「ケ」の日の、幸せについて

ハレとケ、という言葉は椎名林檎の歌詞から学んだ。
(ハレの日:特別な日 ケの日:日常)
※小学生の頃から聴いていたから、私の語彙の偏りはここが理由だったりする。

元来ポジティブかつ都合の悪いことは忘れっぽく、
そして子供の頃の感性が鈍ることなく生きてきた。

友人曰く「生物は本能的に慣れていくものやのに」、何千回見ても空が青いだけで嬉しいし、梅雨が明けると喜びで去年も今年もブランコを漕いでるし、芝生があれば迷わず寝転んで光合成したいし、実際鴨川では大体寝ていた。

私の人生にとって絶対的に譲れないのは(というかあらゆる人の人生にとってもおそらくきっとそうだと思うけれども)、「ケ」の日の幸せである。

誕生日にホテルに花束とバルーンを用意されることも無論最高に素敵だけど(この場合最もアガるポイントはバルーンを一生懸命セッティングしてくれた彼を想像すること)、それよりもなんてことない木曜の夜に半分こするためのハーゲンダッツ2種を吟味することの方がよっぽど私にとっては愛おしくて、重要。

先日、いびきの彼と夜に中華料理屋へ行った。

私はその日体調があまり良くなく(遊びすぎによる過労)、散々悩んで韮レバ炒め(滋養の塊)と半ライス、いびきは瓶ビールときゅうりとメンマ和え、餃子を注文した。

京都の古民家みたいに奥に長く、カウンターしかないお店で、私たちが座ったのは中華鍋を振るう店主さんの目の前の神席で、二人して中華鍋捌きにしばらく見惚れた。中華用のレードルでいくつかの調味料を掬って流し入れる姿、炒飯を鍋に押し潰して水分を飛ばすさまなど・・・職人過ぎて、ファンサください。

餃子のたれ用の小皿を2枚女将さんが置いた時、
彼が「たれを2種類、作りませんか」と提案してきた。


これ!こういうの!

ケの日の、ケの日たる幸せ。

カウンターしかない下町の中華料理屋で、寡黙な店主とメニュー名しか叫ばない女将さんが作る餃子なんて、食べるだけで最高に美味しいことは分かりきっていて、そこでこの提案は、さらなる幸せを追求する彼の姿勢を表している・・・。またの名を食い意地とも言う。

「勿論、賛成です」と答え、「ではあなたは酢胡椒を担当してください。胡椒は死ぬ気で入れて」との指示通り、私は酢胡椒、いびきはスタンダードたれを作った。
私は初めての酢胡椒にハマった。

運ばれてきたライスはどう見ても正しいオーダーが通っていない普通盛りだったので、無言でシェア。韮レバは軽く揚げられたレバー(目の前で調理法を把握)の火の通り具合が絶妙で、しっとり。私の過労はほぼ消滅。滋養の塊・・・。


職人技。赤いテーブルも好き。


いびきは大食いだが半ライスが普通ライスになったことが幸いし、炒飯の追加オーダーを免れた。腹八分目、先人の教え。

普通ライスでオーダーが通っていたことも含めて、全てが正解すぎたね・・・と腹ごなしに夜の散歩をしながら余韻に浸り、デザートにアイスを買うか散々悩んで、果物屋でプラムを買ってキッチンで立ち食いした。
ねむれなかった夏至の話 参照)


ケの日の幸せは、お互いにとってほんの少し今を今より最高にするためのアイデアとコミュニケーションで十分に成立するし、作らなくても大半が既に在るもので、受け手の感受性に大きく左右される。

幸せの感度は常に高く持っていたいし、貪欲でいたいし、人生、そんな人たちと一緒にいたい。

韮レバもう一回食べたいなー!


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