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ゴジラ観てきた

 いやはや今回ばかりは語るのを躊躇っていた。なにせこう、非常に評価し難い作品である。
 
 というわけでゴジラ-1.0(以下マイゴジ)見てきた。
 
 まず前提として、ゴジラとはジャンルレスであるということを踏まえておかねばならん。ゴジラももう70歳。その間にさまざまな作品が作られてきた。壮絶なドラマが展開された初代。コメディ映画として楽しい対ゴング。カルト的なサイケデリックと公害の灰色に彩られたヘドラ。もはやロボットものなメカゴジラ(ジェットジャガーなんてのもいた気がするが、正直覚えていないので割愛)。
 
 こういった「それゴジラじゃなくてもよくね?」なものまで含まれているのが魅力であり、このコンテンツを延命させてきた一因だろう。
 
 そういうわけで登場人物がどんな奇行をしようと、どんなアホな脚本であろうともはや気にならない。そういうものだからだ(ただ、それに相応しい舞台設定や作品のノリによるが)。
 
 だから俺は今回のマイゴジに対して演技がー、とか、脚本がー、とか言うつもりはない(正直こういうものをゴジラとして出し続けるとまたゴジラ冬の時代が到来するのではないかという危惧もあるが、俺は別に業界人ではないのでそこは東宝さんの判断力を信じるとしよう)。
 
 ただ問題がある。ゴジラである。俺はゴジラ映画を観にきているわけであるからして、ゴジラを見にきているわけである。そのくせしてゴジラが全然出てこねぇのはどういう了見か。
 
 聞くところによるとマイゴジはあの82.5億売り上げたシン・ゴジラよりも制作予算が多いらしい。であるならばもっとゴジラを出せたはずなのだ。にもかかわらずその登場シーンは全体の二割か三割だ。金を返せとも言いたくなる。もしこれが昭和のセット組むのに使い果たしたらというなら呆れる。
 
 これは俺の好みの問題だが、ゴジラの描写についても気に入らない。俺が好きなのは初代ゴジラやシン・ゴジラのような(あとは84年版もか)、幽霊みたくのっそりのっそり歩いてどこか怒りを滲ませながらも淡々と街を破壊していく姿だ。
 
 しかしこれは違う。最初のゴジラザウルスならまだいいだろう。だがクロスロード作戦の原爆を食らって変異したゴジラが、軍艦の主砲ならまだしも戦闘機の機銃如きにビビってかみつこうとするのは解せぬ。小物か。動きがやたらと早いのも嫌いだ。50mの巨体があんな素早く動けるわけなかろう。
 
 被害状況が描かれぬのも気に食わぬ。まずゴジラザウルスを出すなら食いちぎられた死体やら臓腑をぶちまけた姿を描くべきなのである。その割に他人が楽しんでるアトラクション見せられてんじゃねーかと思うくらい気軽で軽妙な人体空中パイ投げ殺戮シーンを見せつけられて天を仰ぎたくなった。いや、人体欠損くらい見せなさいよ。
 
 当時の銀座とか進駐軍が死ぬほど歩哨として立っていたのだから、ゴジラが放射性火炎をぶちまけた時に市井の連中もろともぶっ殺して欲しかった。そうすることで無差別に、政治的思想を持たない怪物としてのゴジラが強調されたやも知れんのに。
 
 ただゴジラの放射性火炎によって発されたキノコ雲(初見時は桜島の噴火を思い起こさせた)の後に瓦礫に降り注ぐ黒い雨は「おお!」と思わされた。惜しむらくはやはり被害状況が描かれなかったことだ。あの場面ではゴジラの放射性火炎から膨大な熱が発せられていることにして、神木を突き飛ばして庇った浜辺美波がその強烈な熱を食らって一瞬にして体組織の奥まで炭化してしまい、地面に刻まれた人影を残して粉々に吹き飛ばされてしまう描写が欲しかった。そしてその半身に輻射熱で刻まれたケロイドが見るも痛々しい神木が、その影に取り縋って泣く。その後ターミネーター2の冒頭ばりにメラメラと燃える街を見せてくれればよい。そしてその中を黒い雨に打たれながら、幽鬼のような足取りで歩く神木。図らずもその姿はゴジラに重なる。そして家族の安否を確認するために爆心地に押し寄せる民衆とそれを押し留める警邏の連中が小競り合いを繰り広げる中、瓦礫の向こうから神木が現れる。
 
 こういうの入れてくれれば問題ないんすよ。だがこの映画はどういうゴジラがやりたいのかまるでわからない。多分初代のような怖いゴジラがやりたいのだろう。その割には木造船をジョーズみたく追いかけてくる場面で映る顔はVSシリーズやレジェゴシみたいな敵性怪獣とバトる時のヒロイックフェイスである。いやそこはさあ……GMKの時みたく白目にするとかしようぜ。
 
 そして初代がやりたいならやはりゴジラは大量殺戮兵器である核兵器によって殺されるべきだ。そも、初代ゴジラとは核によって変異した生物が陸に上がって虐殺を繰り広げ、人がそいつを同じく大量破壊殺戮兵器である「オキシジェン・デストロイヤー」で抹殺するという話だ。
 
 ここがゴジラがドラマとして非常によくできている部分だ。人類の愚かしさが生み出した大量破壊殺戮兵器たる核兵器を食らった(言い方はアレだが)竿兄弟としてのゴジラを殺したのが、同じく人類の生み出した大量破壊殺戮兵器であったというグロテスクな関係性。あまりにも悲しいジレンマだ。これが通常兵器で殺せたならこの作品は今まで残ることはなかっただろう。初代は単にアメリカの原爆がー、とか、核兵器がー、とかそういう単純な批判をしたいのではなく、被爆した当時の世相が生み出した、核兵器を生み出してしまうような人類に対する「ヤバいだろ」という観念が表れた映画だ。アランムーアのウォッチメンみたく、どこにもこの世界の正しさや責任の所在を求めようのない閉塞感や絶望感が画面を彩っている。
 
 だからこそわざわざ時代を近くし、初代に寄せたマイゴジはそれに則って米軍の核兵器によって殺されるべきだ。そうでなければその意味がない。おまけに公開前に戦後の0が-1.0なるという思わせぶりなことを言っていたのだから、しっかり煽った期待に応えるべきだ。
 
 核兵器を落とされてゴジラは死ぬ。しかしその際に撒き散らされたゴジラ細胞が東京湾あたりを汚染して、あと千年は生物の住めない死の海になった、なんていう描写を入れれば戦後の0が-1.0になったという意味のタイトルにもちゃんと筋が通る。
 さらには意地でも核兵器を落とさせなかったシン・ゴジラともいい対比になって、新時代のゴジラを象徴する二大巨頭になれたはずだ。
 
 だがこの映画はそれをしない。
 
 わざわざ戦後を舞台にしたにも関わらず、町内会の連中と武装解除された軍艦だけで適当にゴジラを殺してしまうのはいかがなものか。
 
 
 
 そうしたゴジラ周りの描き方が残念でした、という話でした。
 
 

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