【MBTI】ENTPの私の人生
どうも。ENTPの私は、幼いころから自由を求めてきました。
抑圧と解放の物語として、ぜひお読みください。
子供時代「母親と宗教による抑圧」
子供時代、私は自分の本来の性質と周囲の抑圧との狭間にいた。
それは、私と性質の異なる二つ原因があった。
一つ目は、母親からの抑圧だ。
母親はISFJ。私とは真逆のMBTIだ。分かり合うまで本当に苦労した。
愛情深いが抑圧的なISFJと、自由を求めるENTP。
何かのサイトで、親がISFJ、子がENTPの相性は最悪だという記載を見かけたことがあるが、本当にその通りだと思う。まとめると下記の通りだ。
母 VS 私
束縛が強め | 自由を愛す
計画性がある | 計画性がない
固定概念が強い | 可能性を考える
周囲に気を使う | 周りが見えない
心配性 | 楽観的
どう考えても分かり合えないのである。
母からよく言われた言葉で、印象に残っているのが、「そんなことしたら皆に嫌われちゃうよ。」である。
そう。母は周りに嫌われないことを第一としていた。
それが、私の中学、高校時代まで影を落とすことになる。
そしてもう一つ、私を抑圧していたのが「宗教」である。
私は宗教三世であり、父も母も同じ宗教を信仰している。
今でも友達がいるのでなんだかんだ行事には参加しているし、宗教を否定したいわけではない。
が、宗教の「人に優しく」「周りを大切に」的な価値観が、私の子供時代を支配していたのは間違いようのない事実である。
この二つの抑圧によって、私は「人に優しくしなければ嫌われる。(Fe?)」
「世間体が一番大事(Te?)」という考えを植え付けられ、とんでもないいい子ちゃんになってしまったのだ。
このころ周りからは「優しい」という印象を持たれていたと思う。
抑圧のしようがないので(?)、Neだけは順調に育ったようだったが。
思えば、小学生時代の、チクリ魔的な性質や、「先生の言うことは聞かなくては」という強迫概念は、本来の性質(Ti?かな)を抑え込まれ無理やりFeとTeを使うよう矯正された結果なのかもしれない。
中学時代「優等生から反抗期へ」
先ほどの抑圧はここでも続く。
が、周りの言うことを素直に聞き、みんなに嫌われないためにみんなに優しく接する私に対して、「これは私ではない。」という気持ちが強くなる。
自分のままで周囲と接することができない辛さを感じていたのだ。
このころ、勉強は周りからの印象がよくなるためにやっていて、全然身になっていなかった。母も私になぜか「勉強しろ」と言ってきていた。
こういった母への反発か、自我の芽生えか、反抗期がやってくる。
支配的な母からどうにか逃れたいという気持ちで、とにかく反抗していた。口だけは達者だったので、論破した結果、母親がヒステリックになるという悪循環だった。
母親は、「こんなにあなたのことを考えてるのに」という思考だったと思う。が、束縛も執着も支配も、私は求めていなかったのである。
ただ、私が徹底的に反抗したお陰で、母は不干渉になっていき、母からの抑圧から解放され始める。
三年生ではぼっちになり、病む。
一人でも苦ではないが、周りを気にしすぎていた私は、周りからの目がつらかった。→小説に逃げる。
さらに悪いことに、このタイミングで高校受験があった。
正直周りへの優越感のためにやっていたため、身が入らない。
割と頑張ったけど受験に落ち、それによって、「私は頑張っても無駄なんだ」という気持ちが強くなる。
高校受験時に得たものと言えば、図書館で勉強していたおかげで、休憩時間に本を読みまくり、心理学の知識がついたということだ。
これは今でも財産になっている。
高校時代①「解放」
高校時代の最初は、中学三年生の時のぼっちから脱却しようと、高校デビュー的な感じだった。
変に空回って、いつの間にか天然キャラになっていた。
「変わってる」これは中学でも言われていたが、いろいろ抑圧され、それがたまに顕在化する様が「変わってる。」という印象を与えていたのかもしれない。
このころ私は、「自分を出せない」という悩みを強烈に抱えていた。
とにかく周囲に出している自分は自分ではなかった。
一年生の最後の方で、やっと自分を出せるようになる。
なぜか?
ひたすら心理学を使って実験していったのもあるし、人間が実は優しいものだと分かったからだ。
それは、ある友達(ENFJ)の影響が強かったのだと思う。
私のことをほめてくれて、素でいいんだよと言ってくれていた。太陽みたいな子だった。今も仲いいけど。
元々私は人が怖かったのだと思う。けど、人は私を傷つけるために存在しているわけではないと知った。
このころの私は性善説。だいぶ周囲とうまくやれていた。
ここから、二年生になり、別のクラスに移る。事情は割愛するが、私は、転校のような形で、元あったクラスに入ることになった。
そこで私は、性善説の思想の下、男女関係なく、いろんな人と仲良くなった。
この時、人に対し興味があり、誰にでも好かれていた。この時やったMBTI の結果は、ENFPだった気がする。
ちなみにこのクラスの人からは、今でも、「このクラスの人間と言えばお前。一年の時違うクラスだったとは思えない。」と言われる。うれしい。
人間にはいろんな人がいると知ったし、性善説はそのまま続行。
人に与えれば返ってくることも知った。
このころの優しさは、「人に嫌われないため」でなく、「人が好きだから」という理由に基づいていた。
正直このころが一番好かれていたので、何度かこれに戻りたいと思ったことがある。が、戻れなかった。
ここで初めてモテ始め、恋愛の楽しさを知る。
モテる人といい感じになったおかげで、モテる方法も知る。
高校時代②「Tiの発達」
クラスはそのまま三年になり、受験が始まる。
「頑張っても意味はない」と思っていた私だが、高校二年生で定期テストを頑張り、4位まで上がったことで、「頑張れば私はいける」という思考に。
さらに、このころは、中学の時とは違い、優越感のためではなく、自分のために頑張っていた。親にも干渉されていなかった。
そのため、すごく頑張れた。
「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。」という名言を紙に書いて勉強机に張っていた。
ということで、ひたすら勉強に没頭。
最初は国公立を目指していたため、夏をすべて数学に費やした。
しかし数学は私に向いてなかったようで、点数が振るわず、あきらめる。
正直この時、諦めたら試合終了だと思っていたので、めっちゃ泣いた。
結果そこそこの大学に受かったので万々歳だが。
このあたりから、(受験のお陰で?)論理的思考が育ち、私は宗教に対して疑念を持ち始める。
「稼ぐ=悪」「人に対し優しくしなければ」といった考えに対し、反抗し始める。「私は自由に生きるんだ!」という気持ちを強く持つように。
これが宗教からの脱却だ。
ちなみに、このころのノートに、「私が分離しているようだ。」と書かれている。
純粋で優しく、おおらかで感受性豊かな自分と、冷たく、計画性があり、冷静で、何も感じない自分。
外に出すのは前者だが、常に後者の自分が私を見つめているという感覚があったのを思い出した。
大学生「ENTP」
大学生になると、私は完全にENTPへ。
ただ、ふつうのENTPとは違い、抑圧された経験から、人の感情への理解や、一般常識も割と備わったENTPとなった。
抑圧されていたTiがどんどん日の目を浴び、Neと合わさって、「自分なりの考え」を発展させるようになる。
そして、哲学にはまる。
宗教とは少し参加しつつも、距離を置くように。まったくもって信じられなくなったのだ。
また、今まで、F型の人たちと深いかかわりを持ってきたが、INTJやENTP、ESTPにシンパシーを感じるようになり、深く交流をするように。
このあたりから、T型と一緒にいると気を使わないから楽だ、と感じるようになる。
私たちは独特の優しさを持っていて、Fの感情に寄り添うものとは違うけど、確かに人を思う気持ちはあるよなーと、思う。
本当の意味で(深い場所で)共感できるのは、このあたりからT型になる。
まとめ
ともかく、まとめると、小学生から、中学、高校を経て、抑圧から解放された結果、今の自分が作られたという感じがする。
正直、抑圧されたことによってFeやTeが育ったため、他のENTPのよりも接しやすい人間にはなったのかもしれない。
Fe→周囲の感情を大事にする。
これによって、友達に何か相談されても、とりあえず感情に寄り添う。
Te→一般常識を大事に。
私の頭の中には、今でも、常に一般常識があるが、今と昔で違うのは、
以前「変に思われないようにそれに従う」
今「一般常識は自分の中にあるけど、Tiによってそれを疑ってみよう」
という考え方にシフトはしていると思う。
そんな感じで、抑圧と解放を経て、私が出来上がった。
母と宗教の抑圧なしに育てられていたら、どうなっていたのか、気になる所である。
長々と失礼しました。読んでくれた人、ありがとうございます。
同じように抑圧されて育ったENTPの方がいたら、コメントいただけると幸いです。
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