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心の持ちよう

 人間には期待や希望とともに不安や心配もあります。心配というものは、自らの心によって次から次へと生み出されます。希望も同じです。どのような苦難にあっても希望を持てる人もあれば、平穏無事の生活にありながら常に先を心配する人もいます。心配性という言葉もあるくらいです。心配や希望は誰かが与えるのではなく、心の持ちようで自らの心が生み出すのであれば、希望をたくさん生み出して前向きに生きたいと思います。

 突然ですが、ウサギの話をします。ワニを騙す「いなばの白兎」? 因幡と稲場の違いがあります。(私は、よく稲「葉」と間違われます。残念ながらサムライジャパンの監督でも、B’zのボーカルでもありません。稲「場」です。はい)。ウサギの話をします。小学生の時にウサギを飼っていたことを思い出したのです。そう、ウサギです。
 ウサギが登場する物語、神話として頭に浮かぶ話は何でしょうか? 悪いタヌキをウサギがこらしめる「カチカチ山」も有名です。ウサギは知恵者です。そして、自らの身を捧げる純粋な心を持ったウサギの話もあります。「今昔物語」にも登場する「月の兎」です。お月見をしながら子どもに語るこの話、もとは仏教説話からきています。

 物語と言えば、小さい頃に多くの人が親しむイソップ物語。動物を主人公とし、人間生活の悲喜こもごもを風刺した古代ギリシヤの寓話集です。英雄伝とはすこし趣を異にしており、虐げられた者、弱者の物語で、そこにはギリシヤ人の生きる知恵が説かれています。「もしもしカメよカメさんよ、世界のうちでお前ほど」の「ウサギとカメ」の競争が一番有名でしょうか。謙虚に、そして地道に生きることの大切さが読み取れるこの話は日本人の精神性と合致したのでしょう。日本人で知らない人はいないという位に馴染みがある寓話です。ウサギには不名誉な話ですが。

 イソップ物語には「ウサギとカエル」の話もあります。こちらは、いつも獲物として狙われている臆病者としてのウサギの話です。人間や他の動物から常に狙われているウサギたちは、日々、心配しながら生きるのが嫌になります。一生こんなにビクビクしながら震えて過ごすよりも死んだ方がましだと嘆き悲しむウサギたち。そして、死ぬことに意を決し、沼にむかいました。一斉に駆け出して、沼に身を投じようとしたその時、沼のまわりにいたカエルたちがウサギたちの駆け足の音を聞いて驚き、沼の中に跳び込みました。それを見たウサギたちの中で一番分別がありそうなウサギが言いました。「皆さん、待って下さい。沼に身を投じるのはやまめしょう。見ての通り、私たちよりももっと臆病なものも他にはいるのですよ」と。そして、ウサギたちは死ぬのをやめたという話です。

 この寓話から何を読み取るでしょうか。もちろんカエルは水陸両用!沼に飛び込んでも死にませんが、ウサギたちは、カエルが自分たちに驚いて沼に投身したと思ったのでしょう。そして、世の中には自分たちよりも不幸な境遇にあるものもいるので、自らの不幸を嘆くのはやめようと心をたてかえたのです。

 自らよりも不幸な人、大変な境遇の人をみて自分はましだと思うのは悲しいことです。社会的課題に一緒にななって取り組めたらよいですね。説話や寓話から何と読み取るか。どのような時代にあっても、また、人生のどの時期にあっても、それぞれに課題というものがあり、自らの心の持ちようにより見え方も異なってくるという教訓もあるでしょう。

 ところで、フランスでは野ウサギを食べます。以前、パリに住んでいたころ、市場で毛をむしり取られて丸裸になったウサギが売られているのを見ました。フランス人の家に招待されて、マスタード・ソースで煮込まれたウサギを食する機会もありました。日本ではペットとしても親しまれているウサギ。かわいそうと思いましたが、食文化の違いです。スペイン北東部にある南カタルーニャの有名料理はチョコレート・ソースのウサギ!ピーターラビット、ミッフィー、マイメロディーの絵が描かれた銀紙つつみのチョコはありそうですが、チョコレート・ソース煮込みのウサギとは驚きです。

 結びに、もうひとつウサギに登場してもらいましょう。「二兎追うものは一兎をも得ず」。同時にあれもこれもと二つのものを得ようとすると、どちらも成功せずだめになってしまう、欲張ってはだめと小さい頃に学校で教えられた記憶があります。でも、要は心の持ちよう。二兎、三兎を得ようと知恵をだし、たゆまぬ努力をするところに、たまたま、扉をあけたら沢山のウサギがいたということもあるかもしれません。

 肝心なことは、心の持ちようですね。



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