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教育、医療における「一人ひとり」に合わせるサービス、支援というビジョン

 教育や医療といった、ケア分野、感情労働の分野において、個別最適化が、サービスの革新のキーワードとなってきています。この方向性は、社会福祉全般を視野に入れても重要、必須になって来ていると思います。


教育における破壊的イノベーション

 「破壊的イノベーション」という言葉を聞いたことのある方も多いのではなかろうか。これは、ビジネスと技術の変化を説明する概念で、既存の評価軸とは異なる、新しい価値を提供するイノベーションが、既往の財・サービスを凌駕していったというビジネスの変遷の歴史的展望を説明したものだ。この言葉は、既に人口に膾炙しており、日本政府の政策文書の中でも用いられる用語となっている。
https://www8.cao.go.jp/cstp/tougosenryaku/index.html

 この理論、概念を世に広めた経営学者クリステンセンが、「破壊的イノベーション」概念を教育に適用し、新しい教育のあり方を検討した「教育×破壊的イノベーション」という本がある。現在進行形で進んでいる文部科学省のGIGAスクール構想、その中の、CBT(Computer based Testing)には、この教育における破壊的イノベーションの要素と類似したものを見て取ることができると思っている。
https://www.mext.go.jp/content/20201214-mxt_kaikesou01-100014477-000_2.pdf

 当該書で展開されている、コンピュータを用いた教育における破壊的イノベーションの核となる変化については、次のようにまとめられている(同書 解説 p234)。

「コンピュータを利用した教育方式が、その力を発揮するためには、それを「一人ひとりが異なる進度と異なるプロセスで学ぶ」という「無消費(引用者註:従前のやり方では、コスト的に引き合わずサービス需要が断念されていた状態)」への対応として、まず活用する必要がある。」

 つまり、コンピュータによる教育の破壊的イノベーションは、コスト的に無消費となっていた、一人ひとりの個性と進度に合わせた学習という形で、既存の教育システムを置きかえるだろうと展望しているのである。


医療における「ディープメディスン」

 また、AIや機械学習の普及を見据えて、新しい医療、診療のあり方として、「Deep Medicine」という考え方を提唱している研究者もいる。
https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002498.html

 同書p21以下で、ディープメディスンは次の三つの深遠な構成要素を必要とすると説明されている。
 ①ディープな表現型調査(ディープフェノタイピング)
 ②ディープラーニング
 ③ディープな共感とつながり

 つまり、患者の個体差について、深く情報を収集し、その莫大な情報から人間では発見できないパターンを機械学習で訓練されたシステムで認識する。その個別的な認識に基づいて、標準的な治療において陥りがちな試行錯誤や無駄を排除して、患者と医療者が直接向き合う時間を作り出して、ディーセントな治療を行うという趣旨のものである。


共通するのは「個への最適化」

 先の「教育における破壊的イノベーション」、そしてディープメディスンに共通するのは、「個への最適化」だ。
 人間の学習過程、達成時期や症状の発現、治療効果には、非常に大きな個体差があるという認識が根底にある。そして、これまでの技術では、そのような膨大な個体差に対応できなかったが、コンピュータ技術を用いたセンシングと機械学習によるパターンの発見によって、これまで「無消費」であった、教育や医療における真の個別対応を可能にして行こうというビジョンだ。
 このビジョンは、徐々に広まりを見せており、広く感情労働と呼ばれている分野は、広いデータ収集とその分析によるディープなサービス提供に転換していくのではないかと私は予想している。


平均像の存在に対する懐疑、疑念

 「標準」「平均」という一つのタイプが存在していると想定し、個の変化もその中に当てはめることができるという発想は否定されてきている。他方、個性とは、完全に一人ひとりがバラバラで、他の個性と全く無関係で、何の比較もしようもない、孤立した存在だということでもなかろう。
 個性が孤立した存在ということになってしまえば、前提知識が全く成立せず、常に「生の個性」にゼロから向き合い、対処方法について全て一から構築するということに、論理的には、なってしまい、サービス提供側としては、途方に暮れてしまうだろう。単一でもなく、全くの孤立でもないとすれば、相当数のバリエーション(類型)を想定して、対処のあり方についての検討、思考を深めていくことになるし、まず重要なのは「類型」をどのように見出していくかということになる。


観測誤差ではなく、偏差は実在する

 このような個別性を前提に「個別最適化」を進める上で、助っ人となる機械学習の技法の一つとして、「クラスタリング」がある。要すれば、ある個体についての様々な多次元データ(観測値)の「違い」に基づいて、個体をグルーピングする手法だ。この時、当然、あるグループに属するとされた個体の観測値にもバラツキが生じる。

 このバラツキを測定誤差と考える思考があり、この場合には、グループが本質だと考えていることになる。この思考の極北である平均思考では、あるグルーピングが「確定」すると、そこから演繹的にその眼前にしている対象への対処方法を一つに決定してしまうという思考の罠に陥ることになる(抽象から具体への一方通行)。

 もう一つの考え方は、個体のバラツキはそれ自体として存在するものであるとする思考であり、個体が本質でグルーピングを便宜と考えていることになる。新しいDeepを目指すサービス展開においては、個体差を測定誤差とは考えず、まさに、そのような差異が存在していると考え、類型への対処を土台としつつ、そこから、個別対応、個別最適化する方策を見出そうとすることになるのだろう(具体と抽象の相互作用)。


社会福祉の「個」への志向性

 さて、このような個別最適化という考え方は、教育や医療という分野に限られない。社会福祉全般、社会的弱者をケア、キュアする社会的な仕組み全般において適用されるべき考え方ではないかという議論がある。
 例えば、宮本太郎「貧困・介護・育児の政治」という本では、社会保障のあり方として、「ベーシック・インカム」「ベーシック・サービス」と対比させる形で、「ベーシック・アセット」という考え方を論じている。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22844

 ごく簡単に言えば、「ベーシック・インカム」が一律の現金給付を、「ベーシック・サービス」が一律の公共サービス提供を保障するのに対し、「ベーシック・アセット」では、一定レベルの社会参加を保障するための有形・無形の資源(アセット)へのアクセスを保障する。筆者の雑ぱくな整理では、老齢リスクに対応するための地域包括ケア制度が、教育やハンディキャップ、失職、シングル世帯などによる多様で新しい生活困難のリスクに拡大したものというイメージを持っている。未だ議論が始まったばかりの概念であるが、人々の困難さが多重化、複合化していることを真っ正面から見据えた議論だ。
 このベーシック・アセットの「給付」内容について、同書では繰り返し、「必要なサービスや現金給付の最適な組合せ」ということが強調される。生活の困難さの多様性に「個別最適化」できるのが、ベーシック・アセットだというのである。
 この考え方の内容の適否については、様々な議論があるであろうが、保育を含む社会保障の仕組みに、確実に「個別最適化」という思想が浸透してきていることが理解できる。

 ITとセンシング・テクノロジーの深化によるディープフェノタイピング(データ収集)による、保障やサービスを受ける人についての深い理解と、様々な支援ケースで学習させたDeep Learningによるパターンマッチング-それは、人間の認知バイアスを迂回した「最適化」に近づくであろう-そして、それを踏まえた支援需要側と支援提供側のディープな共感、これが、テクノロジーを最大限に活用したディープ社会保障ということになるのだろう。勿論、保育(保護者支援を含む)も例外ではないはずだ。


<冒頭の画像>
薄倖の画家ゴッホの良き理解者であり医師だった、ガシェの肖像画をチョイス。ゴッホのために、より良き個別最適化を目指してのではないかと想像します。