縄を撚る技術
僕は奈良に産まれ、
滋賀を経て京都に住んだ経歴を持っている。
それ故に、殊更に滋賀京都奈良の関連は気になり
時間と暇が許せば、それらに関する情報には
触れてきた。
そんな経緯の中で
今日は滋賀里255甕墳墓と言う墳墓説明会に
参加してきた。
この説明会に講師として登壇されていた
岡田憲一氏への質問で、
僕にとっては初めて得た知見があったので
記録として残そうと思う。
俗に言う、縄文土器
縄文の代名詞とも言える縄文は
畿内縄文後期ではほぼ観られず
東北縄文後期で見られる現象だ。と言う話
この縄文は縄を撚って造る文様だから
縄を撚る技術がないとできない文様だと言うこと
畿内縄文ではその縄を撚る技術が希薄だった
可能性が高い。と言う話であった🤭
ちなみに、なぜ縄の技術が東高西低だったのか?
までは伺えなかったが、
僕の中では腑に落ちた◎
今日の講演は、収穫が多かった。
良い暇つぶしになったなぁ(^^)
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