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「短歌がきている、というお話」

 短歌がきている

 短歌にはまった、読むのも詠むのも楽しい。このnoteでは、短歌の魅力についてざっくばらんに語った後に、私が先日たくさんの人から頂いたお題(?)を元に作った短歌35首から厳選した5首を解説したい。

 一応説明すると短歌とは、57577の句形をした詩のことである。俳句と違って季語は必須でないので、より自由な表現ができる。
 
 あなたは短歌というものに、どんな印象を持っているだろうか?古めかしい、とっつきにくい、小難しいと考えていないだろうか。
 と言うのも、私自身がそうだったのだ。
 凡そ、日本人が初めて短歌に触れるのは義務教育で、そこには近代詩なんかが載ってる。石川啄木、与謝野晶子、正岡子規がそうだ。彼らは19世紀から20世紀初頭の人物で、"現代語訳"が必要になってくる。
 素晴らしい短歌とは、世代を経て愛されるものであるのは自明だ。だけど日常的でない言葉を直感的に楽しむ為には、練習が必要になってくる。例えばハリーポッターは辞書を引きながら読むより、翻訳本を読んだ方が没入出来るだろう。
 私はこの一手間が、短歌に対する小難しいイメージの発端であるように思う。そこで、現代詩を見てほしい。以下に私の好きな人たちの短歌から、ネットに公開されているものを一首ずつ載せている。

カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる   
(木下龍也)
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る   
(山田航)
ハロー ハローワーク待合コーナーの待ち順札を吐き出すマシン 
(岡野大嗣)

 私はこれらを見て「あ、ネタツイだ」と思った。難しさなんてなくて、日々画面をスクロールしていたら、嫌でも立ち止まってしまうものたち。
 いずれも着眼点が独創的だったり、情景の描写が凝っている。
 一つ目はホテルでカードキーを忘れて、部屋に入れず立ち尽くすあるあるを、悲壮感の過剰な演出を伴って描いている。「閉じ込められる」という表現のどうしようもなさ、世界が窮屈で、自室が唯一の逃げ場であることが窺い知れる。たった31文字からであっても、受け取れる意味の密度が高いのは短歌の旨味だ。
 二つ目は死ぬ間際に、人として当たり前の行為を求められる事の可笑しさがある。決意から実行までの破滅の中にある、切符を買うという、小さな点としての秩序。この対比がシュールになっている。そして恐らく「あの世への片道切符」である事も考慮に入れるべきだ。
 三つ目はハローワークで札を発行する機械の短歌だが、「ハロー ハローワーク」が天才的だと言わざるを得ない。「ハロー」という抜けのある語感が連続する事で、後半の「吐き出す」の緩さに磨きがかかっている。求職の為に集まる人間を他所に、マシンはハローハローと札を呑気に吐き続ける、実に他人事だ。これには理由がある、マシンは利用者と違って"仕事に就いている"のだ。

 如何だったろうか、以上はあくまで私の解釈で、どこまで意図されたものかは分からない。だが短歌というものは、我々の現代の暮らしに寄り添っていて、決して古典ではないという点をアピールしたい。

 次は私が募集して、名前や人柄から連想されたものを元に書いた短歌だ。

「歪み」
「こんにちは時空の歪みから来たよ」こいつ視線を寄り添う気だぞ

 自分が何者か端的に説明できる人間の、理知的さ加減。漫画などで描かれる、説明が的確な非人間の自己紹介は、視点が主人公、読者すぎる事に対しての違和感についてだ。ところで「短歌にカギカッコは使っていいの?」と疑問に思った方が居るかも知れないが、基本的に字数さえ守ればフォントを変えたっていい。

「あいまあいま」
扉の間に咲けた花のペンダント、優しさの定価100円です

 扉を閉めたらきっと芽も蕾も潰れてしまうのに、花を咲かせられた。それは一人ならず、成長を気にかけた人達による優しさの結晶であるのに、何者かによって価値を定められる事の虚しさ。「奇跡の実話」として推し出される、感動映画の嫌な感じ、そういうお話。

「〜らう」
語らう事なく終わった関係の響きを指が知りたがってる

 これは仕上がったとき、綺麗に書けたと思った。話し合いをせず、疎遠になってしまった片方が、メッセージを送る直前で躊躇っている情景、かなり未練がましい。この短歌をお題主へ送ったら褒めて貰えた為、余計に気に入っている。

「生きるのだ」
嫋やかな天使の手には引き抜けぬ大木の張る根の細やかさ

 「生きること」ではなくて「生きるのだ」という確信めいた宣言について。きっと「それでも」が事前に省略されていて、その前に「嫌なこと」があった筈だ。しっかりと地獄をベースに生きようとする人間を、天界へ連れて行くのは容易くない。

「ティファニー」
首筋を預けた彼の良さだとか、その顔ぐらい曖昧でいい

 首筋に何か、"彼のもの"がある。その惚気を聞きながら、視界がとある液体によって滲んでいく。最後まで「この桜ほど曖昧でいい」と迷ったけど、「曖昧」の前で「い」の音を使う事で、一旦着地したかったから現在の形になった。関係ないけど、ネックレスのプレゼントって、まるで首輪みたいで好きくない。

 なんだか、個人的レジェンドを紹介した後に自分の短歌を載せると、そのクオリティの高低差に脚の骨を折りそうで心配だ。だけど上手くなるには書くしかないし、こうして誰かに見せる事は、独りよがりにならない為に必要だ。

 短歌はいい、ショートと違ってサクッと書ける。気に入ったら頭に入れて持ち運ぶ事も可能だ。だから最後に、私が好きな木下龍也さんの短歌を載せて終わりたい。

どこへでも行けるあなたの船なのに動かないから棺に見える
(木下龍也)

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