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「陋巷にあり」読んだ。

ようやく読み終わったぞい。

・「陋巷にあり」とは
作家・酒見賢一が十三年かけて書き上げた中国歴史サイキックバトル小説である。
儒教の始祖たる孔子の一番の弟子、顔回を主役にしている。

文/俺

ところで諸君らは孔子という人間に対してどのようなイメージをお持ちだろうか。
俺の場合「清廉潔白な聖人君子で弟子たちを引き連れて各地を放浪し霞を食って生きている仙人」みたいなイメージがあった。まあ二千年以上も前の人だし、中高生の頃に論語に軽く触れただけなので仕方ない。
しかしこの本ではそんな俺の考える孔子像とはまた違ったものを見せてくれる。この本において孔子は理想と情熱に燃え、改革を目指して政治にがっつり関わる理念の人、という描かれ方をしている。能力があるのに政治に関わろうとせずにダラダラニートやってる奴を痛烈に批判するようなこともしている。調べてみるとたしかに孔子は古代中国の内の一国、魯で仕官していた経歴があった。
馴染みの薄い孔子の生涯についてまったく知らず、また前述のイメージを持っていたのでこれにはかなり驚かされた。やたら堅物で短気であるのも意外で面白い。
無論作者も後書きで記している通り、歴史上の人物を描く時はどうしたって作者の考える人物像が滲み出てしまう。それ自体は仕方ないとも言えるが、この本では登場人物の経歴やらを調べ上げた上で、そこから推定される人物像を作り上げているため、納得もできる。この小説はそんな手法で、色々な歴史書と睨めっこしながら、当時の人物を掘り下げていく。些細な矛盾する記述もその想像力と洞察で補っていくところが大きな魅力である。
さて、このお話はそんな孔子最愛の弟子、顔回が主人公なのだが、そこに少し問題がある。というのも顔回という人は特に何をしたわけでもなく、陋巷というスラムとまでは行かない程度に貧しい町でだらだらニートしているような、前述の孔子が一番嫌いそうな人間なのだ。
しかしそんな顔回を孔子は弟子の中で一番優れていると言う。不思議である。
と、そんなことが冒頭に語られる。
この小説は顔回がニートしながらも孔子に愛された理由を掘り下げていく話なのだ。
ほかにも数多くの魅力がある。
古代中国の風土をなんとなく知れるし、当時の価値観もわかる。俺が驚いたのは中国はかなり早い段階で城郭都市というものを建設していたということで、やはり早熟した文明だったのだと再認識させられた。

話は逸れるが、それが後々になって西洋やら島国やらに蹂躙されてしまい、その原因として槍玉に上げられるのが孔子が立ち上げた(正確には違うが)儒教だったりするものだから色々と考えさせられる。最近読んだ、三体Xの作者バオシューの短編集「時間の王」でもそのような記述があり、儒教とは今の中国の人たちにとってもなかなか複雑な感情を抱かせるものらしい。
しかしそれだけ教えが普遍的で優れているものであったとも言える。

さて、そんな色々ある儒教だが、現代に伝わらない闇の教えがあったのである(?)。

それが“礼”だ。
礼とは現代では礼儀的な意味で使われるが、当時は人に対してではなく、死者──鬼神に対するものであったらしい。葬儀屋の人が死んだ人(鬼神)を祀って鎮める、ある種のコミュニケーションだったようだ。それが時代が下るにつれて人に対しても使われるようになり、今の礼に至るそうな。
で、面白いのがその鬼神を祀る葬儀屋が、当時は「儒」と呼ばれていたらしいことですな。
さて、この小説はそこから何をどう解釈したか、鬼神に対して礼を行うと鬼神が力を貸してくれ、超常パワーを扱えるようになるのだ。
どうです?面白そうでしょう。
そう、面白いのだ。
この小説は論語に記載されない儒の闇の側面を知る者たちが熾烈に呪術合戦を繰り広げる。それら一つ一つにそれっぽい理屈をつけていくところも魅力だ。
中国の歴史の影には礼の存在があり、それが惨禍を引き起こしたり、時折奇跡をもたらしたりする。
顔回はその礼の素質が滅茶苦茶ある奴で、その上向学心も異常なほどあるので、だから孔子に大層気に入られているのだ。

キャラも魅力的だ。顔回、孔子にはじまって、同じく孔門の弟子の頭が切れる子貢やケンカに強い子路、顔回の出身地を治める顔儒一族、悪役の少正卯、悪悦、南方からやってきた医師、天子定公を差し置いて魯を実質支配する三垣家のお歴々と、揃いも揃ってクセのある奴らばかり。
特にこいつらのバトルシーンは必見。バカが一人もいないので間抜けに死ぬことがほとんどない。知と謀と勇を尽くして戦うも一歩及ばす、みたいなかなり見応えがある。

一方で欠点もある。
それは、当時の様子をあまりに正確に描写しようとするので注釈がつきまくっていたり、設定を全て開示しようとするので話の本筋がぶつ切りになってリーダビリティを損なうことだ。一巻二巻あたりは初見さんをふるいにかけることになるかもしれない。
また、作者が読者絶対に誤解を生じさせたくないと思っているのか、登場人物の心情やら思想やらをダラダラ描写し過ぎているようにも感じる。あまりにも行間がなさすぎてこちらがあれこれ考えて察する余地を奪われているのだ。そこはもう少し読者を信用してくれてもいいんじゃないかと思った。
書き方が作者の一人称で描く三人称、みたいな感じなのでそこも人を選ぶかもしれない。

とまあ文句言ったけど終盤に進むにつれてカタルシスがものすごいので我慢する価値あり。中盤の九泉の下りは酷すぎて読んでいるスマホ叩き割ってやろうかと思わされたが、そこを乗り越えれば最高の結末が待っている。終わり方も綺麗だ。

長いけど是非読んでほしい。

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