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藪入り

 「藪入り」という落語をご存知だろうか。奉公に出した一人息子が久しぶりに里帰りしてくる。待ちわびる夫婦は相談。鰻を食べさせよう、温泉に連れて行こう。
 中学からイギリスに留学させた娘の藪入り、映画はジブリ、舞台は歌舞伎、無料見学バスは東海村原発、それなら広島にも連れて行こう。
 職場を見せよう。妻が東芝を辞め、再就職したオフィスが品川だった。私のオフィスも品川だったので、平日帰国した娘の成田エクスプレスを品川で出迎えた。通常は週末、成田まで出迎えるのだが、たまには。私の職場の同僚も交えて歓迎昼食会にした。
 日本の高校も見せておこう。娘を連れて母校を訪ねた。イギリスの学校は古くて質素でも、教室も芝生も整然としている。それと比べ日本の高校の夏休みはなんと散らかっている。恥ずかしくなった。もちろん、放送室にも連れて行った。(妻と出会った場所です)
 夏休み、フロリダでビジネスカンファレンスがあった。ディズニーワールド経由でイギリスに戻ったら、と娘に提案した。ディナーは家族同伴できる。娘は欧米のビジネスマンと、そつなく会話していた。食後「発音がアメリカンでおかしかった」という。イギリスで放映されているTVドラマは多くが米国製、映画もそうだ。米国の発音は聞きなれている。ジョージクルーニーやブラッドピットのように話す人たちがおかしかったらしい。本人もアメリカンにしておいたそうだ。
 イギリスから日本に直帰するのではなく、プロバンスの油絵教室を提案した。セザンヌで有名なフランス南部の田舎。民宿に泊まり、画家の家に通う。日本からのツアーだが、ロンドン、パリ、マルセイユ空港からプロバンスへ。予定の時間を過ぎても到着の電話がこない。実家は「売り飛ばされたのでは」と心配する。
 ようやく電話が来た。「プロバンスの民宿に行ったけど誰もいなかった。でも大丈夫。今夜は空港に迎えに来てくれた人が泊めてくれるって」民宿のおかみが到着日を間違えていたのだった。出迎えバイトの日本人主婦の家に泊めていただいた。
 油絵教室は、プロバンスの観光ビジネスの一部だった。十人余りの生徒は、様々な国からやってきた裕福なおばさまたち。(先生も女性)セザンヌが描いた風景の中を散策し、絵を描き、先生のお宅の庭で料理やワインを楽しむ。英語と仏語もできる最年少の日本人娘は、おばさまたちに気に入られたようだ。
 その先生が来日し、銀座の画廊で個展を開いた。教室に参加した人たちが集まり、先生の絵は飛ぶように売れた。その売上で先生夫婦はアジアを旅した。私も一点買わせてもらったが、娘の絵の輸送費を思い出すと、この価格で利益が出るのだろうか。娘が種明かしをしてくれた。キャンバスや額だと輸送費が高くなる。先生は絵を巻物にして持参し、日本に着いてから額を購入。夫婦で組み立てたのだそうだ。(聞き出した娘を褒めたい)
 「何かバイトやりたい」と娘は毎回言ってきた。探したが、中学生の休みだけの短期バイトは無い。ボランティアなら。娘が0歳のときお世話になった無認可の保育園に相談してみた。区立の保育園に移ってからも二重保育をお願いしていた。バザーにも協力した。園長先生は喜んで二週間のボランティアを承諾してくれた。
 初日は緊張して数時間で気分が悪くなって帰ってきた。一日一日時間を伸ばし、慣れるまで一週間。まるで「慣らし保育」ではないか。バイトにしろ仕事にしろ、たしかに慣らしが必要だ。大卒の新人も昼過ぎはあくびが出る。
 きちんとお礼を書くよう、妻が言った。保育の大変さ、先生たちの手際の良さ、赤ちゃんたちの反応、よく整理され、客観的に書けた。(この手紙はコピーしてとってある)
高校になった冬休み、帰国早々、娘が夜になっても帰って来ない。家出? 黙って紹介会社の説明会に参加していたのだ。
 翌朝から六本木のバイト先に通うという。夫婦でこっそり見に行った。綺麗な和紙を売る洒落たお店で安心した。だが、お金をもらう仕事は大変だ。厳しさを知る。和紙をカットして販売するのだが、うまく切れない。帰宅後、包装紙を定規で切る練習を遅くまでやっていた。
 クリスマスが近づくと生クリームの実演販売。泡立ての練習は紹介会社でやったが、現場に行ってみると、大切なのは売り声だった。大きな声で明るく元気よく美味しそうに。帰宅後、近所の公園で練習していた。
 夏のバイトで短期高収入は「墓掃除」だった。お盆前の一週間が勝負だ。周りはおじさんばかり「君、なんでこんなバイトに来たの」と心配された。「学校はどこ?」必ず聞かれたそうだ。「バーミンガム近くのウースター州の・・・」では面倒、娘はとっさに「白百合です」と答えた。おじさんたちはどんな顔をしたのだろう。
 運転免許は十八の夏休みにとらせた。どこの大学に進むか分からない。場所によっては車が必要になる。日本の免許を持っていれば。
 その夏は行事が多く、合宿免許には帰国の翌日から入る必要があった。しかも、その初日が法事と重なり、私は足の悪い伯母さんを車に乗せて連れていくので、娘は一人で教習所に向かった。伯母さんの家の近くまで来たところで携帯が鳴った。教習所の名前をタクシー運転手に告げると、駅が違う、かなり遠い別の駅だった。九時から始まる授業に間に合わない。(ゴメン、違う駅教えた!)
 その日を逃すと、その夏取得できない。娘には、あきらめず教習所へ向かうよう言い、車を停めて教習所に電話した。教務課はダメだと言うが、なぜ今年取得する必要があるのか、なぜ翌週に延ばせないか、懸命に説明した。そして、娘は遅刻分を必ず取り返しますからと。「拝見してから判断しましょう」電話を切られた。
 受け付けてもらえたのだろうか、連絡がない。教習中なら電話できないから、きっと受付てもらえたのだろう。夕方になってようやく通じた。部屋の様子が賑やかだ。カラオケだ、酒だ、男だと、お姉さんたちが強者。俳優の市原隼人も合宿していたらしい。運転免許だけでなく、いろいろな年代の女性の生き様に接することができた。

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