木蓮
春に咲く花と言えば、真っ先に思いつくのは桜であろうが、私は木蓮の方が好きだ。
桜のパッと咲いて、パッと散るというその潔さも嫌いではないのだが、桜吹雪というのは、あまりにも鮮やかすぎて、少々食傷気味になる。
それよりは、どこかの庭先にひっそりと、しかし凛とした存在感を持ちながら咲く紫色の花の方が見ていて気持ちいい。
香りも、桜の方は満開のその下を通ると、むせ返って息が詰まるような、そんな錯覚におちいることもあるが、木蓮の方は女性の残り香を思わせるような、そんな優しい香りがする。
何よりも、私は木蓮の、変色してもまだ散らずにいるような、あの未練たらしさが大好きなのだ。
まだ自分は「終わりでない」とも無言で主張しているようでもある。
確かに、桜のように、ジェームス・ディーンを思わせるような、青春のまっただ中で散っていくという姿も魅力的である。
だが、私にはそれ以上に、自分の衰えを知りながら、それでも未だしぶとく、しがみついていようという木蓮の意地汚さ、泥臭さに親近感を覚えてしまうのだ。
そして、そう思いながらも、春が終わり気付くといつの間にか花はすっかりと無くなっているような、そんな目立たない散り方。
その時々に、身の振り方を知っているような、そんな木蓮の花が私は大好きなのだ。
春のまだ少し肌寒い夕暮れ時、紅に滲む空に木蓮のシルエット。
その切ないほど美しい姿は、花の香りと共に春の訪れを静かに知らせる。
・・・季節は当たり前に繰り返し、そして春。いずれにしても春。
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