IP電話

 一九九八年、IP電話の仕様を検討する国際会議が、カリフォルニアの片田舎で開催された。電話を本格的にIP化するとき、交換機はどうなるのか、標準化の分科会の実務レベル会議だった。NTT本体から一人参加するので、現地で支援してほしいと依頼があり、私はシリコンバレーから車を飛ばした。冬の海辺は閑散としていた。
 遠方から来る参加者のため、一日目はチェックインだけで本番は二日目朝からだ。日本からの参加者を待つが一向に来ない。二日目の昼頃になって、彼がようやく合流した頃には、会議はもう白熱していた。空港から遠く、現地に着いたのが遅くなった。それも会議開催ホテルに部屋がとれず、離れた別のホテルで、今朝はタクシーがなかなか来なかったそうだ。
 国際会議といっても専門の分科会だから参加者は少ない。四十人程の窮屈な部屋だった。主要メンバが順次プレゼンする。通信プロトコルの議論なのだが、その裏に各社の思惑がある。IP電話時代のネットワークをどうするか、どこに自社製品をはめ込むか、自社製品に有利な仕様に誘導したい。それぞれ細かい仕様を議論する。それに対して、また細かい質問が飛ぶ。皆メーカの代表で、通信会社はNTTだけだった。
 IP電話は、シスコなどのルータメーカが推進していた。既存の交換機メーカにとってIP電話は敵、目の上のタンコブ。しかし、無視はできなくなっていた。ノーザン社も精鋭を送り込んでいた。しかし、何と言っても驚きはルーセント社だった。
 ルーセントテクノロジーはAT&Tの製造部門が一九九六年に分離独立した会社で、あのベル研も吸収していた。新しい戦場、IP電話で主導権をとろうと考えたのだろう。分科会の座長をルーセントがとった。その強引な司会進行に参加者は不満を募らせていた。それが白熱の原因だった。
 夕食後はさらに感情的になっていった。質問のマイクを離さない者、真っ赤な顔でまくしたてる者、司会進行が不公平だと食ってかかる者。会議が終わったのは0時だった。ノーザン代表に「おやすみ」と声をかけると「世界中の仲間が私のメールを待ってる」と足早に部屋に引き揚げていった。同僚五人も一緒だ。標準化のチームなのだ。
 NTTから参加した彼は、タクシーが捕まらなくなるのを恐れ、早めに退席していた。時差もある。予想外の激論に驚き、疲れただろう。ホテルまで送ってあげたかったが、私は会議を見届けたかった。
 三日目も夜になり、とうとう誰かが「投票だ」と言い出した。標準化を正式に決めるものではないが、座長の横暴に対抗して公平な議論をするには投票しかない、というわけだ。ホテルのメモが配られ、会議室のゴミ箱が投票箱になった。NTT代表は投票用紙を見つめて唖然だった。「持ち帰ります」としか言えなかった。まるで黒船に狼狽えた幕府の役人だった。
 私はルータ屋たちの案に目から鱗だった。ノーテルもルータを支持していた。交換機の各機能をばらばらにして、それらを高速LANでつなぐ方式である。一方、ルーセントの案は、交換機の中には手をつけさせない鎖国案に見えた。
 ドタバタの投票だったので、A案かB案か、無記名で書くだけだったのだが、後日、どちらに投票したか事務局から確認がきた。のちに、そのルータ屋の案が実際の仕様になっていった。
 電話の国際標準を担当する部署は、NTTの技術局と研究所に専門チームがあった。しかし、IP電話はインターネットの規格と認識され、電話チームは動かなかった。ただ、この分科会は電話のルーティングとIPのルーティングをどう結合するかが主題だったから、技術局の若手が一人、とりあえず参加してみることになったようだ。
 一方、主要メーカはベテランを中心に数名がサポートする本格体制だ。その中に大学生もいたのに驚いた。議事録を書いたり、投票用紙を用意したり、新技術の初期の議論から参加しているのは将来キャリアのためだろう。うらやましい。専門分野の仕様検討と交渉のプロを育成しているのだ。残念ながら日本メーカは参加していなかった。NTTの彼は、数年で別部署へ異動してしまうだろう。これでは世界と戦えるプロは育たない。これはJavaでも同じ状況だった。日本はプログラミングの職人を育てても、仕様やアーキテクチャ、技術戦略の専門家を育てていない。
 IP電話は、電話の鎖国を破る黒船だった。反発する人がいる一方で、異国と手を結ぼうとする者も現れる。その部長は攘夷派だったが、急に開国に変身した。(研究所出身ではなかったが)熱烈なベル研崇拝者で、ルーセント社に何度も詣でていた。ベル研の研究者はIP電話には何ら寄与していないと思うのだが、崇拝を利用したルーセントの営業は成功したようだ。その人の部下から私に「〇〇部長の目の黒いうちはルーセントだから、黙っていたほうがいい」と脅迫めいたメールまできた。
 日本に出張したとき、その人から呼び出された。「おまえのそのつぶらな瞳がいけないんだ」つぶらな瞳?「真面目で実直そうに見えるから上司が騙される」決め台詞は「骨は拾ってやる」だ。以前にも、この人に言われた。そのときは「思う存分戦って来い。死んだら」と解釈した。でも今回は「邪魔するな、するなら骨だぞ」か? なんと昭和な。
 通信の大きな国際標準化会議がトロントで開催された。IP電話がどう扱われるかを見に部下と飛んだ。残念ながらIP電話はまだメインではなかった。
その会場で古い知り合いに会った。新人時代、武蔵野研究所で一緒に交換機を開発した某社のチーフだった。懐かしかったし、最近の武蔵野の様子も聞きたかった。「夕飯でも」指定のレストランに行くと、彼の部下が十人も来ている。なんだか静かなディナーだった。食事が終わる頃「名刺いただけますか」という。「これで会議費で落とせます」NTTの人と会食したことで、部下たちもディナーにありつけた。私はすっかり利用されていたのだ。ディナーより、しっかり世界と戦ってくれ、日本メーカ。
 のちにルーセント社はフランスのアルカテル社と合弁する。ノーザンテレコムは、ルータメーカと合併してノーザンネットワークスになり、そしてアルカテルに吸収されてしまう。だが、シスコやジュニパーはいまだ元気である。シリコンバレーの大学がインターネットの基礎を創り、それをシリコンバレーのベンチャーが受け継いで世界で活躍している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?