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友人と、コロナと、精神衛生のこと。


大学時代から、ずっと付き合いのある友人が信州に住んでいる。
元高校教師。15年くらい前に、教員を辞めて、亡くなった父上の土地にペットと一緒に一家で暮らせる瀟洒なメゾネットを2棟建て、さらに単身者用のアパートを買い上げて、経営している。相当な借金もして、経営は曲折はあったものの今は安定して稼働率はほかのアパート経営者がうらやむレベル。
というのも、常に物件のメンテナンスを怠らず、必要なリノベーションまで自分でほぼ何でもやってしまう、からでもある。

まぁ、あまり詳しく言っても仕方がないのだが、その彼はもともと芸術家肌のところがあって、理科の教師をやりながらずっと絵を描き、工芸作品まで作成し、ついには森を拓いて自宅を自分で作り始めた。大したエネルギーと才能だ。それはちょっとびっくりするくらいだが、そういうことには膨大なエネルギーを惜しみなくつぎ込む一方で、人付き合いに関しては省エネのところがある。

いや、変人とかではない。会えば温かみのある善い奴だ。ただ、人間関係には面倒くさがりのところはあるのだろう。そして、人に会わなくても自分のやりたいことを一日していて苦にならない。暇があれば家を造っている。本当に、ひとりで一から森の中に家を、それも相当に大きな家をつくっているのだ。ちなみに、ちゃんと家族はある。奥さんと娘さんふたり。奥さん、娘さんからは相当好かれている。

さて、ところが近年は、ぼくの生活と比較して、こんなに人と交わることのない生活でよいのか、と自問している様子がある。森の家の木々に鳥の巣箱をつくり、そこに入った鳥を、友達が増えたとか言って知らせてくるのはなかなか笑える。確かに家族はを除けば、有る意味では本当に人と接することが少ないらしい。そして、その家族も娘さんが働き始めたりして、奥さんとふたりだけの生活が見えてきて、ふと考え込むこともあったりするのだろう(奥さんの方は実は彼とは異なり、多様なネットワークを持っていたりするわけだ)。

では、そう言うぼくはどうか。
彼が有る意味ではうらやむような、感心されるような生活をしているのか。
正直、まったくそうは思わない。その辺のところは彼に限らず、誤解されているのかもしれないが、かなり孤独な生活をしている。と言えると思う。たぶん。
もう長い間、ずっとそうだったし、今もそうだ。
ぼくは人付き合いがよいと思われているのかもしれないし、有る意味では実際にもそうなのかもしれないが、深い関係を持っている他者が身近にいるわけではない。深い関係というのは、例えば妻とか、子どもとか、もちろん親や兄弟姉妹、祖父や祖母、伯父さん等ということにもなるだろうが、誰もいない。猫一匹いない。

こう書くとどうも、結構問題がありそうな人物ですよね。自分のことだけれど。しかも、少なくとも表面上は何にも問題がない、のがかえって問題だ、というような後方二回宙返り一回ひねり的な問題のなさの感じがまた微妙と言えば微妙なわけだ。まぁ、着地した時にちゃんと前方を見ていればいいじゃないか、と言う気もするが。

話が脱線しそうだが、要するにぼくの日常はでは何によって支えられているか? というと、たぶん、"The strength of weak ties"(弱い絆の、強さ)だということになりそうだ。何とかっていう学者さんの説らしいが、要約すると、人を支えるのは強い絆だけではない。弱い絆たちが支えている、ということもあるのだ。と言う説らしい。ぼくの場合のこの弱い絆に相当するのは、友人・知人ということになる。
そして、その意味では、ぼくは比較的幸運な人間なのかも知れない。
そう思ってきた。
ただ、その幸運な人間にしてからが、というか正にそれ故に、精神衛生上というのか、日常生活上の、とでも言うのか、危機に瀕しているのかもしれない。
つまり、コロナウィルスの話である。

シンプルに言えば、コロナは要するに人に会う機会をなくせば、うつらない。すると、二週間ちょっとで罹った人のうち、軽症の人は自然治癒し、重症の人は集中的に治療して、亡くなるひともいるだろうが、退院できるひとは退院できる。
そういうことですよね?

コロナについてだけ言えば有る意味でシンプルなんだが、二週間、いや、余裕を見て、一か月、ほぼ人に会わない、つまりほぼ国全体で経済を止める、というのが難しいんだろう。
実際には、何もかもを止めるわけでもないし、本当に止めたらそれで死んじゃう人もでるだろう。
しかし、その基本方針を決めて、とにかく最善を尽くせば、相当確実にコロナは押さえ込める(た)だろう。

すると。
政府にその決意があるかないか。決断ができるかどうか。
結局そこだ。
今の中途半端さ。煮え切らない施策。訳の分からなさ。これでは終息は遠い。まだまだ続く。ピークすら遠い。
そう覚悟しなくてはならない段階ではないか。
バブル景気のころ、有頂天になっていた日本人のことを思い出す。
なんともはや。

すると、先ほどの精神衛生関連の問題が大きくなるだろうな。
もしかすると、weak ties の The strength なんてものは、淡い幻想であった、みたいな研究成果の傍証になってしまわないとも限らないのだ。
やばい。
形勢逆転。

信州の友人に、ひとりで森の中で孤独に家づくりに励むその強靭な精神力について、教えを乞わねばならないのかも知れない。が……。
そんなハメにはなりたくない。

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