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【ふしぎ旅】新小路奇談

 新潟県三条市に伝わる話である。

 宝暦年間、本寺小路、新小路、三星小路など小路と名の付く通りは有名な遊郭地帯であった。
 そのころ、新小路の加賀屋に小奈津という信州、上州にまで知られた遊女がいた。
 小奈津はお家騒動の責任を負って自決したある藩の家老の娘で、歌舞音曲はもちろん和歌、俳諧にまで深い教養を持っていた。

 ある日、加賀屋へある大藩の近習役をつとめる川上伊織という前髪立ての若侍が登楼、小奈津を相手に遊んでいた。
 この伊織という若者は錦絵から抜け出したような美男子で、さらには。驚くべき精力の持ち主だった。このため小奈津は一回で、この男の虜になってしまった。
 それから伊織は毎晩、同じ時刻に来たが、ある時加賀屋の主人を呼び、三百両の大金を出して、小奈津を三か月の間、買い切りたいと申し出た。
 加賀屋では、二つ返事で承諾し、それから小奈津は伊織一人だけを相手にすることになった。
 ところが、それから小奈津の身体に異変が起き、日一日と衰弱していった。
 ある夜、小奈津は伊織に三条での住まいをたずねたが、町の上の方に下男と住んでいるというだけで、詳しいことを教えてくれなかった。
 このため、小奈津はある日、小女を連れて、伊織の住居をさがしたが、どうしても見つからなかった。
 その帰り道、ある寺の境内で歌を歌っている瞽女(ごぜ)に小粒を投げ与え、帰ろうとしたとき、瞽女は「お前さんの身体に何か怪しいものが付きまとっているようです」と告げたが、小奈津は幸せの絶頂にいたので、気にも留めず帰った。

 それから一か月ほど経った。
 伊織とのあまりにもの回数の交わりが原因で、小奈津の身体はますます衰弱していった。
 そのころ本願寺三条別院に偉いお坊さんが滞在しており、どんなことでも即座に解決してくれると評判だった。
 加賀屋でも大切な商品である小奈津に万一のことがあれば大変だと、この坊さんから見てもらうことにした。
 ある日、小奈津は小女を連れて、別院にこの坊さんをたずねた。
 坊さんは小奈津を一目見るなり「商売道具の前を開きなさい」と言って、陰部を出させ、びっしりと経文を書き込んだ。
 そして「これでよし。誰が何と言おうと、絶対に洗ったり、さわったりしてはならない」と言い渡した。
 その夜も伊織がやってきたが、どうしたのか、小奈津を抱こうとはしなかった。
 そればかりか、表情は非常にけわしく、だんだん呼吸が乱れ苦しみだした。
 そして、今にも倒れそうになったとたん、当然窓を蹴破って、二階から割下水の中へ飛び込んだ。
 それから、伊織は二度と現れなかった。伊織の正体は年老いた大きなカワウソだった。

小山直嗣『新潟県伝説集成 下越篇』
新小路

 さてさてとかなり生々しい話であり、子供の前では語ることが出来ない伝説である。
 なかなか「遊女の商売道具」とか「陰部」などという語は、少なくとも「まんが日本昔ばなし」などでは聞かない。
  耳なし芳一の話の様に、経文を身体に書くという話は聞くが、陰部限定とするのも珍しい。
 怪談としてではなく、奇談として伝わっているのも、この艶っぽさゆえであろう。
 郭話の一種なのだろうが、色々とあった噂が、この話に入っており、話としては少し乱雑な感じもする。

新小路

 もともとは、話としては、美しくて教養があり、家柄もよいという女郎、小奈津がいたという話。
 素性の知れない、美男子侍、伊織というものが、すごく絶倫性豪だという話。
 衰弱していく女郎に祟られていると言って、坊さんが陰部に呪文を書く話。
 という三つの話があり、それぞれに噂されていたのではないか印象をうける。
 特に、坊さんが陰部に呪文を書くなどという話は、好色坊主の鉄板ネタなのでは無かったかと思える。
 で、この3つの話を、上手く組み合わせて、話に奥行きを持たせたのではないか。
 かなり芝居じみた話でもあるので、実際に当時、語っていた芸人がいたのかもしれないとも思える。

寺と近いところにある新小路の割烹

さて、現代の新小路であるが、遊郭などは無いが、飲食店や飲み屋などもいくつか見ることが出来、繁華街として、そこそこに賑わっていたのだろうなということを感じさせる。

新小路近くにある寺

 かと思うと、すぐそこには本願寺三条別院の他にも寺がいくつもあり、なるほど、このようなところでは、坊主が陰部に呪文を書く話などは想像しやすいなと思わせる。

 新小路なるところは元々は川が流れていたそうだが、暗渠にして埋めた小路だそうだ。
 ”新”とは名付けられているが、伝説の通り、江戸時代からすでにあった。
 ただ、この近辺では比較的新しい小路ということでその名が付いている。

新小路の側溝

 元が川なら、水も豊富にあり、カワウソも化けて出やすいだろう。
 案外と、美男子にカワウソが化けたというのも、川が埋め立てられ、風情が無くなっていく風景のメタファーなのかもしれない。

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