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直線的な因果論を乗り越える

福祉職が医療職に言い負かされてしまうのはなぜか?

カンファレンスの席でまたは日常的なやりとりの中で、福祉職が提案した利用者さんへの対応策が医療職にバッサリとやられてしまう。反論しようとしてもやりこめられてしまい議論にもならない…。
施設ではよくある風景じゃありませんか? どうしてこんな事態が発生するんでしょう?

よくこういった事態は、医療モデルと生活モデルを引き合いに出してその異同を問うことが多いと感じるのですが、もっと端的に言えば教育と思考過程の違いに原因があると思います。

医療、特に看護職は、問題志向型医療(POS)の考え方をベースに看護過程を展開します。看護記録の記述方法の一種としてSOAPが有名ですが、SOAPもPOSの流れを汲んだものです。患者の訴えや客観的に観察できるデータを踏まえた上で症状への見立てがあり、方針を決定する。
POSは原因と結果がまっすぐに結びついた、直線的な因果関係を展開しているといえるでしょう。POSの考え方は一見汎用性があり、誰が実施してもそのプロセスにブレは少ないかもしれない。ただそこで表されているのは、唯一無二の、他の因果を差し挟む余地のない世界構成の記述であることに意識的になることが必要だと思います。

疾患への対応ならばこの考え方は非常に優れているでしょう。しかし生活課題となると、明確な課題が見えにくい場合があります。色々なものがこじれて絡まり、何から手を付けてよいのか相談者にもわからない。そういった場面は多々あります。

POSを生活問題に導入してもうまくいかないことがある。それが異職種間のディスコミュニケーションとして表れているのではないか。
そして医療職の方は決して意地悪をしようとして、このような事態になっているわけではない。これはきちんと明記しておきたいと思います。

循環的な因果関係

我々が普段暮らす日常において、物事の因果は本来循環的です。直線的な因果は循環的な因果のバリエーションのひとつでしかなく、単一の事象の発生が特定の何かの因子にのみ原因帰属する場面はかえって多くないでしょう。
「お腹が痛くなる」のは冷たいものを摂ったからかもしれないし、重要なプレゼンを控えているからかもしれない。前回の発表で散々な目に遭ったのを思い出して、気分転換にアイスコーヒーを飲んだからかもしれない。こうなるともはや何が起点なのかわかりません。アイスコーヒーが悪いのか? 胃腸が弱いのか? 鋼のメンタルに鍛えればいいのか? プレゼン力が残念なのか?
こういった状況を単純に「アイスコーヒーを飲んだからお腹が痛くなった」と直線的に記述してしまうことは、一見わかりやすいですが、他の要素を因果関係から切り捨ててしまうことになります。

関係性を記述する①:ソシオグラム

何がその状況下で起こっているのか。もしこれが人間関係に関連したものであれば、ソシオグラムを使ってみるのも全体を俯瞰するのに役立つかもしれません。
ソシオグラムは人物間のコミュニケーションを記述するマッピング技法です。誰と誰がよく話すけどこの人はあんまりだとか、この人は誰からも話しかけられて中心的な役割を担っているとか、誰それはこの人がいないと会話に参加しないとか、そういったことが記号化すると見えてきます。

関係性を記述する②:機能分析

あるいはこれが、何らかの事象やそれに対する行動や結果が連鎖し絡まっている場合は、認知行動療法分野で使われている機能分析にかける、という手もあります。
これはものすごく乱暴にいってしまえば、「風が吹けば桶屋が儲かる」に省略されたプロセスがあったように、その過程と関連をひたすら分解し関連を整理していくものです。
この方法の良いところは、悪循環となっている要因を特定できること、アクションプランとして改善策を提示しやすいところが挙げられると思います。

支援者のストーリーをなぞるのが支援ではない

人間のものの見方は決して万能ではなく、自身の決めた枠組みがあればそれに沿って証拠となる情報を集め、自説を結果的に強化する傾向があるとされています(確証バイアス)。
支援についても同様で、支援者の立てた見立ては事態の本質どころか、ほんの一部分を切り取って構成されているものであるかもしれません。

現実は常に自身の想像を越えたところにあります。そして支援は、クライアントのためにあるものです。
見立てが実際とズレていたら、潔く現実に合わせ適応していく心境でいたいものです。

福祉職だからできる見立てを

最初の話に戻ります。
少し医療職側を悪者にしてしまう例でしたが、課題は上記のような循環的な因果関係を、福祉職が自らのスタンスとして明示できないところにあるようにも感じています。

これは偏見かもしれませんが、医療職に混じって仕事をする福祉職の中には、医療特有の直線的な因果論を身につけてこの軋轢を避けているような方も一定数いるように思います(現場職、相談職問わず)
ただそれでいいのか、私には疑問です。意見が同じなら福祉職である必要がありません。そして福祉が医療の下請けであると自ら進んで示しているようにも見えます。医療職の方々にも、そうした役割は期待されているんでしょうか?

「こういう考えもある」とした上で、目の前のクライアントに対し、地域に対し、最善策を一緒に考える。福祉職がもっと存在感を示すには、底上げの積み重ねが必要じゃないかと思います。

参考文献

・若島孔文・生田倫子(2013).「 ブリーフセラピーの登竜門」 アルテ (Amazonリンク)
・鈴木伸一・神村栄一著 坂野雄二監修(2005). 「実践家のための認知行動療法テクニックガイド」 北大路書房 (Amazonリンク)

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