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コスモポリタンに対する「国民」の反発

 EU分裂の可能性を論じた、イワン・クラステフ『アフター・ヨーロッパ』(岩波書店、2018)から引用(P100)

「もし、EUが自殺を遂げるなら、用いられる凶器は、一度か数度にわたる国民投票である可能性が高い」

 日本を含む先進国において、能力主義的な存在に対する反感が、ポピュリズム=民衆主義的な感情、そして、政治指向を生み出ししているというのが、この『アフター・ヨーロッパ』の指摘であり、これは正鵠を射ていると思います。
 エリート意識だけはあるが、その事態対処能力、具体的には移民の奔流に対する対処能力に疑問を持たれているEU官僚に対する反感が通底にあり、同種の反感は、同種の主張をするマスコミやいわゆる専門家にも向けられているというものです。

 これらの能力主義は、世界主義(コスモポリタン)に繋がっており、「能力があるから、どこでも生きていけるし、そうすべき」という自信を生み出しており、自分の生まれ育った土地で生きていくことを指向する、多くの人々にとって、鼻持ちならないものとなっていると分析されます。
 同時に、移民への反発も自分の生まれ育った土地に同化しない者に対する反感で、世界主義と移民の「部族主義」によって挟撃されている一般市民の反抗だと分析されています。

 以前、グローバル企業のグローバル経営者の象徴となるような人の逮捕劇が話題になっていますが、このニュースをみて、溜飲を下げている人は多いのではないでしょうか。さらに、その方の「カネにあかせた」逃亡をみて、こういう輩に対する不信感を更に増加させたでしょう。

 トランプ現象の背景にも、このような能力主義や世界主義に対する反感があるものと思われます。
 トランプ大統領の行動は、1829年に大統領となったジャクソン(その支持母体が民主党となった)との比較が有益ではないかと思っていますが、そのジャクソンが敵視したのが、東部の資本家でした。現在は、それがグローバル資本ということなのかも知れません。

 冒頭で引用したのは、そのような世界主義に対する反感を持つ大部分の一般市民が、民主的手続きをとって、EUというコスモポリタン的な広域社会を「平和裏に」破壊するという未来絵図についての記述です。
 

 今後、欺瞞的なSDG’sのような物から、移動というものが持つ資源浪費と特権性という側面に対する批判を含んだ「脱成長」のエコロジー思想が展開していくと、さらに、世界主義に対する批判が強まっていくのではないかと思っています。

 結局、世界ワイドな「社会」などという物は成立せず、そのような空間領域統治に成立するエリート主義は、民衆の不満と結合した地域権力の「下からの反発」によってひっくり返されるということなのでしょう。

 ローマ帝国はほろび、分裂しましたし、チャイナプロパー領域で繰り広げられた「天下一統」と「民衆反乱」のサイクルに鑑みると、「広すぎる帝国」はやはり維持できないのかなと思ってしまいます。

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