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田村信喜 合気道八段

伝えたい、日本人の誇りと感性


合気道開祖 植芝盛平翁のもとで11年間、内弟子として修行された田村信喜師範は、開祖の記録映画や資料写真にもっとも多く登場する弟子のお一人です。1964年からは合気道普及のために渡仏、以来43年、ヨーロッパ諸国の指導にあたられてきました。今夏、来日された田村師範に、内弟子時代のご苦労と、フランスから見た今の日本についてお話を伺いました。

※所属や肩書きは、季刊『道』に取材当時(2008年)のものです。
 取材 編集部

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今は、フランスのほうが日本の道場よりきちっとしています。
彼らには、「求めている人の姿」がある。
何を求めているか、それが道場での態度に出るのではないでしょうか。




師への気くばりが弟子の訓練になる

―― 田村先生はフランスに行かれるまでの約11年間、合気道開祖である植芝盛平先生の内弟子として、修行されていました。内弟子としてどのようなご苦労がございましたか。

 内弟子というのは、何をするんでなくともしょっちゅう師匠の横にいる。そこが通いの弟子とは違うんですね。
 たとえば植芝先生のお供で、大阪や九州へまわりましたけど、駅に行って切符を買っている間に、先生は切符なしで改札を通ってしまう。切符を買って先生と自分の荷物を持ってホームに行ってみると、先生が見えないということがしばしばありました。
 また、先生が階段を上がる時は後ろから押す、降りる時は前へ行って肩を貸す、電車の席をサッととるとか、そういうことをぱっぱっとやらなければならなかった。先生が大阪から帰って来られる時も、「何時に着く」という連絡だけ。東京駅に迎えに行ってもホームのどのあたりに着かれるかわからない。探し回っているうちに先生はタクシーに乗って帰っていたり(笑)。これは叱られたのと同じだからね、別に何も言われなくても……そういうことが勉強になるんですよ。常に、先生の「先へ先へ」がないと弟子は務まらない。
 着替えの時でも、先生の着替えを手伝いながら、自分も着替える……だから何でも早いですよ。訓練ですね。背広、ネクタイをしてボタンはとめない。タクシーに乗ってからボタンをとめる、それもボタンは下からとめていくんです。下からだったら揃っているからずれたりしない。海軍はそういうとめ方をしていたのですが、そういうことも教わって参考にするわけです。一事が万事、いつも気を配っていないといけないんですね。

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本部道場にて、受けをとる田村師範


―― そういう一つひとつの工夫が「気がきく」につながるわけですね。

 そうですね。今は、月謝を払ったから教えてもらわなきゃ、と。うまくなれないのは、先生が悪いと(笑)。
 教え方が違っているわけですよ。塚原卜傳(1489~1571 剣術新当流開祖)のところに行くと掃除だけやらされて、結局稽古をつけてもらえなかったという話があるけど、師匠は、そういうなかでも、その弟子がこの先修行をやっていけるのか、性格はどうなのかなと見ているわけでしょ。それが教えなんですよね。でも今は、そんなことやっていたらお弟子さんがいなくなって、食べていけない、となる。
 植芝先生が「武道家が道場を持つようになったら質が落ちる」というようなことを言われてましたけどね。植芝先生はそういうことは超越していて、弟子が月謝を持ってきたら、「神棚へお供えしておけ、必要な時は神様から頂くので、弟子からもらうものではない」ということでしょう。そうすると教える線がはっきりしてくるからね。
 植芝先生は、大本教におられた人だから人類愛に気付かれて、武道の技と平和を体の中に融合するということをされたわけです。武道とは何かということがわかっていないと、そこまで行き着けないですね。

日本人特有の感性を大事にしなくてはならない

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田村信喜 合気道八段

どう出版

162円

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「行動している人」の原動力を探り、エネルギーを伝えるインタビューを中心に発信。 季刊『道』とその前身、武道・合気道研究誌 季刊『合気ニュース』からお届けします。 記事一覧 → http://www.dou-shuppan.com/interview/