【ショートショート】殺人現場

 今日からアルバイトをすることになった。選んだのは遺品整理会社。亡くなった人の所有物を整理仕分けし、遺族に引き渡したり処分したりした後、部屋の清掃まで行うのだ。
 更衣室で作業服に着替え、まずは社長に挨拶をしにいく。社長と言ってもここは社員十人足らずの小さな会社。社長室などあるわけもなく、事務所の片隅に置かれた席にその人はいた。電話を片手に書類をめくっている。小柄でぽっちゃりしたその姿は言われなければ普通の事務員かと思えてしまう。
社長は僕の姿を認めると、電話で話しながら右手の人差し指を突き出して小刻みに動かした。
 そちらを振り向くと一人の社員がこちらを見ていた。ひょろりとした男性で、伸ばした髪を後ろで束ねている。30前後だろうか。彼は軽く手を挙げながら事務所を出て行った。
 再び社長を見る。すると彼はなおも電話で話を続けながら、指先と顎で出て行った男のほうを指し示す。おそらくあの男について行けということだろうと判断し、社長に一礼してから後を追った。
 

 駐車場に出るとその男は既にバンの運転席にいた。ニッサンのキャラバンだ。助手席に乗り込むと、「荒木だ」と言ってすぐさま車を走らせた。僕も内藤と名乗ると、荒木さんは断りを入れてから煙草に火をつけた。一本吸い終わったところで、
「内藤君さ、どうしてうちの会社を選んだの」
「理由ですか?」
「うん。だって時給のいいバイトなら他にいくらでもあるじゃん。なのにうちみたいな遺品整理に来るんだもん。絶対なんかあるでしょ」
 図星を指されてドキリとした。確かに荒木さんの言う通りなのだが、それを正直に明かせばドン引きされること間違いない。返答に窮していると、
「ひょっとして、お目当てはうちのもう一つの業務なんじゃないの?」
 もう一つの業務とは、人が死んだ後始末のことだ。事件や事故で人死にが出た際、そこに残された血液や体液、あるいは体組織の残留物などを除去・清掃・消毒するのだ。確かにこれがあったから僕はこの会社を選んだのだが……。
 荒木さんは僕のほうをちらりと見てから、
「たまにいるんだよね、興味本位で来る奴が。殺人現場を見てみたい。ついでに死体も見れたらラッキーなんて考えていてさ。でも実際に死体なんか見られないんだよ。だって俺たちが行くのは現場検証した後だもん。死体は警察が持っていったあとさ」
 そこで彼は思い出し笑いのようにニヤニヤと笑顔を浮かべる。
「ところがさ、そんな奴に限って、現場入ると真っ青になって、血とか汚物とか見ただけでゲーゲー吐いちゃうの。で、結局次の日から来なくなる」
「そうなんですか」
「内藤君も明日から来なくなるんじゃないの?」
「え?それってもしかして……」
「そうだよ。今日は殺人現場の掃除だ」

 そこは若い女性の一人暮らしにふさわしく、カラフルに装飾された部屋……だったはずだ。しかし今はフローリングの上で固まった血や、壁や家具の至る所にこびり付いた赤黒い物体が嫌でも目に付いてしまう。
 清掃道具一式を肩に担いだまま、上がり框で呆然としていると、荒木さんがフンと鼻を鳴らした。
「知ってるか?最近世間を騒がしている連続殺人事件」
「ええ。まあ」
「あれの被害者だってさ。小耳に挟んだ話じゃ、発見が遅れただけで、どうやらこれが一人目らしいぞ」
 なぜだか荒木さんは優越感に浸るような笑みを浮かべていた。うちの会社は仕事柄警察関係の人に知り合いが多いそうだ。そこから得た情報だろうが、それを新入りのバイトにひけらかして嬉しいのだろうか。それなら僕だって誰もが腰を抜かすような話を持っているのだけど、さすがにそれをここで詳らかにすることは躊躇われた。
「あ……」と先輩が僕の背後に目を向けた。
 振り返ると開いたままのドアの外に、スーツ姿の男が二人立っていた。
「あれ?小田さんと古賀さんじゃないですか」
 どうやら顔見知りらしく、荒木さんは僕の横をすり抜けて二人に歩み寄る。
「どうしたんですか?なにか忘れ物ですか?」
「いや、社長からここだって聞いたもんでね」
「え?俺に何か?」
「お前じゃない。用があるのはそっちの若いほうだ」
 中年の男が鋭い眼差しを僕に向ける。
 もう一人の男がスーツの内ポケットから紙切れを取り出し、広げてこちらに見せた。
「内藤ケイゴ。逮捕状が出てる。殺人容疑だ」
「は?」と先輩が僕を振り返ると同時に刑事の声が聞こえた。
「そいつは連続殺人事件の容疑者なんだよ」
 

 やっぱりこうなったか。
 ここは僕が初めて人を殺した場所だ。たまたま駅で目星をつけた女のあとをつけ、部屋に押し入った。恐怖に引きつるその顔を見るうちに得体の知れない快感が全身を駆け巡り、気がつけば女を殴り殺していた。滅多打ちだ。
 どこをどう走ったのかも覚えていない。いつの間にか僕は自宅にいた。そこで忘我の境地からはたと覚めたとき、胸のうちでもやもやとしたものが沸き起こった。人を殺したことへの罪悪感とか後悔の念ではない。それは殴り殺すことに夢中になるあまり、僕の犯行を裏付けるような証拠を残したのではないかという焦りに似た感情だった。確かめに犯行現場に戻ろうと思った。でもできなかった。緊張と陶酔感で自分を見失っていたせいで、その所在が記憶から欠落していたのだ。それでも人を殺すときの血が燃え滾るような感覚は忘れられなかった。だから二人、三人と続けた。そのときは証拠が残らないよう細心の注意を払っていたが、ずっと頭に引っかかっていたのは一人目のことだった。
 幸いにもその現場が発見されたとのニュースは出なかった。それでもいずれ見つかるのは必然だ。それまでになんとか自分の目で現場を確認したい。そう考えているときに知ったのがこのバイトだ。まさか初日にこの現場に当たるとは思いもしなかったが。
 ただこれも悪あがきでしかなかった。荒木さんが言った通り、僕たちが現場に足を踏み入れるのは検証が終わった後なのだ。逮捕状が出たと言うことは、危惧したとおり証拠を残していたわけだ。
 手錠をかけられ、二人の刑事と共に部屋を出たところで振り返る。
 荒木さんがへなへなと床に崩れ落ちた。
 腰を抜かしたその姿を見て、思わず笑いがこみ上げた。


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