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岸田奈美さんの文章を読んで、打ちのめされている!

こんにちは、サカモトです。

先日、最近読んでいる本を紹介しました。あっ、本は大体5冊くらい平行して読んでいるんですね。

この中で、岸田奈美さん本を読んでいることを書きましたが、あまりの文章のうまさに打ちのめされてしまいました。

ちなみに、今読んでいるのはこちらの本、「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」です。

実はこの本を読むのは二度目で、一度目に読んだときは書評も書いてます。ついこの間のような感じがしますが、なんと一昨年の年末!もうそんなときが経ったのかという感じです。

ちなみに、この本の文章ですっかり岸田さんの文章のファンとなってしまい、いやファンではなく、目標となりました。そして、誠に勝手ながら師匠と仰いだりしてました。

そして、今回文庫化ということで、あらためて読み直したら、すごかった。岸田奈美さんの本は何冊が読んでるし、noteも購読していて、かなりの量の文章を読んでますが、この頃の文章が一番好きですね。ホントにキレッキレッ!

あっ、今の文章が全然だめとか、おもしろくないというわけではないですよ。でも、読み直してみたら、若さの勢いというか、サービス精神というか、そういうものが溢れ出てました。と言ってもわずか5年くらい前の話ですけどね。

多分この頃に会社をやめて、フリーになるタイミングで、気分も上げ上げの時だったと想像します。


例えば、「はじめに」のはじめはこんな感じ。

気がつけば、作家になっていた。 いや、本当にわたしは作家なのかしら。代表作といえるものはないし、小説や詩を書いたこともない。下手の横好きが肥大化して、下手の縦横無尽好きのようになっただけだ。身のまわりに起こった愛しいことを言葉にして、花咲かじいさんのように四方八方まき散らしていたら、たくさんの人に読んでもらえた。ただそれだけだ。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

下手の横好きが肥大化して、下手の縦横無尽好きって一体何だ?

身のまわりに起こった愛しいことを言葉にして、花咲かじいさんのように四方八方まき散らしていたとか、こんな表現、何を食べたら思いつくんだ?

こんなおもしろい表現がポンポン飛び出て来ます。大げさじゃなく、3行に一つは出てくる感じです。

どうしたって、こんな表現は思いつきません。多分3回くらい生まれ変わっても無理でしょう。

そして、何と言っても岸田さんの文章は愛が溢れている。思わずクスッと笑ってしまうユーモアのある文章であるに関わらず、誰も傷つけない配慮された文章なのです。愛があふれている。

 年末に編集者の佐渡島庸平さんと、デザイナーの前田高志さんが、こんな言葉をくれた。
「岸田さんの文章はね、落語家と一緒だよ。読めば、目の前で登場人物や情景が動いているみたいに感じる。それで、何度読んでも笑える」
「たくさん傷ついてきた岸田さんだから、だれも傷つけない、笑える優しい文章が書けるんだと思うよ」

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

おもしろいのに、愛があふれている、そんな文章に憧れがありますが、とても書けそうもありません。あまりの才能の違いに打ちのめされ続けています。

しかし、おもしろいからまぁよしにしましょう。まだ、全部読んでないので、最後まで楽しく読んでいこうと思います!

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