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【ふしぎ旅】小国御陵

 新潟県長岡市(旧小国町)に伝わる話である。

 苔野島に古びた由緒ありそうな墓が一基残っている。
 村人はこれを「小国御陵」と呼んでおり、後醍醐天皇の皇子、護良親王を葬った所だと伝えている。
 歴史では護良親王は足利尊氏に捕えられて、建武元年鎌倉へ流され、同二年七月、土牢の中で読書中、尊氏の弟、直義によって殺されたとある。
 しかし、この伝説では、親王は、鎌倉を逃れ、流れ流れて越後に入り、中頸城郡の岡田庄にしばらく滞在していたが、その後、小国郷へ移り、ここでさびしく暮らしているうち、病死したことになっている。

小山直嗣、『新潟県伝説集成下越篇』
天塔塚

 旧小国町の名所として記されたこともあるところだが、最近の小国地区の案内などには、この伝説については触れられていない。
 実は埋蔵文化財としては、大塔塚(王統塚)で登録されており、そちらの伝説として伝わっているのだ。

 もともと、この大塔塚があった地区名が”ミササギ”という地区であった。
 ミササギを漢字で書くと”陵”、これは高貴な人の墓を意味する。
 たぶん最初は、”小国町のミササギ地区”として”小国のミササギ”として呼んでいたのが、そのまま”小国御陵”の呼び名へと伝わっていったのではないか。

小国御陵付近

 この塚、一説には以仁王の墓ではないかとも言われている。
 護良親王にしても以仁王にしても、高貴な人間が、田舎へ逃げ延びるという伝説の枠組みは変わらない。
 何かしら、身分の高い者が関係していることは間違いなさそうだ。  

苔野島地区入口

 苔野島地区を訪れると、山の麓に出来た集落であることが分かる。
  集落の入り口にお地蔵様がある。
  山の麓にあるので、家は坂道ぞいに建てられている。
  大塔塚は、そこよりさらに奥。山への入り口というところにある。
  少し小高い丘があり、そこに注意しなければ分からない細い道がある。

大塔塚入口

 そこが大塔塚の入口だ。 

大塔塚

 大きな銀杏の木が立ち、その脇に大塔宮遺(跡?)の字が書かれた石柱。
 そして伝説の通りに苔むした墓?が置かれている。

大塔塚 墓?

 近くには、苔むした祠もある。

大塔塚 祠

 ただ、他には何もない。
 どのような場所かを説明する由来書もなければ、他の者の墓らしきものもない。
 ただうっそうとした叢が一面に広がっているだけである。

大塔塚周辺

 皇室関係の墓という伝説が残る地にしては、あまりにも寂しすぎる風景が、歴史に残る護良親王の生涯と重ね合わせて、さらに寂しい気分へとさせるのだった。

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