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研究室紹介(2):製造技術,人工知能,医療・ヘルスケア

研究室紹介のつづき.主な研究内容について述べる.

産業界の課題を解決する

ここまでに述べてきたような思考やフレームワークを用いて,私自身はデータ活用を推進してきた.ここでは,研究成果の一部を紹介する.

製剤関連では,第一三共株式会社と共同で実施してきた一連の研究がある.最初に取り組んだのは,プロセス解析工学(PAT)の研究開発である.私がこの分野に入り込んだ当初,あちこちの国際会議で,ポテトチップスの写真を見せられ,なんと自虐的な集団なのだろうと思った.共同研究では,近赤外分光(NIRS)を用いた原薬含量の推定 [5],赤外反射吸収分光(IR-RAS)を用いた残留薬物の迅速測定 [6] などにおいて,Just-In-Time型モデルの一種である局所PLS(locally weighted partial least squares)を適用することで,従来から広く用いられているPLSに比べて高い性能を実現できることを示した.Fig. 5 に示すように,局所PLSでは,クエリ(出力を予測したいサンプル)が与えられると,クエリとの類似度に基づいてデータベース内の全サンプルに重みを与え,重み付き残差平方和を最小化するようにPLSモデルを構築する.このため,非線形な入出力変数間の関係にも対応することができ,PLSモデルを採用していることからPATに馴染みのある技術者には理解しやすく扱いやすい.NIRSと局所PLSを組み合わせたモデル開発については,データ前処理や波長選択の影響も含めて,詳細に検証した結果を報告している [7].また,Fig. 6 に示すように,スペクトル変動分割(spectral fluctuation dividing: SFD)を用いてスペクトルを複数の領域に分割し,領域単位で波数(または波長)選択を行うことで,効率的かつ高精度にモデルを構築する方法を提案した [8].

Fig. 5 局所PLSの概要
Fig. 6 スペクトル変動分割(SFD)による領域分割のイメージ

さらに,製造設備のスケールアップに伴うモデル構築,特に商用スケールでのデータ取得のための実験実施が大きな負担になることから,ラボスケールとパイロットスケールの設備での実験データを用いて,商用スケールの設備に適用可能なモデルを構築する方法を提案した [9].また,流動層造粒工程での水分含量を監視する目的で,先に紹介したグレイボックスモデルを構築し,その有効性を示した [10].なお,このグレイボックスモデル構築にも局所PLSを用いている.これらはPATあるいは仮想計測(ソフトセンサー)に関連する研究であるが,Quality by Design (QbD)を実現する手段として,NIRSなどの分析機器を導入すべきか,あるいは仮想計測技術を用いてプロセスパラメータなどから重要物質特性(CMA)や重要品質特性(CQA)を予測すべきかを的確に判断する必要がある.分析機器は導入コストが高い一方で,仮想計測はモデル構築に必要なデータを取得するために実験を行う必要がある.そこで,性能も考慮しつつ,この判断を経済的観点から適切に行えるように支援するために,双方の技術導入にかかる費用を算出するシステムを開発した [11].これにより,APIの価格や使用量,分析機器のコストなどが与えられれば,いずれを採用すべきかがわかるようになった.

ここで紹介した研究成果は,共同研究として実施したものであるが,それぞれの論文の第一著者(中川氏,宮野氏,柳沼氏)はいずれも社会人博士課程に在籍され(筆者が指導教員を務めたケースとそうでないケースがある),学位を取得されている.業務に従事しながら研究を進めて論文を執筆するのは容易ではないが,大学教員としては,企業の方々の学位取得を応援したい.

医薬品製造以外の分野でも様々な研究を実施してきた.例えば,鉄鉱石(酸化鉄)をコークス(炭素)で還元することで鉄(溶銑)を得る高炉は,製鉄における基幹設備であるが,内部は千数百度に達する高温のためセンサーを設置できず,内部状態を把握できないまま操業する必要がある.さらに,装置が巨大であるため時定数が大きく,炉の状態が悪くなると回復に時間がかかる.これまで人工知能の活用も含めて様々な研究が行われてきたが,長らく,熟練運転員の手動操作に頼らざるをえない状況が続いてきた.そこで,新たに2次元物理モデルを構築し,そのモデルに基づく溶銑温度予測制御システムを開発することで,まずは運転支援を実現し [12],続いて自動制御を実現した [13].操業安定化はCO2排出量削減にも貢献した.ちなみに,この技術開発で中心的な役割を果たされた橋本氏も社会人博士課程に在籍して学位を取得されている.

ケミカルトナー生産工場では,従来から品質予測制御が行われてきたが,設備改良や原料変更の度に品質予測制御を中断し,新しい環境で操業データを収集し,予測モデルを再構築していた.このデータ収集とモデル再構築に40日を要することから,その間の生産性の低下が問題となっていた.そこで,入力変数の種類や数が変化しても使える転移学習手法を新たに開発し,設備や原料の変更後(ターゲットドメイン)のデータに加えて,変更前(ソースドメイン)のデータもモデル再構築に活用できるようにした.その結果,モデル再構築に要する予測制御停止期間を40日から10日に75%短縮できた [14].これらの成果は製造現場におけるDXの優れた実施例であろう.

物理モデルを自動構築する人工知能を開発する

製造業DXを実現するためには,対象プロセスのモデルが必要になる.流行語で言うと,デジタルツインが重要な役割を果たす.測定できていない状態までも把握することができるようなデジタルツインの中核を担うのは,やはり物理モデルであろう.しかし,物理モデルの構築には多大な労力を要する.

2022年3月に学位を取得し,4月に助教に着任した加藤祥太博士は,博士後期課程に進学する際に,「これから何の研究をしたい?」という筆者の問いに対して,「修士課程では半導体プロセスの物理モデルを構築しましたが,物凄く大変でした.あんなことは人間がやるべきことではありません.人工知能にやらせるべきです.だから,物理モデルを自動的に構築してくれる人工知能を開発します」と答えた.そんなものが実現できるのかと衝撃を受けたが,若き研究者が情熱を持って取り組もうとしているときに,水を差すような老害になってはいけない.そこで,研究室の研究テーマとして取り上げることにした.

Fig. 7 物理モデル自動構築AI(AutoPMoB)

物理モデル自動構築AI(automated physical model builder: AutoPMoB)の概要を Fig. 7 に示す.まず,物理モデル構築を目指すプロセスに関する文献をデータベースから探し,それらの形式を統一する.次に,文献から物理モデル構築に必要な情報(数式,変数,定義など)を抽出し,抽出した情報の同義性を判定し,表記を統一する [15].最後に,情報を再構成して物理モデルの候補を導出する [16].これらの一連の手続きを実現するために,様々な要素技術を開発する必要がある.現在,加藤博士を中心とするチームで精力的に開発を進めている.

この開発の最中,2022年に登場したのがChatGPT(GPT-3.5)である.ChatGPTは瞬く間に世界を変えたと言っていいだろう.我々の人工知能に対する見方を一変させた.巨大企業が大規模言語モデル(large language model: LLM)の開発に鎬を削っている.そのような状況になって,物理モデル自動構築AIについて学会発表をすると,「それってChatGPT(あるいはLLM)で実現できないのですか?」という質問を受けるようになった.LLMへの期待の大きさが伺えるが,今のところ,LLMは物理モデルを自動構築してくれない.

医療・ヘルスケアに目を向ける

ここまでプロセスシステム工学分野の研究について述べてきた.改めて,Fig. 2 を見ていただきたい.様々な技術があるが,これらは製造プロセスに対してのみ有用だろうか.皆さんは恐らく年1回の頻度で健康診断を受けているだろう.果たしてそれで十分だろうか.本来は毎日,理想的にはリアルタイムに,健康状態を把握すべきではないだろうか.現時点では非現実的かもしれないが,進歩著しいウェアラブルデバイスを用いれば,将来的には可能だろう.これは仮想計測である.病気を,できればその兆候を,できるだけ早く正確に見付けるのは異常検出である.健康状態を最高に保つために,どのような生活をすればよいか,最適な食事や運動は何かを求めることは,生活の最適化である.つまり,製造プロセスを対象に開発した技術はそのまま我々の身体にも適用できる.プロセスシステム工学はそのまま医療システム工学になるのである.

Fig. 2 プロセスデータ活用技(再掲)

我々は,てんかん発作予知システムの開発に注力してきた.2011年4月に栃木県で通学中の児童がクレーン車に轢き殺される事故があった.翌2012年4月には京都の祇園で暴走車両が通行人を轢き殺す事故があった.いずれも運転手がてんかんを患っていたことから,発作が原因であろうとされた.これらの死亡事故を契機に,道路交通法が変更されたが,てんかんや統合失調症などへの偏見を煽るとして,医療従事者や患者からの反発も大きかった.ただ,一部の例外を除いて,てんかんの患者にとっては,運転しない自動車による事故よりも,入浴中に発作が起こることの方が差し迫った危険である.そのような事故を防ぐために,てんかん発作予知を実現したい.

Fig. 8 てんかん発作予知システム

てんかん発作予知の研究では,脳波を使うものも多いが,日常生活で使用するためには,脳波計の装着は現実的ではなく,ウェアラブル心電計を用いるのがよい.我々が開発しているてんかん発作予知システムの概要を Fig. 8 に示す.患者が身に付けたウェアラブル心電計で,心電図からRRI(連続するR波の間隔)を算出し,そのデータをスマートフォンに送り,そこで心拍変動解析と異常検出を行い,発作の予兆が検知されれば,患者に危険を知らせる.異常検出には様々な方法を用いることができるが,最初に検討したのが,製造業で実績のある多変量統計的プロセス管理(MSPC)であった [17].現在は,深層ニューラルネットワークを含む機械学習手法を組み合わせて,さらに予測精度を向上させている [18].てんかん発作予知システムの製品化を目指して,2018年に京都大学発のスタートアップ企業であるクアドリティクス株式会社を創業し,現在も活動を続けている [19].

てんかん発作予知の研究開発チームを率いているのが,名古屋大学の藤原幸一准教授である.藤原先生は,プロセスシステム工学研究室の後輩であり,私が現所属に異動した直後に,研究室に助教として来てもらった.そこから,てんかん発作予知をはじめ,運転手の居眠り検知 [20],睡眠時無呼吸のスクリーニング [21] など,自律神経系に関わるものを中心に,様々な医療・ヘルスケアサービスを創出している.

<研究室紹介(3)につづく>

参考文献

5) S. Kim, M. Kano, H. Nakagawa, S. Hasebe, Estimation of active pharmaceutical ingredients content using locally weighted partial least squares and statistical wavelength selection, Int. J. Pharm., 421, 269-274 (2011)

6) H. Nakagawa, et al., Evaluation of infrared-reflection absorption spectroscopy measurement and locally weighted partial least-squares for rapid analysis of residual drug substances in cleaning processes, Anal. Chem., 84, 3820–3826 (2012)

7) H. Nakagawa, et al., Verification of model development technique for NIR-based real-time monitoring of ingredient concentration during blending, Int. J. Pharm., 471, 264–275 (2014)

8) T. Miyano, et al., Spectral fluctuation dividing for efficient wavenumber selection: application to estimation of water and drug content in granules using near infrared spectroscopy, Int. J. Pharm., 475, 504–513 (2014)

9) K. Yaginuma, et al., Scale-free soft sensor for monitoring of water content in fluid bed granulation process, Chem. Pharm. Bull., 68, 855-863 (2020)

10) K. Yaginuma, S. Tanabe, M. Kano, Gray-box soft sensor for water content monitoring in fluidized bed granulation, Chem. Pharm. Bull., 70, 74-81 (2022)

11) K. Yaginuma, S. Tanabe, H. Sugiyama, M. Kano, Prediction performance and economic efficiency of soft sensors for in-line water content monitoring in fluidized bed granulation: PP-based model vs. NIRS-based model, Chem. Pharm. Bull., 69, 548-556 (2021)

12) Y. Hashimoto, et al., Practical operation guidance on thermal control of blast furnace, ISIJ Int., 59, 1573-1581 (2019)

13) R. Masuda, et al., Automation on thermal control of blast furnace. Digital Chemical Engineering, 7, 100085 (2023)

14) S. Kobayashi, et al., Transfer learning for quality prediction in a chemical toner manufacturing process. Computer Aided Chemical Engineering (eds. Yamashita, Y. & Kano, M.), 49, 1663-1668 (2022)

15) S. Kato, C. Zhang, M. Kano, Simple algorithm for judging equivalence of differential-algebraic equation systems, Sci. Rep., 13, 11534 (2023)

16) S. Kato, M. Kano, Towards an automated physical model builder: CSTR case study. Computer Aided Chemical Engineering (eds. Yamashita, Y. & Kano, M.), 49, 1669-1674 (2022)

17) K. Fujiwara, et al., Epileptic seizure prediction based on multivariate statistical process control of heart rate variability features, IEEE Trans. Biomed. Eng., 63, 1321-1332 (2016)

18) R. Ode, et al., Development of an epileptic seizure prediction algorithm using R–R intervals with self-attentive autoencoder. Artif. Life Robot., 28, 403-409 (2023)

19) https://www.quadlytics.com

20) K. Fujiwara, et al., Heart rate variability-based driver drowsiness detection and its validation with EEG, IEEE Trans. Biomed. Eng., 66, 1769-1778 (2019)

21) A. Iwasaki, et al., Screening of sleep apnea based on heart rate variability and long short-term memory, Sleep Breath., 25, 1821-1829 (2021)

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