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【読書】自省録(マルクス・アウレーリウス)

私の座右の書だ.第16代ローマ皇帝(161〜180年に在位)であるマルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus)は,ローマ帝国の五賢帝の1人であり,ストア派哲学の徒としても知られる.その治世はプラトンが理想として掲げた「哲人君主」「哲人統治」の実例とされる.しかし,軍事よりも学問を好んだにもかかわらず,戦争からは逃れられず,結局は,遠征中に死亡した.

マルクス・アウレーリウス,「自省録」,岩波書店,2007

2つの簡潔な言葉を引用しておこう.

善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて,善い人間になったらどうだ.
名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い,享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが,もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである.

善い人間になれ.自分に言い聞かせるのは,これだけで十分ではないか.自分が善い人間になることを妨げるものが,この世の中に存在するだろうか.自分以外のものが影響を与えることができるのは,自分の肉体のみである.自分の精神は自分自身の支配下にあり,誰も手を出すことはできない.そうであるなら,自分が善い人間ではないことを一体誰のせいにできるだろうか.

善い人にも悪い人にも分け隔てなく与えられるようなものを望むな.名誉や財産など.それらによって,自分が善となることも悪となることもない.

名声や名誉などというものは,実に儚いものである.その名声や名誉を与えてくれる人達はどのような精神の持ち主であるか.名誉欲が強く,享楽的で,色情におぼれるような人達ではないか.そのような人達に褒め称えられることに,何の価値があろうか.自然の営みからすれば,ほんの一瞬にすぎない人生の目的は何か.名誉や財産を得ることなのか.善く生きることではないのか.

このような善き精神をもってローマ帝国を治めたとされるのが,皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスである.彼が残した言葉を集めた「自省録」には大変な魅力がある.

先に引用したが,「自省録」に残された下記の言葉は,私の座右の銘であり,行動指針を与えるものでもある.

名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い,享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが,もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである.

「自省録」は何度読んでも難しいところが多い.元々,人に読ませたり本として出版するために書かれたものでなく,皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが文字通り自省しつつ書き連ねたものを,後世の人達が整理したものであるためだ.難しくはあるが,それでも,心に強く響くものがある.私にとっては非常に良い本であるが,他の人にはあまり薦めたことがない.というのも,個人の価値観が色濃く反映され,かつ,読みにくいためだ.この内容を受け入れる準備ができた人でないと読めないし,読んでも無意味ではないかと思うからだ.

原因と結果の法則」(ジェームズ・アレン)のような本を読んでから「自省録」を読み返してみると,以前ならあまり気に留めずに読み流していた内容が「そういうことだったか」と強く印象に残ったりもする.例えば,「自省録」には,「人間には与えられるべきものが与えられている」,「現状に満足し,不平不満を言うな」ということが繰り返し書かれているのだが,原因と結果の法則,引き寄せの法則について知った後だと,その意味することが理解しやすい.確かにその通りだと頷きながら読める.

その他,「自然に従って生きる.」,「過去や未来を気にするな.生きているのは今のみ.」,「何が起ころうとも,それを悪いこと・不幸と自分が考えなければ悪いこと・不幸にはならない.そう考える自由がある.」,「誰も自分に損害を与えることはできない.精神は自分のもの.」などが繰り返し書かれている.そういう意味では凄く冗長なのだが,彼が自分自身に繰り返し言い聞かせていた言葉だとわかる.

プラトンの掲げた理想のように,マルクス・アウレリウス・アントニヌスのような哲学者(善い精神の持ち主)が政治を執り行うのであれば,社会はどのようになるか.そんなことにも思いを巡らせてみるのもいいかもしれない.プラトンの「国家」と共に読んでみるのもいいだろう.

マルクス・アウレーリウス,「自省録」,岩波書店,2007

© 2020 Manabu KANO.

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