このプログラミング思考,デザイン思考,アート思考は,広い意味で「コンピュータ思考」と言っていいでしょう.これらは一人ひとりにどのようにアプローチしていくかを考え,その人の視点でどう世界を見ていくかを考えるときの土台となります.この土台があって初めて,「共通の価値観にいかに集約していくことができるか」を考えることができるようになるのです.

社会が大きく速く変化していく中において,「共通の価値観」が揺らいでいるのが昨今の日本の状況ではないかと思う.むしろ,一部の政治家らが価値観を壊しに来ているという状況かもしれない.人工知能が我々に日本社会が向かうべき方向性を指し示してくれるわけではないし,指し示して欲しくもない.民主主義に価値を置くというのなら,民主主義に則ってより良い社会を目指す必要がある.国民の声を聞かない政府ではダメだし,声を発しない国民でもダメだ.

インターネットは間接民主主義の弱点を克服できる重要なツールとなり得るのです。そこに私は、デジタル民主主義の未来の可能性を見ています。

まさにそうだが,それを実現していく台湾が素晴らしい.

目次
序章 信頼をデジタルでつないだ台湾のコロナ対策
第1章 AIが開く新しい社会―デジタルを活用してより良い人間社会を作る
第2章 公益の実現を目指して―私を作ってきたもの
第3章 デジタル民主主義―国と国民が双方向で議論できる環境を整える
第4章 ソーシャル・イノベーション―一人も置き去りにしない社会改革を実現する
第5章 プログラミング思考―デジタル時代に役立つ「素養」を身につける
終章 日本へのメッセージ―日本と台湾の未来のために

© 2021 Manabu KANO.

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