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まだ本質でないところで消耗してるの?

「電気メスを使いますか?」
「皮膚縫合は何針ですか?」
「皮下縫合は何個入りますか?」

結論から言うとこれらは本質からは遠い事項です。
外科行為においての本質とは、「患者のトラブルをより安全に解決すること」ととりあえず仮定します。

「より本質に近いところ」「本質から遠いところ」を同列にして気にしていると、本質を見失うリスクがあります。まずは幹(基礎、下地)を知り、それから枝葉を見ることです。

例えばね。

眼瞼下垂手術であれば、「まぶたの機能を損なわない範囲で目が開くようになること」が目的。
この時の本質とは、眼瞼挙筋を利用するのか、ミュラー筋を利用するのか、はたまた二重(ふたえ)にするのか、前頭筋を利用するのかということです。

本質に近いのは患者の特性(個性、年齢、栄養、肥満度、骨格)、皮膚切除をするのか、脂肪を取るのか利用するのか、どんな仕上がりを追求するかという議論です。

そして逆に本質から離れる議論は「皮膚縫合に使う糸はなにか?腱膜の固定は何箇所か?」というところ。「手術器械が最新か」というのも本質からは遠い事項。
もっとも本質から遠いのは外科医はイケメンか。クリニックの建物は築何年か?です。

イケオジ外科医は手術がうまい?

こんなことは申し上げにくいのですが、倫理的な問題あるいはホスピタリティも実は本質からは遠いです。例えば外科医がピエロの格好で鼻歌歌いながらで手術していても手術の結果には問題ありません(倫理的な部分は無視して)。抜糸を他の人がしても問題ありません。執刀医が24時間添い寝すれば心は満たされるかもしれませんが手術の経過にはまったく影響がありません。

たとえば韓国に遊びに行くのに飛行機を使うか船を使うかは本質に近い議論です。交通手段の選択は旅の味付けの大きな要素になります。一方羽田空港を利用するか成田空港を利用するかの議論は本質から離れます。利用空港の選択で議論してて航空券購入のタイミングを逃したら本末転倒ですよね。

「手術中にメスを使うのか電気メスを使うのか」という命題も本質からはやや離れています。寿司職人が刺し身をさばくのに鋼の包丁を使うかセラミックの包丁を使うかを議論するようなもの(実際に議論はあります。そして顧客にとっては安全で美味しければ良い問題)。

あの時メスを使えばよかったかもという振り返りもあり得ます。一方電気メスを使ったほうがよかったかもというシナリオもあり得ます。ですがそれは枝葉末節の問題であり、幹(基礎、土台)ではありません。幹がきちんと仕上がった上での議論です。

だから縫合に使う糸はどのブランド?と聞かれても、「それは本質から遠いですよ」と付け加えてご説明することが多いです。

ふたえ埋没法であれば挙筋法か瞼板法か本質に近いです。一方プレミアムな糸を使うか否かは本質から逸脱してます。例えれば、プレミアムな糸を使ったのを覚えていて「挙筋法か瞼板法か」を覚えていないという状況は本質を見誤っているということです。

熟練した外科医は枝葉末節にこだわるように見えます。じゃあお気に入りの針糸が無いことに気づいた時手術を中断するでしょうか?いいえ。変わりの糸を用いて普段と何ら遜色ない仕上がりを達成できます。それはなぜか?本質部分をちゃんと仕上げることができているからです。

土台があっての上

本質からの離れ度合いはグラデーションです。「より幹に近いか、比較的遠いか」という程度問題です。本質から離れていても人によっては無視していいわけでもありません。本質をしっかり認識し、優先度の高いところを熟慮選択した上での枝葉末節の考慮は好ましいでしょう。

要は本質に近いところほど大事な選択となるわけです。本質と遠いところに気を取られて消耗し、本質を見失って幹(基礎)作りに失敗することのないようにしたいものです。

でもね、

医療の本質ってなんでしょう?病気が治ればOK?

実は心理的な満足度のほうが本質に近いという考えもあります。その観点では医療スタッフと患者との良好な信頼関係のほうが大事かもしれません。

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