僕はどう生きるか。

山形に帰ってきてから36日が経った。京都の家を36日間空けているということになる。

2月3日正午ごろに頭痛に襲われ、救急搬送。脳出血と分かったのは2日後の夕方ごろだった。お母さんの運転で山形大学の大学病院へ向かい、その日に入院した。その後しばらくは「入院中手記」に日々の記録を綴り続けていた。退院から3週間が経った今日、改めて入院中に考えていたこと、現状、これからのことについて、少しだけnoteにも記していこうと思った。

入院中手記

まずは入院中に考えていたこと。
緊急で大学病院に入院したので、救急外来のベッドに通された。18時頃だった。原因究明のために色々な検査に通された。血液、レントゲン、MRI、CT。廊下から「集中治療室が、、」「1ヶ月は意識が戻らない可能性が高いです、、」「家族の同意書が、、」という声が聞こえた。身震いした。もしかしたら死ぬのか。こんなふうに死ぬのか、人は。体温が高くなるのを感じた。結果から言うと、救急外来のベッドだったので隣の部屋に運ばれた患者さんが僕なんかより重症だったみたいで、廊下から聞こえた話は隣の人のことだった。そう。僕はこの通り。少なからず死を覚悟した僕だったが、不思議と冷静で「退屈しなさそうだね。」なんて呑気に構えていた。この時は。

次の日から入院生活が始まった。看護師からしたら、基本的に不満が溢れている「や」な患者だったと思う。毎週2回決まった曜日に「回診」があった。脳外科の教授、主治医、研修医など総勢15人程度が病室にゾロゾロと入ってくる。主治医が一言「お変わりなさそうですね」と呟く。僕は「はい」と答えると、嵐のように全員去っていく。なんの時間なんだ。まったく。入院中のX(旧Twitter)のタイムライン内容は酷いものだった。不謹慎なツイートをまとめたもの、歌舞伎町のリアルを実況ツイートしたもの、不幸な、不愉快な話題に溢れていた。SNS上に幸せなニュースは意外と少ない。
入院中に一番強く考えたこと。「普通」について。
一昔前に、欅坂46が流行っていたころだと思う。大人になっていく思春期を中心に、「普通でいたくない」「何か大きなことをしたい」「普通ってなに」みたいな風潮が、価値観が流行っていたような気がする。

「○○くん。君が『脳に異常が出た』という事実はこれから先ずっと付き合い続けなければならないことなんだよ。人生は長い。今は我慢することが多いかもしれない。まずは生きていくことを1番に考えてください。」

「しばらくの間、お酒、たばこ、そしてお笑いは禁止です。大きな声、緊張、血圧が上がることは控えてください。」

そうか。「普通でいたくない」以前に、僕はもう、僕の脳みそはもう、「普通じゃない」のか。ああ女の神様。いい子にするから人間のこどもにしておくれ。良心に従うから。そんな気持ち。入院してからというもの、とりわけ家族からは「普通」として扱ってもらえない。

2月20日に退院した。かなり巻いた。本来、3・4週間の予定だったが15日でスピード退院。家での生活がスタート。お母さんは気を使うだろうな。入院クオリティでご飯、ベッド、生活リズムを整えて看護の真似事をしなければならないから。あと普通にお母さん退院の日めっちゃ風邪引いてた。
退院後、しばらく突発的に頭痛に襲われている。「ピリっ」と痛みが走る。徹夜でゲームした時の目の痛みに似たような頭痛が何度か。そして退院後にもかかわらず、世間で言うところの「入院鬱」のような、気持ちが晴れない日が多い。とりわけ夜に、夕飯後22時を超えたあたりから、息が吸えなくなる。僕はストレスで過換気症候群になる。詳しくは大学1年の9月のnote「救急車と9月とさくらももこ」参照。

さくらももこで思い出した。
この度の一連の脳出血に際しても、さくらももこは大活躍だった。かつて演劇部の先輩は高校3年生の頃に「共感できる痛みは痛みじゃない」と述べていたが、僕はさくらももこのエッセイを読んでいると、さくらももこ(ちびまる子ちゃん)に痛みを共感してもらえているような気になる。気が楽になり、最も心地よいと感じる精神状態になれる。今では常に持ち歩くお守りの役割を、さくらももこのエッセイが担っている。

話を戻して、退院後の現在、今になって過換気症候群になる僕について少しお話ししよう。
結論、「死ぬのが怖い」のだ。
入院の事実を俯瞰で見たときに「いつ死んでもおかしくない」のである。『脳に異常が出た』という事実はこれから先ずっと付き合い続けなければならないことなんだ。毎日、毎晩、僕は「今から眠りについて、明日の朝起きられる保証はない」と考えるようになった。ここにきて、生きていることの実感がなくなっては、死の恐怖で生を思い出し、また生の実感を失っては、死の恐怖で思い出すといった繰り返しの中で時が経っている。

「今月末には面接がある!」「気仙沼でポケモンの電車に乗ろうね」「京都に帰ったらご飯に行こう」「就活が終わったらフェスに行こうね」

僕は今、未来の約束が全てフラグにしか見えない。フラグが立っている。立ちすぎているように感じる。
このまま死んだら「ああ。〜〜する予定だったのに。果たせなくてごめんね。」と葬式で呟く家族や友人の姿が、やけに鮮明に想像できる。
これは、11月に亡くなった、大学で初めてできた友人「えーちゃん」の存在が関係している気がする。

このnoteのこの記事に、えーちゃんのことを書くつもりはなかったけど、一連の脳出血関係に、全く登場しないわけではない。
またいつか、えーちゃんのことは書こうと思うけど、簡潔に述べるなら、2月3月に2度、夢にえーちゃんが出てきた。
1度目は脳出血を起こした前日の夜。2度目は退院後初めて過換気症候群を発症した日の前日の夜。

ここ最近の僕は、毎日ES書きに追われている。「危険!!落ちる就活生の特徴○選!!」みたいなリール動画の全てが当てはまり、先の見えない就活を行なっている。教育実習のせいで仮に1次、2次と選考が進んでも、被って辞退という結果になりそうで怖い。

色々書いたけど、結局のところ生きているわけで、生きなきゃいけないわけで、もっと「なるようになる」という気持ちを、心の余裕を持って、自分を大切にゆっくり生きていこうと思う。最近知ったけど、運動とかストレッチすると、夜眠れやすいんだよ!あと、寝る前のスマホ、PCは、なるべく避けた方が夜眠れやすいんだよ!!
今週は息抜きにムービーオンにでも行ってこようと思います。

おわり


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