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シリコンバレーのツアーコンダクター

 サンフランシスコはゴールドラッシュが造った。金はすぐに枯渇したが、集まった人が事業を起こした。北にワイナリー、南は果樹園が広がっていたそうだ。農繁期には多くの移民が働いた。映画「怒りの葡萄」の舞台だ。農閑期にも仕事があれば定住できる。かつてはアニメ産業もあった。(サンノゼ大学に展示コーナーがある)
 アニメや半導体は、村おこしだった。推進していた人にインタビューしたことがある。ゴア副大統領の高額なパーティ券も買ってやったが、彼らは結局何もしてくれなかった。このバレーは自分たちの力でシリコンバレーになった、と胸を張った。
 半導体を起爆剤に人が集まり、ゼロックス、HP、アップル、Sun、オラクルなどのIT企業が育った。その人材集めに大学が貢献している。スタンフォード、UCバークレー(カリフォルニア州立大バークレー校)、その他たくさんのカレッジがある。
 UCバークレーで一般教養の授業を覗いた。ドアをそっと開けると数学。半円形の階段教室のはるか下に教授が見えた。最後列の生徒が振り返り「満席だ」と目で合図してきた。最後列まで真剣だった。スタンフォードではもっと簡単に授業を見物することができる。晴れた日に校内を歩けば、芝生で教授を囲んでいるのだ。(シリコンバレーはほぼ晴れています)
 スタンフォード大学生をバイトで雇ったので授業内容を聞いてみた。プログラミングは、自分たちで要望を探すところからだ。図書館やカフェにヒアリングし、たとえば予約システムを提案して受注。まさに「書を捨てて街に出よ」だ。
 そうそう、クリントンの娘の入学式をスタンフォードに見物に行った。晴天の9月の空の下、公開の式典、遠くからだがクリントン夫妻が見えた。遅刻してきた新入生たちが、大きな荷物をかかえて私たちの横を駆けて行った。(大統領の娘も寮生活でした)
 シリコンバレーに来たのだ、半導体産業を覗いておこう。大学時代、半導体の基礎は受講したし、NTTでもLSI研究を覗いたことがある。あれから十数年経って線幅はナノになり、トンネル効果を防ぐ大学教授の講演が超満員だった。委託研究の発表はショーのようだった。
 通信や画像処理の専用LSI、ASICの設計技術には驚いた。Cのような言語で設計できるらしい。5Gやゲームや4Kも、結局LSIがベースだ。
当時の主戦場はADSLだった。NTTからやってきた視察団と一緒にセミナーに参加した。セミナー講師は「私はベトナムで」「私はカンボジア」「〇ミリの銅線で」と自慢話だった。米軍は戦地で、既存の電線を使ってデータ通信をやっていたのだ。標準化は不要だから、技術の実験としては絶好だったろう。
 ADSLは無線技術だ。電線の特性に応じて周波数スペクトルを調整し、できるだけ高速にする。技術屋にはたまらない挑戦だったろう。それを自動化し、LSI化したことで安価になり、一般ユーザのインターネット接続に応用された。標準化からスタートしたISDNとは逆の発展経路だ。
 シリコンバレーには、技術者、コンサルタント、投資家が集まっている。あるときはパーティで、あるときは駐車場で知り合った人たちを集め、次第に大きくしていく。そして、大企業に買収してもらう。喰われることが、このサバンナでの成功だ。
 LSI化には大きな投資が要る。利益が出る大きな市場を保証するために標準化するが、それによって製品の差別化は難しくなる。見晴らしのきく草原での戦いだ。素早く見極め、スタートを切ったチータだけが獲物をとる。そういうチータを大企業が買収する。
 FPGAは、プログラマブルなLSIだ。ASICほど大きな投資リスクを負うことなく、高速な専用LSIを用意できる。ルータなどで利用されていた。インターネット通信のパケットは、従来プログラムで処理していたから、速度を上げることができなかった。FPGAにより、桁違いの高速ルータが可能になり、音声や映像をインターネットで配信できるようになった。
 当時NTTは、音声や映像には非同期通信モードATMの回線交換を考えていた。仮想専用網VPNも回線交換によって実現する構想だったが、私は「ATM敗北、これからはIP」とレポートした。展示会「ATMフォーラム」はすぐ終了になった。セミナーや展示会の勢いで、技術の未来が占える。それは投資家の動向だからだ。金が動くと人も動く。
 NTTは、IDSNにこだわってADSL導入が遅れ、ATMにこだわってインターネット対応が遅れてしまった。東日本大震災のボランティアに行ったとき、真っ新な電柱を建てている光景を見て、あのパクベルのCMを思い出した。
 日本からの視察団を連れてシリコンバレー企業を訪問した。ツアコンを買って出たのは、支店でアポをとるより「日本からNTTが来る」と言うほうが効果的だったからだ。でも、訪問先から必ず「目的は?」と訊かれる。観光とは言えない。時には十数人で押しかける。先方の幹部が笑顔で「質問は?」じつはしびれを切らしている。すると「えー、通信の今後について教えてほしいです」などと言い出す。私は頭を抱える。先方は「NTTの要望を教えてください」と声が荒くなる。そんな場面に何度も遭遇した。通信会社が通信の今後を構想し、メーカに注文する。メーカは最大公約数を探り、製品やサービスにする。それがサバンナだ。NTTの将来を無料で教える馬鹿は、シリコンバレーには居ない。
 データセンタの視察も多かった。ちょうど用語が誕生し、注目を集めていた。当時は気軽に見せてくれた。装置に触ることさえできた。いまはテロ対策で絶対に入れてくれないだろう。
 大企業は社内に計算機室を持っていたから、データセンタのターゲットはベンチャーや外国企業だったのだろう。だからとてもオープンだった。メインフレームの工場なら、フロアは広いし電力も充分ある。
 林立するコンピュータの間を歩いていくと、工事中の一区画があった。通常、コンピュータは鍵のかかる扉がついた棚に格納する。ところが、そこには扉も鍵もない。十メートルものむき出しの棚に網を張っただけ。その網の上に、むき出しのCPUボードを並べている。まるでアジの干物でも作っている光景だ。「これは?」「ああ、なんかベンチャーが安いコンピュータを大量に並べたいらしい」複数のデータセンタでこの干物棚を見た。誕生したばかりのGoogleだった。

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