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おもてなし

 この言葉ありましたね。もうひと昔といった感がありますが。

 もう何年も前のことです。北米出張で日本の航空会社の飛行機に乗りました。その際、その航空会社のサービス向上の教育係がモニターのために搭乗しており、食事や客室乗務員のサービスに関して私に意見を求めてきました。サービス向上のために意見を求められたので、少し間をおいて、きちんと答えました。

「国際競争が激しい今、コスト削減は必要なこと。食事の中身を含めて検討するのは当然で、特に不満はありません。重要なのは、仮にコスト削減によって食事やサービス内容に影響があったとしてもそれをカバーしてあまりある笑顔、あたたかい眼差しだと思います。乗客にサービスしている時以外の乗務員同士のコミュニケーションも、時には乗客の目や耳に入ってきます。ぞんざいな言葉使いや態度であれば、乗客は気分が良くないと思います」

と答えました。見られていなくとも、乗客に接する際にその時の態度や心が自然と姿勢や表情に影響を与えるものです。形なき心が形に現れるホスピタリティの「心」があるかどうかです。

 昨今、ビジネスの世界でも使われるホスピタリティ(hospitality)は、ひとを丁重にもてなすことですが、もともとは、外から来訪した宗教者や特殊な職業人を崇敬の念で歓待する風習を言いました。語源的には、ホスピスやホスピタルとも関係していて、ラテン語のhospesという「host(あるじ)とguest(客)の両方」の意味をもつ言葉が源流です。 それは、中世ヨーロッパでは、巡礼者や旅行者を泊めるために修道院などに設置された宿泊所のことで、そこからさらに、宿泊者のケアや看病、看護施設に、そしてホスピスとなりました。今、ホスピスとは、ガンや難病により末期症状にある患者の医療的・精神的・社会的援助(ターミナルケア)を行う施設です。

 ホスピタリティは、外から訪れた「異人」歓待の歴史的遺産とも言えるものですが、今、ビジネスで使用される時に意味することは、前述したように、「お客様」に対するおもてなしです。はじめて訪れたお客様であっても大切な一人です。ましてやカスタマーは「異人」ではなく、何度も訪れる顧客ですから、丁重にもてなすのは当然のこと。さらに大切なのは、そこに心がどれ程ともなうかです。

 日本のサービスは世界で高い評価を受けてきました。お客様は神様というおもてなしです。その日本の「おもてなし」文化も存続の危機に瀕しています。欧米型の新自由主義・効率重視の影響です。一方で、「ホスピタリティ」という言葉とともに、その欧米からサービスのあり方を説いた本やセミナーが日本に入ってきたとは皮肉なものです。しかし、「おもてなし」は昨今流行しているクレド(信条)やマニュアルでなされるものではありません。根底に「思いやる心」が必要だからです。

 以前、妻、長女、次女が出かけた時に、当時、6歳の長女がある建物の扉を開いて、荷物をもつ妻と次女を通しました。その後、年配の女性が来るのを見つけて、しばらく扉を手で押さえて開き続けて、その女性を通してあげました。「今どき、こんな子はいない。いい子よ。ほめてあげて」とその女性は妻に言ったそうです。私が長女に「どうして、そうしたの」と聞くと、「人が来たから」と淡々と答えました。ホスピタリティです。

 子どもに学ぶことも多いです。忘れていた大切な心を見つけました。ふと思い出しました。「おもてなし」は、裏も表も無し、まごころですね。


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